Tuesday, June 17, 2008

彼の言葉

最近、ギターマガジンに掲載されていたギタリストの「ワーワーワトソン」のインタビューを読んだ。
インタビューワーの某氏の意向と関係なく、独白のような感じだったという。
その文章を読むに、確かにそんな感じだ。
というより、哲学者の話・もしくは歴史の語りべの話を聞いているような感じといおうか。
彼「ワーワーワトソン」氏の生きていた言葉であった感がある。

その言葉の中で、最も印象深かったセリフがある。
勿論その言葉は、彼の語った言葉の意訳でもあるし、インタビューを直接聞いてリアルに感じたものでは無いし、そういう意味で正確なものでもないだろう。
しかし俺は、その言葉に、書店で立ち読みしていたニモカカワラズ、「イエイ!」と反応してしまった。

曰く「俺は、苦しみを乗り越えてきた。グルーヴにハマッテいるからな。」

インタビューの語りの流れがあるので、ここだけをピックアップしても、ピンとはこないであろう。
でも、俺はとても感銘を受けた。
何回も読み直して、感動しまくってしまった。

彼は、自身でも言っているように、リズムギタリストだ。
ここで俺が、多くの言葉を飾り立てようとしても何の意味も持たない、偉大なギタリストだ。

リズム・・・

一般的には、音楽の三要素というのだろうか?
メロディ・和音・リズムといった認識をされているのだろうか?
思うに、この三要素というものの中で優位性があるのは、一般的にはメロディと思われているように感じる。
そして、メロディを補佐するものとして、和音でありリズムであるとの認識のように感じる。
そうなんだろうか?
それに対しては、違和感を持っている。
音楽とは、何か?という、普遍的な大きな命題に俺のような稚拙な者が、解ったような事は言いたく無い。
だがあえて言うならば、思うにリズムとはベーシックなものと捉えられているから、その重要性が目立たないのだろう。
ベーシックであるし、そして「いい感じ」を出現させることの出来る、大きな力でもある。
むしろ、リズムというものが、音楽を音楽とする大きな力の一つだと思っている。

メロディ・和音が変化していくには、流れが必要なのだ。
音が生きていくには、時間軸の経過・変化が必要なのだ。
時間軸の経過・変化そして流れが無ければ、音は成立しないのではなかろうか?
つまりは、リズムに支配されている・・と思う。
例えば、あるメロディを歌うとしよう。
音程を変化させるには、リズムが無ければ出来ないでしょう?
変化させなくても、同じ音程で出し続けても、音の長さ・つまりは「リズム」が無いと出来ない。
同じように、和音にしても同様なこと。
一般的には、リズムが感じられないとする「雅楽」にしても、一拍という「解りやすい決まったテンポ」というものではないが、音の長さ・つまりリズムがある。
だから当たっているかどうかは知らないが、あえて支配という言葉を使った。
でも、コンピューターでさっさと打ち込んでリズムを作ることも出来る。
では、それが「いい感じ」を持っている音楽となるか?
そうはいかない・・っというのが、音楽の厳しいハードルだ。
どれもこれも切り離して考えるものではないが、パーツ(なんて考えるのはアホだけれど)で捉えるならば、音色をどうやってリズムにするか?というのか。

というところで、行き詰まってしまった。
「何か」をブチ込まないとダメなんだよな。

こんなことを解ったように言いたくないんだが、どうしても避けて通れない。
何が言いたいのかというと、リズムに対する認識の不足感というのか?
つまりは、例えばリズムセクションに対しての思われ方が不足に感じている。

でも、ワトソン氏曰く、「それでいいんだ。」と。

「いい!」と思ってくれれば、それが全てだと、その為に俺はプレイすると氏は言う。

その献身というのか?

その思いの片鱗を彼の言葉に垣間見た気がした。

先日、惜しくも亡くなってしまったボ・ディドリー氏の映像を見た。
彼のギターのリズムは、とてつもない。
ギター云々という次元ではない。
ワーワーワトソン氏のリズムギターにも、「それ」を感じてしまう。

向かう処。

俺の行きたいトコロは、「そこ」なんだ。

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