Wednesday, August 22, 2007

男達・二人の師匠。

若い頃・・
今でも気分は「何が変わっているのか解らない」のだが、まー若いとは言えねえ歳になっている。
十代のガキの頃から「スゴイ奴に会いたい」と思っていたが、楽器をやり始め、そしていよいよプロの現場となったとき、その願い?は、突如訪れた。

もう何回も書いている内容でもあるが、あ?全部そーですねって・・まぁいいじゃないですか。
今から考えても、この二人のミュージシャンとの出会いは、強烈であった。

古澤良治郎と近藤等則

俺にとっての、とんでもない刺激というか・・・実のところは、翻弄されまくった。

あまりにも強烈過ぎて、刺激を受けましたー、とか影響されましたーの度合いでは無いのだ。
そんなのは「当たり前」過ぎてチャンチャラ笑っちまう程度、現場においては、正しくジャイアントスイング並みのブンブンに振り回されたのであった。
そりゃそうだ。
当時俺は学生だったし、彼等は30代の現役というか、今正に全開ブンブンという時期でもあった。

社会というか、そしてましてやミュージシャンの世界の話。

エネルギーのある奴だけが勝ち残っていくこの世界において、更に「行く!」奴等だもんだから、触れば火傷どころではない。

しかし、20代そこそこで、彼等に会う事が出来たのは、正しく幸運だったのだろう。

強力な漢・・・こんな劇物の代表みたいな男達・また音楽において純粋無垢の度合い120%?200%?の生半可ではない男達に出会えたのは、今だから言えるが、良かったのだ。
俺にとっては、自分が「何も無い事」が、正しく出会うことによって突きつけられた。

彼等の「己」という武器は、あまりにも強く・大きく・そして何より美しい。
命がけであるから、そうなのだ。
命を真っ当に「完全燃焼」させ続けようとさせていたからこその、美しさなのだ。

それに比べて、自分というもの=余りにも頼りなく・何も無く・ただ「行ってしまえー」だけしかなかった俺。
あまりのギャップに苦しみ・悶え、更に彼等に対しては尊敬の念を通り越して羨望の感すら抱いていた。
そりゃ、当たり前だよなぁ。
20代のガキなんて、始めのうちはバカにされ、こてんこてんにやられるのが関の山だもんな。
だから、その「される相手」が、純粋度200%みたいな男達だったのが良かったのだ。

んなチョロいセコイ・その辺によくいるクダラナイ輩ではない、最低なんだけど最上級な男達。

己と相対するが故に、弱さ・モロさも周りに構うことなくガンガンぶちまき散しながら、己と世間に勝負し続けている姿。
これが男なんだ・・と実感した。

俺の中の、それまで自分で構築していた「自分らしさ」など跡形も無く消し飛んで、というか徹底的に破壊されたと言っていい。
これには面食らった。
自分のよりどころである、か弱くもの自分というものが、ぶち壊されてしまった訳だ。

その自分というものを再構築出来るきっかけを得るまで、約10年かかった。

で、今の俺は、俺自身で勝負しなければならない。
当然だ。
その「自分」というものは、考えてみると「過去の自分」と基本は同じであることを気付かされる。

だが、あの「自分の破壊・そして再構築」という経験を得られたかどうか?で、今の自分は全く違っていたと思うのだ。

若いときは、自分らしさなんかに「拘っていてはダメ」なのだ。
そんなのは、自分ではない!
唯の思い込みだ!ということだ。

それは、現実と相対しなければ、絶対解らないことだ。

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