何故音楽・ギター弾くの?っと、自分自身に問い掛けてみる。
明解な理由・・・「好き」だから?
やらずにはいられない衝動に突き動かされているから?
はたまた、これしか出来ないから?
多分そんなところだ。
その瞬間は、パラダイスでもあり、また地獄?をも見る。
ある意味、リスキーなことばかりといってもいい。
この世の中なんて!という物言いは、解ってないくせに断言など出来ないシロモノだ。
でも大方、人が行動することは、特にリスクを背景に持ちながら行動することは、その結果「利益」を得る為に・・・という目的だろうか?
利益=お金である。
お金があれば・・ね~、何でも出来ちゃう錯覚に囚われる。
んま~、何事も「金で買える」と思い込まされてしまっているよね。
音楽に身を投じることは、甚だリスキーなことだ。
それが当たり前といえば、当たり前。
「儲かる」ことは、結果そうなれればゴロウジロ?ってんですか?つまり、儲かるなんてのは、2の次3の次で、「儲かる」ことをしようとして、それが音楽という手段?というのは、違うのではないか?
な~んていったって、オレだって儲かりたい!
でもね!
オレがそうだ!ということでは全くないが、「ベートーベン」大先生や「バッハ」大先生とか、解りやすい人達を例に挙げたとしてみよう。
彼らの人生は、儲かってウッハウハ!の人生だっただろうか?
ジミヘンやボブマーリーしかり・・・
そりゃ、ゲットーの他の人達とは(あえて)多少違うかもしれないだろう。
でも、想像するに多大な苦労とか、命の燃焼を代償として音楽に立ち向かっていったのではないか?と思う。
カートコバーンしかり。
マイルスデイビスしかり。
多くの巨人達は、それをしてきた。
正に「命がけ」で。
クダラナイ資本の搾取にささやかな抵抗しか出来なかったにせよ、己の命を燃やし続けた結果が、そうだったのだ。
資本とはクダラナイものだ。
その命を食い物にしてきた。
音楽の本質・・・そのクダラナイ資本より、更にエゲツナク「命」を喰らう。
それを捧げ物として、当然の如く要求する。
それを差し出しても、成功という保証など一切しない。皆無だ。
人間のいうところの「成功」などというものを保証などしないということだ。
ただ、音楽はあくまでも「寡黙」。
そいつが、その領域まで来られるかどうか?を
黙って見続けているだけだと思う。
資本がオゾマシイのは、その命懸けの者を更に「食い漁る」ということだ。
それを徹底的に利用することだ。
そして旨味のほとんどをかっさらっていく。
世界中のゲットーの人達は叫び続けてきた。
「音楽かスポーツでスターになるしか、ここからは出られねえんだ!」
そうだよな。
切羽詰っているよな。
ステージに起つ者。
彼等にどんな背景があるかは、解らない。
売れている・そうでない・・そういった状況でも、何故にステージに起つのか?
クダラナイゴシップ・薄汚い背景・壊れた人格・最低の性格・・それらを剥き出しにしながらも・・・
でも何故にステージに起つ?
己が放った音は、自分自身からも自由になり虚空に溶けていく。
あわよくば、それが昇華されるものにならんことをと、願うからなのだろうか?
もしかしたらオレは、そう思っているかもしれない。
これは、シュウキョウなんかじゃあねえんだ!
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