Thursday, October 05, 2006

続き

なんか自分で思ったのだが、前の文ってのは、こりゃあ「ひがみ」だなあー・・っと。
か・悲しいねぇ。。。。
被害者意識みたいなひがみでは、いけません。

オレ思うのですよ。
本当にオレの知っているギタリスト達は、凄くいいことをやっている。
ただ、知られていないということで、その価値は劣っているなんてことじゃあない。
断じてない。

いい音楽が、世の中に出て行く環境の「訳の解らない難しさ」が、あるのだ。
簡単に「あんたの音楽は、マニアックだからねー。みんな解らないよ」なんて、決め付けられるなんてことは、よくあること。
そのよくあることってのが、問題なんだよな。
音楽ってのは、個人の主観・つまりは「好き・嫌い」だ。
だけれども、仕掛ける側の「好き・嫌い」で判断というのも、ほとんどがダサいものだ。

これは、資本が絡んでくると、更に?になってくる。
解りやすくにもなるんだけどね。
「回収しやすいもの」を選ぶという選択肢だし、リスクの少ないものとかね。
商品としての魅力?が、優先されるからか?

メジャーがダメだということではない。
メジャーにも、本物はある。偽者もある。
テレヴィに出演しているミュージシャンが、「いい!」のではない。
かといって、「インディーズ」だから「いい!」って訳じゃあない。

オレは、ミュージシャンだから「聞く側」になると、やたらと細かい分析をしてしまうが、でも大事なところは忘れないようにしている。それは、オープンに聴くことだ。
自分のけち臭い知識とか余計なものに、振り回されないようにすること。
如何に「楽しむ」ことを知っていないと、いけないのだ。

「本気で楽しむ」ことを知らないで判断されることが、結構あるんだよな。
だから、「こんな程度のがいいの?」とか、本当にそこらでいっぱいあるよ。
また、そのわかり易いメッセージの裏側が、胡散臭いものを見抜けないとかね。
「光が・・」とか、「癒してあげる・・」「開放しよう・・」とか。あー?
ある程度の技術と宣伝と表出している回数で、こうも簡単に騙せてしまう。

本当に言っておくけれど、テレヴィは、「嘘ばっかり」だから。
ネット?さあね。信じている奴等は、信じられないね。

つまり、情報だとか音楽も、(ほとんどがクソまみれの)ありとあらゆるものが、あんたに押し寄せてくる。
それを判断する「自分」というものが、常に「どうであるか!」が問われるのだ。
自分のスタイル・・なんて安住はできねえんだぜ。
オレは、こうだ・・ていう「お軽いのり」は、そう長くは続かないのだ。
実は、自分で自分を破壊し構築していくのは、最高に難しいことなんだ。
停滞しているものを見ればいい。
生命力・エネルギーのあるものであるならば、停滞は無い。
おざなりになり、閉鎖的になるものは、自分で自分を変えられないし、他から変えられるのも、他を認めることも出来ない。

つまり何かと言うと。

「表現者」っていうんですか?よくわかんねえが、「やる側」ってのは、判断される側でもあるが、実は、判断する側ってのも、その中身・・判断の基準・・あんたそのものを問われるのだ。

簡単に言うと

「ダサいかどうか」常にあんたもワタシも「問われている」のだ。
だから全ては、「表現」なんだよな。

オレの音の向こう側に、何を感じるんだい?そうやって「突きつけ続ける」ぜ。

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