たまにやってしまうこと。
物を落とす。忘れ物。
つい昨日のことだ。
たぶんギターを教えている教室の前のタバコを吸えるスペースにて、財布を落とした。
ってのも、その後授業に入ろうとして、ピックを財布に入れているので、財布を探したら「無い・・・!」となったので、焦りまくって自分がいた場所を探し回った。
で、発見出来ず、近くの交番に「財布落としましたー・・」
っと届けを出しに行ったら、おまわりさんの机の上にワタシの財布があーるじゃありませんかっ!
「財布落としました・・・って、それです!!!!」と指差して「あったー!」と喜んだですが・・・
おまわりさん・・クールに「あ、そう。じゃあ手続き上これ書いて」
っと、遺失物届け書なるものを書かされる。
ま、それはそれでいいのだが、何やら変な雰囲気だっち!
何故だ?????
あー、勝手に思えば、普通ね、落とした財布を交番行ってそこにあったら、喜ぶですよ!
あったあった!よかったー!とね。でしょ?
それで、交番のオマーリさんだって、「ダメだよー!落としちゃあねー。で、中に何入っているの?」
「あー、そうね、おー免許証があるねー。ハイ、本人確認オッケー。じゃあ気を付けるんだよ!」
・・・とかいって、フレンドリーに済むというか・・・
遺失物届けを書きたくないってんじゃあ無いのだね。
オカシイと感じた雰囲気とは・・・
全くフレンドリーじゃあないのだだだだ・・・!
俺を見て、明らかに不審な輩と思っている・・という雰囲気なのだ!
当事者が見つかって喜んで・・ていうんではない!
明らかに「残念がっている?」ような?
「こいつ何だ?」みたいな・・雰囲気。
すかさず頭に血が上り始めたのを必死の思いでこらえて、「お世話になりました・・」と、取りあえず言ってやった。
で、俺が遺失物届けを書いていると、オマーリが俺に「どんな財布?」って聞くから「ああ、紺の布製の・そこにある奴ですよって・・・あれ?何処に行った?」ってもんで、俺が書いている机のすぐそこにあった財布が無い!!!
別室で中身を調べてやがる!!!!
バーロー!更に頭に血が上る上る!
俺は、クリーンだっつーの!ヤバイもんは持ってねえし!使ってねえし!やらないし!それ嫌いだし!
財布の中には免許証とか健康保険証とか入っているし、免許の写真見れば、すぐ本人確認なんて出来るだろーが!!!!
「中に免許証が入っているから、写真で本人確認出来ますよね!!!」と言ってやったが、黙ってやんの!!!
ってことは、明らかに「不審者」として見られて、財布の中身を調べたってーことだぜ!!
フ・ザ・ケ・ン・ナ!!オマーリ!!!
っていうか、そんなに不審者って見られるような風体だったのか?俺???
まー、俺の財布を拾ってくれた善良な人には、すごく感謝します。ありがとうございました!
が、
オマーリは、嫌いだ!!!
テメエら、俺の事件(俺は被害者だった。念の為)の時ナンザ、ろくに仕事しねえじゃねえか!!!
ろくに調べもしねえで、捜査本部?人員なんか即効で削除・・てか、すぐ無くなっていたもんな!
犯人のモンタージュ作成が、事件後1年半後だぞ!!そんなもん、犯人逃げるわ!とっくにいねえぞ!
肝心な時には何もしねえで、ろくでもねえ余計なことをするってか???
だから、テメーラ嫌いだぜ!!
市民の味方じゃあねえじゃんか!!!ばーろー!!!
Friday, July 31, 2009
Monday, July 27, 2009
乗物・・音
先日、街を歩いていたらAVギャル・・じゃあねえ!EV・・電気自動車って奴に出くわした。
出くわした・・って、ただ見かけたってだけです。。。
このAV・・しつこい、EVってのが、とあるメーカーの軽自動車の車体を流用しているやつなんだが、いやー凄いね!何が凄いってねー。
「音」がしない!!!!
これビックリです!!!
本当に「スゥー・・・」って感じ。いやはやビックリしました。
こんなになってしまうんだ・・・と、ある種の感動すら覚えたのでありました。
本当に久しぶりに「未来」を感じた・・というのかな?そんな感動でしたねー。
しかし、音ですよ。
EV・電気自動車に「音」付けろ・・ってのも、ヤボな話だと思うが、レシプロエンジン・・まーガソリンで走る車とか、こうなってくると懐かしさというか?そんな気持ちを持ってしまう。
国産車でもって、車の音?排気音というかエンジンが動いている音で好きな車を考えてみた。
先ず思い浮かべたのが、スバルの音。
商用車のサンバーの音(フォロローっていう)も好きなのだが、古くはスバル1000から現行モデルの水平対抗エンジンの音ってのが、結構好きなんだね。
それとディーゼルエンジン。
後は、正直、印象が無い。
たまに見かけるバブル丸出しフェラーリの「次の信号までフルスロットル(しないだろうけど)」の甲高いエグゾーストノートに、やはり「いいなー・・」なんて思ってしまう。
1960年~1970年位の湘南には、けっこう外車が走っていて、スティングレイだぁアストンマーチンやらロータスやらが記憶に残っている。
スポーツカーと呼ばれていた、そういった派手な車は、音も派手・・というか、それなりの自己主張があったように思う。
まあ、あの高度成長期からいろんな規制がかかって、騒音規制ってのも相当キツクなったはず。
聞いた話だと、かつてのアルファロメオ?だったかは、マフラーが走行中に簡単に?外れようとも、「この音がいいのだ!」と、メーカーはこだわり続けた・・というそうな。
さすが!ラテン!
悦楽でやんす。
まあ、今のご時勢ですと、そんなことは言ってられなくなっちゃった。
エンジンで走る・・そして音が重要となると、「バイク」ってのは、そこんとこヨロシク!ってなもんだ。
まあ、自分の好みっていうと、これまた古い・・え?古くなっちゃうのか?って、自分で書いていながらビックリしちまったが・・・
バーチカルツインやシングルの音・・それも600cc以上の排気量のバイクの音が好き。
トライアンフやカワサキW1やらヤマハのXS650とか。
でも最近には、あのロングセラーを続けていたヤマハSR400も製造終了となったらしい。
で、復刻して「やったー!」と思ったのもつかの間でカワサキのW1が同じく製造終了ときた。
これにはビックリするやら淋しいやら。
排気ガスの規制強化でもって、エンジンの型式が規制に対処出来ない為らしいけれど、残念ですな。
この乗物・・・乗用車・スポーツカー(っていうのか?)・それにバイクは、考えてみればガソリンで走っていたのだが、そのガソリンで走るってのを止めて、行く行くは全部電気ってことになるんだろうね。
CO2の排出云々だし、エネルギー云々だしね。
話は変わるが、先日の「皆既日食」。
凄い!
皆既日食の真下のところでは、完全に太陽が隠れると気温が4度位下がるということらしい。
いやー!太陽ってのは、今更なんだが「凄い!」と思ったね。
ちょっとお隠れになっただけでも風は吹くわ気温が下がるわ真っ暗闇になるわで、とんでもないエネルギーだってことだよな。
だから未来を考えるとなると、結局地球が太陽の恩恵を受けている事実というのを模倣していくというのが、一番いいと思うがな。
そこにある、降り注いでいる膨大なエネルギーを備蓄して使うという方法こそが、目指す方向だと素人ながら単純に思うのでありんす。
つまりは、太陽光発電・波動発電・風力発電・地熱発電でもってエネルギーを供給していくのがいいと思う。
そして首都高速道路・東名・名神高速道路や主要幹線道路に「踏むと発電」するやつをビッチリ埋め込むとかね。
おおお、電車の線路の下にも埋め込もう。
人がいっぱい歩くところにもガンガン埋め込んでいったら、エネルギーの問題は、結構クリアしてくる感じがするんですがねえ。おっと、最近の異常気象ってもんだから、カミナリ様のエネルギーもありがたく頂いちまえ!出来ねえかな・・どうだろか?はい、素人発想ですよ!
そのあらゆる所から寄せ集めて発電した電力でもって、自動車にしてしまえ。
まー、バッテリーの性能やらリチウムの資源の問題やら、物を製造するには石油を使う・・・CO2ってのもあるけれど・・・
もうガソリンには、オサラバっていう時が来たのかもね。
で、関係ないけれど、読み直してみたら、冒頭の「街歩いていたらAVギャル・・に」って、
本当に遭遇してみたいもんだぁっつう・・・だから「乗物?いや乗られるモノ?それに音って??」・・・・・
ショーモナイ事を思ってしまったワタクチでありました。ご放念くださいませ!
しかし、落ちねえオチってのは、苦しいねえ・・・おあとがよろしいようで。
出くわした・・って、ただ見かけたってだけです。。。
このAV・・しつこい、EVってのが、とあるメーカーの軽自動車の車体を流用しているやつなんだが、いやー凄いね!何が凄いってねー。
「音」がしない!!!!
これビックリです!!!
本当に「スゥー・・・」って感じ。いやはやビックリしました。
こんなになってしまうんだ・・・と、ある種の感動すら覚えたのでありました。
本当に久しぶりに「未来」を感じた・・というのかな?そんな感動でしたねー。
しかし、音ですよ。
EV・電気自動車に「音」付けろ・・ってのも、ヤボな話だと思うが、レシプロエンジン・・まーガソリンで走る車とか、こうなってくると懐かしさというか?そんな気持ちを持ってしまう。
国産車でもって、車の音?排気音というかエンジンが動いている音で好きな車を考えてみた。
先ず思い浮かべたのが、スバルの音。
商用車のサンバーの音(フォロローっていう)も好きなのだが、古くはスバル1000から現行モデルの水平対抗エンジンの音ってのが、結構好きなんだね。
それとディーゼルエンジン。
後は、正直、印象が無い。
たまに見かけるバブル丸出しフェラーリの「次の信号までフルスロットル(しないだろうけど)」の甲高いエグゾーストノートに、やはり「いいなー・・」なんて思ってしまう。
1960年~1970年位の湘南には、けっこう外車が走っていて、スティングレイだぁアストンマーチンやらロータスやらが記憶に残っている。
スポーツカーと呼ばれていた、そういった派手な車は、音も派手・・というか、それなりの自己主張があったように思う。
まあ、あの高度成長期からいろんな規制がかかって、騒音規制ってのも相当キツクなったはず。
聞いた話だと、かつてのアルファロメオ?だったかは、マフラーが走行中に簡単に?外れようとも、「この音がいいのだ!」と、メーカーはこだわり続けた・・というそうな。
さすが!ラテン!
悦楽でやんす。
まあ、今のご時勢ですと、そんなことは言ってられなくなっちゃった。
エンジンで走る・・そして音が重要となると、「バイク」ってのは、そこんとこヨロシク!ってなもんだ。
まあ、自分の好みっていうと、これまた古い・・え?古くなっちゃうのか?って、自分で書いていながらビックリしちまったが・・・
バーチカルツインやシングルの音・・それも600cc以上の排気量のバイクの音が好き。
トライアンフやカワサキW1やらヤマハのXS650とか。
でも最近には、あのロングセラーを続けていたヤマハSR400も製造終了となったらしい。
で、復刻して「やったー!」と思ったのもつかの間でカワサキのW1が同じく製造終了ときた。
これにはビックリするやら淋しいやら。
排気ガスの規制強化でもって、エンジンの型式が規制に対処出来ない為らしいけれど、残念ですな。
この乗物・・・乗用車・スポーツカー(っていうのか?)・それにバイクは、考えてみればガソリンで走っていたのだが、そのガソリンで走るってのを止めて、行く行くは全部電気ってことになるんだろうね。
CO2の排出云々だし、エネルギー云々だしね。
話は変わるが、先日の「皆既日食」。
凄い!
皆既日食の真下のところでは、完全に太陽が隠れると気温が4度位下がるということらしい。
いやー!太陽ってのは、今更なんだが「凄い!」と思ったね。
ちょっとお隠れになっただけでも風は吹くわ気温が下がるわ真っ暗闇になるわで、とんでもないエネルギーだってことだよな。
だから未来を考えるとなると、結局地球が太陽の恩恵を受けている事実というのを模倣していくというのが、一番いいと思うがな。
そこにある、降り注いでいる膨大なエネルギーを備蓄して使うという方法こそが、目指す方向だと素人ながら単純に思うのでありんす。
つまりは、太陽光発電・波動発電・風力発電・地熱発電でもってエネルギーを供給していくのがいいと思う。
そして首都高速道路・東名・名神高速道路や主要幹線道路に「踏むと発電」するやつをビッチリ埋め込むとかね。
おおお、電車の線路の下にも埋め込もう。
人がいっぱい歩くところにもガンガン埋め込んでいったら、エネルギーの問題は、結構クリアしてくる感じがするんですがねえ。おっと、最近の異常気象ってもんだから、カミナリ様のエネルギーもありがたく頂いちまえ!出来ねえかな・・どうだろか?はい、素人発想ですよ!
そのあらゆる所から寄せ集めて発電した電力でもって、自動車にしてしまえ。
まー、バッテリーの性能やらリチウムの資源の問題やら、物を製造するには石油を使う・・・CO2ってのもあるけれど・・・
もうガソリンには、オサラバっていう時が来たのかもね。
で、関係ないけれど、読み直してみたら、冒頭の「街歩いていたらAVギャル・・に」って、
本当に遭遇してみたいもんだぁっつう・・・だから「乗物?いや乗られるモノ?それに音って??」・・・・・
ショーモナイ事を思ってしまったワタクチでありました。ご放念くださいませ!
しかし、落ちねえオチってのは、苦しいねえ・・・おあとがよろしいようで。
Monday, July 13, 2009
ジミがやろうとしたこと
今年は、あのウッドストックから40年目という年らしい。
某音楽雑誌の表紙にウッドストックでの「ジミ」の写真。
思わず買ってしまった。
もー、この雑誌もなんというか、俺等以前の世代?のギタリストを繰り返し特集しているのがおかしい。。っていうか、そうせざるを得ないのかもね。
まあ、それはいいや。
で、ジミがあのウッドストックに出演して、歴史的な演奏をした周辺事情のルポが、興味深かった。
あの時、ジミは何をしようとしていたのか?
ジミのことを解ろうとすると、まあ解る訳が無いのだが、やたら秘密が多い気がする。
それまでの事を勝手な想像・妄想で言ってしまうのは危険なんだが。
自分でも解らない・持て余すほどのエネルギーを持っていたジミ。
イギリスに渡り、時代の寵児となって混沌とした空気を突き抜ける存在になってしまった。
奴のエネルギー・・自分自身のあらゆるエネルギーが、あの大爆音を伴う時代を象徴するギターサウンドとなって世界に放出され、そのエネルギーをまともに食らった聴衆は、その強力なエネルギーに吸い寄せられ、おのおのの勝手な想い(マイナスなものも含まれる)をジミのサウンドに同化しようとある種の勘違いのようなエネルギーをジミに送ってしまった。
エクスペリエンス時代のジミ。
自分の想いとかけ離れた聴衆のエネルギーの塊が、ジミを容赦無く襲っていった。
自分自身のかけがえの無いエネルギーであったが、それを観客の期待にそおうとし、予定調和として演じなければならない・・というジレンマに陥ったのかもしれない。
そしてジミは、疲れていった。
でも、ジミは次のことを模索した。
音楽の更なる深み・更に突き抜けようとする音に到達すべく道を模索していたに違いない。
そのサウンドの提示の試みが、あのウッドストックでの「ジプシー&レインボウ・バンドオヴジプシーズ」だったのかもしれない。
興味深いのは、複数のパーカッションともう一人のギタリストの登用。
そこにジミならではの、次の次元に向かおうとするアイデアがあったように思う。
その動機。そこが重要だと記事を読んで感じた。
その「ジプシー・・」のメンバーであったパーカッションプレイヤーの一言が気になった。
曰く「ジミは、民族音楽に興味を持っていた・・・」
それでジミは、ウッドストックの行われる数日前にリハーサルをすっぽかしてモロッコに数日間過ごしたらしい。
そして前記のパーカッションプレイヤーとアコースティックで模索していた様子を彼曰く「なんというか、ウェスモンゴメリーというかセコビアというか、明らかにモロッコの影響がある感じのことをやっていた」と。
モロッコといえば、俺の記憶が正しければ「グナワ」発祥の地。
あのミステリアスなビート・グルーヴにジミは触れたのかもしれない。
勿論、それだけではなくあらゆる音楽を吸収しようとしていたのだろう。
あらゆる民族音楽。
それはきっと、その様々な土地にそれぞれ生き続けた人々の深淵なる想い。
その、いろんな民族音楽(生き続けた人々の想い)の「音」が向かおうとした「方向性の共通項」をジミは、その繊細な感受性で感じ取っていたのではないか?自分も「それ」との共通項を感じ取っていたのではないか?
それを自身の音楽にぶち込もうとしたのではないか?
そして、それを発射台にして、更なる高みへと臨もうとしたのではないか?
ウッドストックでのバンドとしての演奏は、あまり成功したとは結果として言えなかった。
しかし、それをトライしようとした形跡は、物凄く悪い録音状況(全ての楽器を捕らえていなかった)下で、僅かながらの片鱗を聴くことが出来る。
それもほんのごく一部に過ぎないのだが。(例えばもう一人のギターとの絡み具合とか)
ドラマーのミッチ・ミッチェルが、彼の手記で「ジミにリズムギタリストが必要とは思えない」とか、「複数の打楽器奏者がいる場合、難しいことになる。あれもそうだった」と言っていたらしい。
確かに「腕が立つ」とか「楽器が上手い」連中を集めただけでは、ケミストリーというか、マジックは生まれない。
マジックは、思うに本当に奇跡的な「組み合わせ」の成せる技だと思う。
結果、ウッドストックでのバンドは、そうではなかったということか?
ジミに、今思えば、時間が足りなかった。
よく言われていることで、ジミがエクスペリエンス以降志向したのが「ある種の共同体のような・・」ものだという。
それはきっと、音楽での理想郷というか?
いろんな音が単なる自己主張ではない、といって完璧にガチガチに構築されたものでない、共同体のようなものであったのか? それはきっと絶妙なバランスでもって初めて成り立つ音楽?
しいて誤解を恐れずに言えば、「地球に生き続けようとする自分達の音楽」を目指そうとしたのではないか?
そのヴァイブをエレクトリックでブーストして、地球をそっと包み込もうとしたかったのではないか?
やりたかった音楽は、音楽そのものが向かうところに対しての徹底した献身のなせる「音楽」だったのかもしれない。
そんなことを具現化出来るミュージシャン達との出会いが、ジミは欲しかったのだろうか?
そう思えてならない。
では、俺は?
プランが実行出来るか?は、解らない。
が、それをしようとするだけだ。
某音楽雑誌の表紙にウッドストックでの「ジミ」の写真。
思わず買ってしまった。
もー、この雑誌もなんというか、俺等以前の世代?のギタリストを繰り返し特集しているのがおかしい。。っていうか、そうせざるを得ないのかもね。
まあ、それはいいや。
で、ジミがあのウッドストックに出演して、歴史的な演奏をした周辺事情のルポが、興味深かった。
あの時、ジミは何をしようとしていたのか?
ジミのことを解ろうとすると、まあ解る訳が無いのだが、やたら秘密が多い気がする。
それまでの事を勝手な想像・妄想で言ってしまうのは危険なんだが。
自分でも解らない・持て余すほどのエネルギーを持っていたジミ。
イギリスに渡り、時代の寵児となって混沌とした空気を突き抜ける存在になってしまった。
奴のエネルギー・・自分自身のあらゆるエネルギーが、あの大爆音を伴う時代を象徴するギターサウンドとなって世界に放出され、そのエネルギーをまともに食らった聴衆は、その強力なエネルギーに吸い寄せられ、おのおのの勝手な想い(マイナスなものも含まれる)をジミのサウンドに同化しようとある種の勘違いのようなエネルギーをジミに送ってしまった。
エクスペリエンス時代のジミ。
自分の想いとかけ離れた聴衆のエネルギーの塊が、ジミを容赦無く襲っていった。
自分自身のかけがえの無いエネルギーであったが、それを観客の期待にそおうとし、予定調和として演じなければならない・・というジレンマに陥ったのかもしれない。
そしてジミは、疲れていった。
でも、ジミは次のことを模索した。
音楽の更なる深み・更に突き抜けようとする音に到達すべく道を模索していたに違いない。
そのサウンドの提示の試みが、あのウッドストックでの「ジプシー&レインボウ・バンドオヴジプシーズ」だったのかもしれない。
興味深いのは、複数のパーカッションともう一人のギタリストの登用。
そこにジミならではの、次の次元に向かおうとするアイデアがあったように思う。
その動機。そこが重要だと記事を読んで感じた。
その「ジプシー・・」のメンバーであったパーカッションプレイヤーの一言が気になった。
曰く「ジミは、民族音楽に興味を持っていた・・・」
それでジミは、ウッドストックの行われる数日前にリハーサルをすっぽかしてモロッコに数日間過ごしたらしい。
そして前記のパーカッションプレイヤーとアコースティックで模索していた様子を彼曰く「なんというか、ウェスモンゴメリーというかセコビアというか、明らかにモロッコの影響がある感じのことをやっていた」と。
モロッコといえば、俺の記憶が正しければ「グナワ」発祥の地。
あのミステリアスなビート・グルーヴにジミは触れたのかもしれない。
勿論、それだけではなくあらゆる音楽を吸収しようとしていたのだろう。
あらゆる民族音楽。
それはきっと、その様々な土地にそれぞれ生き続けた人々の深淵なる想い。
その、いろんな民族音楽(生き続けた人々の想い)の「音」が向かおうとした「方向性の共通項」をジミは、その繊細な感受性で感じ取っていたのではないか?自分も「それ」との共通項を感じ取っていたのではないか?
それを自身の音楽にぶち込もうとしたのではないか?
そして、それを発射台にして、更なる高みへと臨もうとしたのではないか?
ウッドストックでのバンドとしての演奏は、あまり成功したとは結果として言えなかった。
しかし、それをトライしようとした形跡は、物凄く悪い録音状況(全ての楽器を捕らえていなかった)下で、僅かながらの片鱗を聴くことが出来る。
それもほんのごく一部に過ぎないのだが。(例えばもう一人のギターとの絡み具合とか)
ドラマーのミッチ・ミッチェルが、彼の手記で「ジミにリズムギタリストが必要とは思えない」とか、「複数の打楽器奏者がいる場合、難しいことになる。あれもそうだった」と言っていたらしい。
確かに「腕が立つ」とか「楽器が上手い」連中を集めただけでは、ケミストリーというか、マジックは生まれない。
マジックは、思うに本当に奇跡的な「組み合わせ」の成せる技だと思う。
結果、ウッドストックでのバンドは、そうではなかったということか?
ジミに、今思えば、時間が足りなかった。
よく言われていることで、ジミがエクスペリエンス以降志向したのが「ある種の共同体のような・・」ものだという。
それはきっと、音楽での理想郷というか?
いろんな音が単なる自己主張ではない、といって完璧にガチガチに構築されたものでない、共同体のようなものであったのか? それはきっと絶妙なバランスでもって初めて成り立つ音楽?
しいて誤解を恐れずに言えば、「地球に生き続けようとする自分達の音楽」を目指そうとしたのではないか?
そのヴァイブをエレクトリックでブーストして、地球をそっと包み込もうとしたかったのではないか?
やりたかった音楽は、音楽そのものが向かうところに対しての徹底した献身のなせる「音楽」だったのかもしれない。
そんなことを具現化出来るミュージシャン達との出会いが、ジミは欲しかったのだろうか?
そう思えてならない。
では、俺は?
プランが実行出来るか?は、解らない。
が、それをしようとするだけだ。
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