ここ最近の政治関係のゴタゴタ。
目に飛び込む、クダラナイ大本営のニュースやらポータルサイトのニュース欄やら。
ニュースの出所は、殆ど一つから統制・操作されて出てきていることを感じない人が多い気がする。
これほどまでに馬鹿らしいことは無いのだ。
何をもってそう言えるのか?
自分自身、そして人を基準に考えたら、解るのではないか?
そのセンサーも劣化しているのだろうか?
もうかれこれ20年も前のこと。
IMAバンドで、何回も欧州やら世界各国を演奏して廻る機会を頂いた。
そこで感じたことは、自分の国というものが、何やら目一杯ブン回っているのだが、何故かどうしても何処かが貧しいということだった。
これは、物質やら金のことではない。
人の生きる有様のことだ。
物心ついてから今まで、それが大きな疑問であった。
ガイコクとやらを見たら、その感が強まった。
人を大事に扱わない政治やら企業やら団体やら組織やら個人やら・・!
65年前の戦争で酷い目にあって、そして何とかして立ち直ろうとした自分の両親達が目指した先とは何か?
言ってみれば、人間が気の遠くなるような時間をかけて、未だ到達出来ない「生きてて良かったと思う世の中」に何故なれないか?
このことについて、一つ疑問が解けかかっている。
その考え方のフィルターを通して見たら、解ってきた事もある。
それは、宗教やら主義とか誰かを崇め奉るとかという類では全く無い。
でもそれでも単なるフィルターであるということは、自覚しているつもりだ。
この先、どんな事があっても「諦めない」つもりだ。
そのことを自分に課すつもりだ。