Thursday, December 24, 2009

音楽に感謝

音楽に感謝する。

なーんて、そんなことは、ナンなんだ?っていったって、解らない。



いや、ただそう思った。



あの事件後、絶対安静の生死の境を彷徨った状態から、ようやく抜け出した数ヵ月後、傍らにあったギターを弾いた。

それこそ夢中だった。

あの、何ともいえない「あの感じ」がやってきて、それを逃さぬよう、それを「もっとだ!もっと!」と思いながら弾き続けた数時間。
休憩することすら、もったいなかった。
休憩する暇も無かった。

あっという間に、時は過ぎて、そこで改めて実感したのは「ギターが弾ける」という確信だった。

「ギターが弾ける」。



ただそれ以外は、出来ないかもしれなかった。


でも、それでもよかった。本当にそう思ったのだ。



あの一心不乱にギターを弾き続けた、あの瞬間から自分の再生を確信したのかもしれない。


だから、ギターが無かったとしたら、きっと未だ闇の中で彷徨っていただろう。



病室のベッドの上で、絶え間なく襲ってくる強烈な吐き気と頭痛の数日間。

思い起こせば、その数日間も「必ずギターを持ち、ステージに返り咲いてやる!」と声にならない声で叫び続けていた。

どうして?とか何故自分がこんな酷い目に遭わなくてはならないのか?等とは、不思議と思わなかった。
ただ「まいったなあ~」だけだった。
それと、「とりあえずでいいから、この吐き気と頭痛だけ無くなってクレイ!」と思っていた。



ギターが無かったら?と「タラレバ」を言っても始まらない。

ただ、瀕死の状態であったあの時、俺にはギターと自分がプレイする音楽への狂った?執拗とも言える欲求があった。
それが、あってよかったのだ。悩むということが無かったのだ。



吐き気に苛まされながらの「必ず食ってやる!」と「ステージに返り咲く!」音楽・ギターへの欲求。



この二つは、俺にとって云わば「生きる欲求」に他ならなかった。そのものというものだろう。

それは、単なるカネを儲ける手段などではない。
カネを儲ける手段なら、音楽なんてものは「そんなもの」には成り得ない。
見返りなど求めても「音楽」そのものから、そんなもの・ご褒美などある訳が無い。
献身の果てに、在るか無いか?それすら確証など無い。
たとえそれが「大天才」であったとしてもだ。
確証など、無い。

だから、確実な安心を欲する者は、音楽など手にしてはならないのだ。

それ程の覚悟が必要なのだ。



そこまでやれば解る。

やらない輩には、解る訳が無い。
無理も無い。
自分の人生?を棒に振る覚悟が、先ず求められるのだから。



運がいい者は、職業として成立するだろう。

だからといって、運が無くても「それでもいい」と思える者などいる訳が無いだろう。
人間だものな。



求道者?

解らない。



解るのは、少なくとも俺は、「オオバカ」ということだけだ。



ただ、俺は今も生きている。

それを実感出来る。



その瞬間を実現する一瞬が在るということ。



それは、感謝するってもんだろう?

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