Monday, August 27, 2007

言いたいんだ。

俺は、言いたい。
何を?

「こんな奴等のように絶対にならない!」
それは、思い過ごしであって欲しいとも思う。
だが、その噂は前から耳にしている。
そして、詳しく調べている訳では全く無いにしても、ある道筋をたどっていくと「それ」にぶち当たる。


神と悪魔の狭間で... http://cybervisionz.jugem.jp/

このウェブの「何々ロックフェラーが語る・・」あたりを読んで欲しい。
当然のこと、ネットにはありとあらゆる情報?とは呼べないもののオンパレードだ。
常識?もしくは穿った見方が得意技のある一定の信者の輩から見れば、簡単に否定するだろう。
薄ら笑いを浮かべながら、「何も解ってない。勉強してないどころか、こういうことを信じてることが言語道断・クダラナイ!」と言い放つだろう。

俺は一切の宗教にも、ある一定の主義の信者でもない。

しかし常々不可思議に思っていたことは、どうして「思いやり」に欠けているどころではない人間がいるのだろう?ということだ。

勿論、他人様は勝手のカッチャン!
ヒトのことなどお構いなしに生きているのが、人間なのだろう。

しかし、人の命をなんとも思わない・虫けら以下にも思わない・・そんな連中が確実に存在する。

貴方の隣にも。
会社にも。
地域にも。
クニにも。
セカイニモ。

多くの場合信じられている事は、政治などの政は民主主義コッカだから、選挙によって民意によって決定されている・・と信じられている。
だが、それは余りにもアンダーグラウンド・・地下に蠢く「裏」の存在を感じ無さ過ぎる。

裏は裏に通づる。
蛇の道は蛇とは、よく言ったものだ。
奴等にとってコッカや国境など全く関係無い。意味が無い。
むしろ体よく身を隠せる都合のいい「もの」なのだ。
だから自分のクニの住民でさえ、人間と思ってない。
徹底的に利用し、搾り取るだけ搾り取ることしかアタマに無い。
後は邪魔になれば、消すしか思ってない?というよりそれが当然と思っている。
民主主義やら社会主義・共産主義なども、唯の「お題目」として利用している。
関係無いのだ。

あるクニが世界を支配する?
そうじゃあない!
クニが実体ではない。

その背後のある集団。
それが正体だろう。

そう考えれば、矛盾が解け、全ての辻褄が合うのだ。

連中は、いつも恐怖心・憎悪を煽る。
問題があるところに忍び寄り、そして、「事実」をでっち上げる。
戦争とは、でっち上げに他ならない。そのでっち上げに翻弄され殺されてしまうのだ。

全ては、自分達の利益の為に他ならない。
世界平和と偽る世界支配を目論み、そして実行しようとしている。
それは、ギリシャ・ローマの頃のように、一部の人間達の「完璧な自由」の為に、その他の人間を「完璧な奴隷」とすること。
金融・エネルギー・食料・科学・医学・強大な暴力装置(例えば軍隊)等・麻薬等を支配する連中が、その「一部の人間」なのだ。
だから人間の精神は、進歩などしていなく「退化」しているのだ。
そこにテクノロジーが、惜しげも無く投入されている。
クソッタレ!


先日、ある祭りにて自由?を体感した。

全く予定調和では成立不可能な混沌の中から偶然出現した「喜び」!

この「喜び」こそ、伝統というものだと思った。
形をそのまま継承することが「伝統」では全く無いとも思った。
俺達の祖先は、ファンキーだった!ということ。
参加者の多くが、無意識に登りつめてこそ辿り着ける?いやそれでもまだだ!もっとだ!でしか味わえないもの!
あの「雰囲気」そのものが、伝統だと思った。
一言で言えば、「開放感」そのもの。
これは金でなんかじゃ買えない!
経済効果・・・なんていうクダラナイもんじゃあない!
人々の日々の営みの末にあるもの。
それは、世界中のあらゆるところ・それぞれの人々のもとにあるのだろう。
こんな愛しいものを「ある一部の連中」に渡してなるものか!

喜びとは、なんて愛しいものなんだろう。
俺は、人間を好きでいたい。

Wednesday, August 22, 2007

男達・二人の師匠。

若い頃・・
今でも気分は「何が変わっているのか解らない」のだが、まー若いとは言えねえ歳になっている。
十代のガキの頃から「スゴイ奴に会いたい」と思っていたが、楽器をやり始め、そしていよいよプロの現場となったとき、その願い?は、突如訪れた。

もう何回も書いている内容でもあるが、あ?全部そーですねって・・まぁいいじゃないですか。
今から考えても、この二人のミュージシャンとの出会いは、強烈であった。

古澤良治郎と近藤等則

俺にとっての、とんでもない刺激というか・・・実のところは、翻弄されまくった。

あまりにも強烈過ぎて、刺激を受けましたー、とか影響されましたーの度合いでは無いのだ。
そんなのは「当たり前」過ぎてチャンチャラ笑っちまう程度、現場においては、正しくジャイアントスイング並みのブンブンに振り回されたのであった。
そりゃそうだ。
当時俺は学生だったし、彼等は30代の現役というか、今正に全開ブンブンという時期でもあった。

社会というか、そしてましてやミュージシャンの世界の話。

エネルギーのある奴だけが勝ち残っていくこの世界において、更に「行く!」奴等だもんだから、触れば火傷どころではない。

しかし、20代そこそこで、彼等に会う事が出来たのは、正しく幸運だったのだろう。

強力な漢・・・こんな劇物の代表みたいな男達・また音楽において純粋無垢の度合い120%?200%?の生半可ではない男達に出会えたのは、今だから言えるが、良かったのだ。
俺にとっては、自分が「何も無い事」が、正しく出会うことによって突きつけられた。

彼等の「己」という武器は、あまりにも強く・大きく・そして何より美しい。
命がけであるから、そうなのだ。
命を真っ当に「完全燃焼」させ続けようとさせていたからこその、美しさなのだ。

それに比べて、自分というもの=余りにも頼りなく・何も無く・ただ「行ってしまえー」だけしかなかった俺。
あまりのギャップに苦しみ・悶え、更に彼等に対しては尊敬の念を通り越して羨望の感すら抱いていた。
そりゃ、当たり前だよなぁ。
20代のガキなんて、始めのうちはバカにされ、こてんこてんにやられるのが関の山だもんな。
だから、その「される相手」が、純粋度200%みたいな男達だったのが良かったのだ。

んなチョロいセコイ・その辺によくいるクダラナイ輩ではない、最低なんだけど最上級な男達。

己と相対するが故に、弱さ・モロさも周りに構うことなくガンガンぶちまき散しながら、己と世間に勝負し続けている姿。
これが男なんだ・・と実感した。

俺の中の、それまで自分で構築していた「自分らしさ」など跡形も無く消し飛んで、というか徹底的に破壊されたと言っていい。
これには面食らった。
自分のよりどころである、か弱くもの自分というものが、ぶち壊されてしまった訳だ。

その自分というものを再構築出来るきっかけを得るまで、約10年かかった。

で、今の俺は、俺自身で勝負しなければならない。
当然だ。
その「自分」というものは、考えてみると「過去の自分」と基本は同じであることを気付かされる。

だが、あの「自分の破壊・そして再構築」という経験を得られたかどうか?で、今の自分は全く違っていたと思うのだ。

若いときは、自分らしさなんかに「拘っていてはダメ」なのだ。
そんなのは、自分ではない!
唯の思い込みだ!ということだ。

それは、現実と相対しなければ、絶対解らないことだ。

アタマグルグルで・・

アタマグルグルにて、いいことあったかどうか?
これが、全く無い!という断定に到った・・・って偉そうなこと言います。

もう何回めか?なんだすがー、ようやく「あー、いいことないなー・・」と実感出来た。

今更かい!っと自分で突っ込みたい!
で、やはり「あー・・俺ってアホ・・バカ・・・じゃん・・」なんですね。

結果的には、自分でアタマグルグルになって、グルグルとは、自分で自分の周りを尻尾噛んでグルグル回る・・・みたいな。
「何だこの野郎!誰だ!この尻尾は!お前か!ガブぅ!イテテ!待てー!イテテ・・」ということと、発見した訳だ。

これ、ちっともいいこと無しなのよ!

多少いいことあったら「甲斐」ってもんがあるのだが、「皆無」なんですね・・・

性格傾向に問題アリなのだが、これ自分の性格だからどうしようもない・・

しかし寝不足だけは、もうシンドクテだめなので・・・

どなたかのいい知恵を授かりたい気分なのだが・・

しかし、結局自分の問題なのです。

原因は、解っています。

それを克服するには、ガンバラナイト・・・が、ツキマトウ訳ね。

でも頑張りすぎは、逆効果にすぐなってしまうことを意識してないとね。

解っちゃいるけど止められねえ・・って、そりゃ俺、ビョーキかなあ?
ビョーキでもいいけど、あ!よくないし。

で、今日も「俺ってダメ・・」と落ち込むのです・・・

あーあ。

お?誰かの声が聞こえます。え?

「それって何だか知ってる?バ・カ・っていうんだよー」

だってぇー。オシマイ!

Monday, August 20, 2007

寝られない・・

このクソ暑さも重なって、寝られん!
寝られないというのは、相当にキツイ。
かつて寝られない日が続いた時には、もうどうしたもんだろか?と思った。
アタマパンパン。心臓バクバクしっぱなし。
退院まなしでもあったために、医者に薬もらってなんとか寝れたときには、正直助かった・・と思った。
ガキの頃から、遠足の前の日とか以外に寝られないなんて無かったのになあ。

あぁ、ワチシもオトナになったのねぇ?ですかい?

まー基本的にはアタマに爆弾抱えてるようなものだからなぁ。

しかし、これはいつの間にやらクセになっている。厄介なクセだ。

快眠・快食・快便・・・これ、快楽のまずは基本なり。
快楽追求を座右の銘にしている俺なのに・・

ちょいと昔は、俺は便秘気味で結構大変だったが、入院して「宿便」がオ出になってウソみたいに解消された。
食のほうは、これまた入院して断食状態一週間以上からの復帰でもって、食べるアリガタミを思う存分知らされた。

快眠・・・なのだ、問題は。

眠り・・以前は爆睡大魔王だったのに(要はストレスレス・・つまり鈍感!)今じゃあイッチョ前に?というか、過敏になっている傾向がある。
おいおい!いったいどうしたんだぁ?
音楽に対して敏感になった副産物・・・てなもんだったら、まだ許せる。

思い切り酒でもあびる優じゃあない、あびるように飲めたらいいのかもしれん。
(つまりませんなあ・・)
でも、こういうアタマグルグルの時には、酒ったってなあー、ドラッグ決めるようなもんだから?
え?いやいや知りませんよ!わたしは。。。
やけ酒のような飲み方ほど、気色悪いものはないだろう?
そのまえにゲーロゲロって簡単になっちまうし、ゲーロゲロは、これまた入院中に嫌だ!といっても聞いてくれなくてこれでもか!ってな程に味わったから、もうコリゴリですもんだ。

あ!変なこと思い出した・・ゲーロゲロ。
学生時代に「車はフェラーリかポルシェか?」みたいな話題があって、俺は「ダントツでポルシェでしょー!」と言ったら、友達がいきなり笑い出しやがって「そうだよねー!だって顔がポルシェだもん」・・って。俺はカエル顔かい?!
しかし一度はポルシェのオーナーになってみたいもんだ。
そしたら、ポルシェの運転席にポルシェが乗ってるぅ??
あー馬鹿馬鹿しい!!!
んなこと、どうでもいいわい!
クソ面白くも無いっつーの!

しかし、絶世の美女がフレンチなまりで
「ムッシュぅーん、サービスわぁフェラーリorポルシェ??」ときたら、貴方ならどちらか?(何故にフレンチなまりは、問答無用!)

間違いなくフェラーリだろう・・・か?

うーん、フェラガモでもいいカモ・・・・(ニヤリ)

あいや!しばし待たれい!
この場合の「ポルシェサービス」とは、ちょっと試してみたい気もするではござらぬか?・・・


ポルシェサービスぅ??



・・こういうことでいいのだろうか・・・


そ!このアタマグルグルの状態は、一時的にスリクブッコメバ何とかなるが、それじゃあダメってことで。
自分で何らかの方法にて収まりをつけなければ、ダミなのよ。
これがうっとーしー訳なのだ。

あーうっとーしー!
ウーヤーター!と叫んでしまいたい。

あ!その手があったな!よしよし・・・

なのかぁ?

Thursday, August 16, 2007

それにしても暑い・・・

うだるようなっつーか、ウダッテマス。
地球温暖化って、温暖化という文字が違うって気がする。
暖かくなって良かったーじゃあねえだろって!
灼熱化というか、そんな感じじゃね?
なんつって、若者(うわ!)がノタマウような何々じゃね?なんて使いたくないなぁ。
あぁ、文章がダメだー。

で、15日は終戦記念日。敗戦記念日とでもいうのかな?
思い出すのは、俺の親が、その日その瞬間に思った事は「あー、これでゆっくりと寝られる!と思った」ということ。
そうだろうなー。
うだる熱帯夜どころじゃあない、空襲の毎日からの開放なんだからなあ。
平和って、ありがたいっすよ。
インリンちゃんも、ちゃんと言ってるしね!
そ!むしろ誰もがちゃんと言わなきゃね!
「こういう状況だから、言えば批判されるのがオチ・・」とかいって、言わない奴等多いもんな。
言わないほうが問題だよ。
なんつったって、エロテロリストだから?

で、官能ですよ!やはり!

実は最近のあるステージで、俺は大コケブッコいちまって激しく落ち込んでいた。
そして以前から知り合いの巨匠フォトグラファーの人に「泰三なぁ、おまえは人の事なんか考えずに、官能そのものだっただろ?」と言われてしまった。
そうなのだ!
人の事考えずに・・じゃあないけど(?)、官能に到達したい!イキタイ!ばっかりだったんだよね!
それでいいのだ!っと思い直した訳でさ。
思い直したといっても、かつての俺ではないのは事実。
歳を重ねるというのは、そういうことだろう。
自分でも気が付かない「何か」が剥がれ落ちていく。
簡単に言えば、それは「若さ」なんだろうけどね。

そんなの知らねーよ!
それを気付くのは、あと20年後でいいのだ!
否、気が付かなくてもいい。

そこに行こうとする気持ち・エネルギーがある限り、行こうとすればいいのだ!

いまだ勉強中ですよ!ホント!

Sunday, August 12, 2007

Tuesday, August 07, 2007

8月の暑い日

62年前の8月6日、そして9日。

広島・長崎に原爆が落とされた日だ。

長崎は父方の実家に縁がある土地なのだが、まだ俺は行ったことが無い。
広島は、以前仕事で2・3度ほど訪れた機会があったが、今年の5月に演奏にて久しぶりに行くことが出来た。
そこで、念願の原爆ドーム・原爆資料館に行って来た。

「過ちは二度とおこしません」とした、誓いの言葉が刻まれた碑を前に、ただ呆然と立ち竦んでしまった。
今年も、原爆被災者の亡くなられた多くの人達の名簿が、収められたと聴く。
沖縄の戦没者の名前が記された、圧倒的な碑の光景と思いが重なった。

虚脱感とでもいうのか?しかし、いくら想像力を働かせても、その惨たらしい現実の瞬間には、及ぶはずも無い。
数十万人単位の人間がバタバタと死んでいく光景など、想像出来ない。
しかし、それは現実だったのだ。

「WHITE LIGHT BLACK RAIN」という、アメリカの日系3世の映画監督の広島・長崎の原爆被爆者の方のインタビューで構成されたドキュメンタリーが、封切られるという。
その映画の冒頭のシーンは、今の渋谷での若者達のインタビューから始まる。
「62年前の8月6日・9日は、何が起こったか知っているか?」の問いに、殆どの若者は「知らない」と答えたという。
そういう俺自身も期日は、はっきりとは記憶に無かった。

今年も原爆被災者記念式典が、広島で行われた。
ニュースにて広島市長・県知事の言葉の後の総理大臣の言葉は、あまりにも空々しく映った。
「憲法の・・」。
その憲法を変えようとしている筆頭の人物の言葉が、広島の被災者の方々・そして唯一の原爆被災国の俺達の耳には余りにも、うそ臭く聞こえた。

あるネットでの、戦争の定義として、誰かがホザイテイタ件。
「戦争は、一つの外交手段であり、国際法上の一定のルールの下に行われる」という。
一定のルール?
虐殺と戦争は違う?
戦争は虐殺そのもので、ルールは何でもアリの「皆殺し」だろ!
何処かの誰かにとってはタカダカのゲームだろうが、戦場においては、公然と平然と人殺しを行う「現場」だということだろう?
スポーツじゃあねえんだ!大バカ野郎!
てめえが鉄砲かついで?否、マルゴシで突っ込んでいきやがれ!と激怒しても虚し過ぎる。
そこまで無頓着な人間が出来上がってしまったのだ。それに戦慄してしまう。

だが、止めさせなければならない。
負の連鎖・恐怖と憎しみの連鎖を食い止めなければ、未来は無い。

人間は愚かな生き物だ。
自分ですら、目の前の諸問題を解決出来ずにいる「大馬鹿野郎」だ。
だが、生きてなんぼなんだ。
生き続けて、そして何に到達したいのか?
何を次に渡し、何を託したいのか?
己とは、何なのか?
おそらく人間が誕生以来、ずぅっと問われ続けていることなんだろう。
自分が生まれてこの方、そして生きていく限り、ずぅっと問われ続けることなんだろう。

欲望とテクノロジーが醜く肥大し続けた結果、今の人類と地球がある。
地球は、我々人類の「もの」ではない。
そこで生きさせてもらっているだけだ。
原住民の多くの人達は、地球との関係を唯一保って生きてきた、数少ない「先端・先進の民族」であったのだろう。
かつてロックバンド・ディーボは、「我々は退化し続けている」と言い放った。
そのとおりだ。
豊かな気持ちを享受している人々はいるのか?
殺伐と他人を食い物にし続ける人間が増えただけじゃあないのか?
テクノロジーは、ただ欲望を具現化する道具として扱われし続けたに過ぎない。
多くの先端技術は、兵器開発の副産物だった。
何処でそれをシフト出来るのか?
今、正に問われている。

「ゆっくりと爆発し続ける原爆」の放射能拡散し続ける原発。
細菌化する劣化ウラン弾の拡散し続ける微粒ウラン。
CO2に代表される地球温暖化。
食料・エネルギー・金融を支配し一極化を企む、ある一団。
それと反目しながら手を繋ぎあう世界情勢。
国境などというものは、唯の枠組みでしかなく、民族問題・イデオロギー・食料・経済・金融・東西南北問題等、巧みに操り支配=如何に奴隷を飼いならしていくか?の体系が、気付いたら出来上がっている。
ネットなんてそのものだ。
これは地球単位の視点が必要不可欠。

どうやって生きるのか?
それとリンクする。

Monday, August 06, 2007

れろんれろん

本当になんてもんじゃないくらい久しぶりに酔っ払った。
れろんれろん。
大丈夫なのか?まー、大丈夫ではあったが、要注意には変わらない。
 で思ったのは、よく世間一般では「酔った勢い」とか「まぁ酔っ払っていたから・・」とか言われます。
酔うということで、なんか免罪符のうような扱いをされるし、また弁解にも使われる。
これが不思議だった。
 それなんだが、自分で酔っ払ってみて確認した事がある。
それは、酔っていても「自分自身」だったということ。


思う感覚などは、酔っ払ったからといって「劇的に違う人格=私ではない私」なんかにならない!というとこだ。
多少のぶれはあるかもしれないが、たかが判断の基準のリミッターが外れやすくなるだけ。
いい加減=規制が外れやすく、になるだけの話だと思う。
 つまり、酒に酔っての失敗は、自分とはかけ離れた違う自分ではなく、確実に自分の中に内包された自分自身の「キャラクター」が起こした・・ということだ。


例えば100%お人よしの人が酔っ払ったら、多分幾分しつこくなったり、またデラデラだらしなく笑って、あと寝るだけ・・なんだろう。
問題を起こすという要素が無いのだから、起こりようが無いのだ。
 酔って問題を起こすということは、その酔ったということがまるで別人格のエフェクタースイッチのように都合よく扱い、自分の仮面の中のものを表出させることだ。

これは意図的なもの。

酔っていようがいまいが、その自分の要素の選択肢の中から、自分で選択した・・というだけの話。
その自分のそれを選択した気分も「覚えている」。
で、オトナだから「酔った勢いで・・」とかで、実は誤魔化し合理化し、つまりウソを自分につくだけ。
 これが自分だけの自爆状態だったら、まぁーしょうがねえや・・で済む。
でも大概、問題となるということは、他人を巻き込むから「問題」なんだよな。


で、オトナだからズルイし、ウソをつく・・ということ。

そして、「お互いそういうことあるでしょ?いいっこナシということで・・」と、暗黙の了解にて「酔ったから」と社会的に容認?されてきた。
つまりウソツキ同士の馴れ合いってんですか?

オトナだから、ずるいのね・・・で、仮面を被り、また酔った拍子に仮面を外すチャンスを待つ・・ってんでしょ?ズルイよなー、こういう奴居るぞー!

ただ強力な依存症や薬物などの場合、脳の神経伝達物質やらシナプスやらが異常になるので、人格が崩壊という方向にいくのだろうか?
ま、心理学者や医者じゃあねえし、わかんないのだけれども。
 でも、自分が開頭手術をした時に、異常に「疑い深く」なることがあると医者に言われた。
 脳外科に入院中に手術後の患者さんが、しつこく看護婦さんに「訳ワカンナイ事」執拗に聞いていたもんな。
それはそれで、スンゴイ世界だったぜ!