Thursday, December 24, 2009

音楽に感謝

音楽に感謝する。

なーんて、そんなことは、ナンなんだ?っていったって、解らない。



いや、ただそう思った。



あの事件後、絶対安静の生死の境を彷徨った状態から、ようやく抜け出した数ヵ月後、傍らにあったギターを弾いた。

それこそ夢中だった。

あの、何ともいえない「あの感じ」がやってきて、それを逃さぬよう、それを「もっとだ!もっと!」と思いながら弾き続けた数時間。
休憩することすら、もったいなかった。
休憩する暇も無かった。

あっという間に、時は過ぎて、そこで改めて実感したのは「ギターが弾ける」という確信だった。

「ギターが弾ける」。



ただそれ以外は、出来ないかもしれなかった。


でも、それでもよかった。本当にそう思ったのだ。



あの一心不乱にギターを弾き続けた、あの瞬間から自分の再生を確信したのかもしれない。


だから、ギターが無かったとしたら、きっと未だ闇の中で彷徨っていただろう。



病室のベッドの上で、絶え間なく襲ってくる強烈な吐き気と頭痛の数日間。

思い起こせば、その数日間も「必ずギターを持ち、ステージに返り咲いてやる!」と声にならない声で叫び続けていた。

どうして?とか何故自分がこんな酷い目に遭わなくてはならないのか?等とは、不思議と思わなかった。
ただ「まいったなあ~」だけだった。
それと、「とりあえずでいいから、この吐き気と頭痛だけ無くなってクレイ!」と思っていた。



ギターが無かったら?と「タラレバ」を言っても始まらない。

ただ、瀕死の状態であったあの時、俺にはギターと自分がプレイする音楽への狂った?執拗とも言える欲求があった。
それが、あってよかったのだ。悩むということが無かったのだ。



吐き気に苛まされながらの「必ず食ってやる!」と「ステージに返り咲く!」音楽・ギターへの欲求。



この二つは、俺にとって云わば「生きる欲求」に他ならなかった。そのものというものだろう。

それは、単なるカネを儲ける手段などではない。
カネを儲ける手段なら、音楽なんてものは「そんなもの」には成り得ない。
見返りなど求めても「音楽」そのものから、そんなもの・ご褒美などある訳が無い。
献身の果てに、在るか無いか?それすら確証など無い。
たとえそれが「大天才」であったとしてもだ。
確証など、無い。

だから、確実な安心を欲する者は、音楽など手にしてはならないのだ。

それ程の覚悟が必要なのだ。



そこまでやれば解る。

やらない輩には、解る訳が無い。
無理も無い。
自分の人生?を棒に振る覚悟が、先ず求められるのだから。



運がいい者は、職業として成立するだろう。

だからといって、運が無くても「それでもいい」と思える者などいる訳が無いだろう。
人間だものな。



求道者?

解らない。



解るのは、少なくとも俺は、「オオバカ」ということだけだ。



ただ、俺は今も生きている。

それを実感出来る。



その瞬間を実現する一瞬が在るということ。



それは、感謝するってもんだろう?

Tuesday, December 08, 2009

もーポリープ・・・

ひょんなことから、生まれて初めての大腸検査をやったのが、今年の10月。
それで、運がいいのか悪いのか?
ポリープを発見。

そのときには、レントゲンのみの検査だったので、後日3ヶ月以内に専門医のところでポリープ切除してください・・と言われる。

おおお。

この大腸検査。
ようは、下剤強制飲み放題。でもって出し放題。エンドレス〇んこっつーか、もう水!っという状態にならないとダメだそうで・・・
それをやってのレントゲン撮影。
これもまた、アメイジングっつーか・・
まな板よろしくの撮影台?に乗せられて、縦・横・斜め・・「はい、次は裏返ります・・はいもうちょっと、それで逆に向いて・・」と女医さんの指導の下、あっち向いたりこっちになり、逆さズリかよ?みたいな角度にもなったりで、レントゲンの撮影が行われた。

まー、百歩譲って、まだレントゲン撮影・まな板載せられグラグラっつーのは、いいのだ。

問題は、ケツから挿入される空気やら液体・・・

これがなぁ・・・まいった。
下剤でスッカラカンにした大腸に空気を「風船」よろしく、それもケツから挿入して大腸を膨らませてでの撮影なんだね~。。。
俺は、全くの初体験だったから、余計にまいったのだろう。

この歳になれば、やれバリウムだぁ大腸検査だぁ・・は、大体の御仁は経験済みだろうが、俺はこのかた全くやってこなかった。
数年前の長期入院以来、たまに血液検査してっから、ええだろ?ぐらいに思っていたが、甘かった。

そんでもって、めでたく?大腸ポリープ発見となった訳だ。
で、「ポリープだったら大丈夫だべ?」みたいに思ったのだが、どうやらそうではないみたい。。。

悪性ではないであろう・・としながらも、早めに必ず切除してくださいねー。っと女医さん。

どうやら、とにかく切除して細胞組織検査等が必要で・・・とな?

あああ、また「アレ」を飲んだり出し放題かよぅ・・・と、なった訳だ。

で、その当日。

病院から渡された2リッター!程の下剤を飲め・・・と。

うー、飲みましたよ。
そして出しました。。。。

で、指定の時間で内視鏡検査&ポリープ切除となった。

そ・・れ・・・が。

大腸の先端・・つまり小腸との変わり目か?のところまで、内視鏡とやらをグリングリン!腹の奥まで入れてきやがる!
やはり空気を挿入しているらしく、下腹も張って苦しい・・・
で、痛いというか、なんというか。。。。ハヤクヤメチクリ~・・・・・

とにかくズバっと切るとこ切って、はやいとこ、その内視鏡とやらを俺のケツから抜き去ってくれぇえっ!

・・・とばかり、処置をしている間中、思うことおもうこと。

で、内視鏡で映し出される自分の大腸内部の画像・・・
もう、トンネルなのね?
トンネル抜けて~・トンネル抜けて~・・田舎の列車にぃ・・じゃなくって
トンネルを抜けると、そこはもう・・春だった・・じゃあないし。

なんだかなあーーーーーーーーーー。

ま、結果は切除成功、そして悪性ではないとのこと。

でも、これを定期的にやらなければならない・・・のね?

オトナって、つ・ら・い・・・・

Tuesday, November 17, 2009

最近の雑感

あの仕分けというのですか?
予算のあり方をネットやらで中継しながら公開して、バッサバッサと無駄をアブリ出し作業。

気持ちいいというか。
こんなに無駄遣いばかりしてやがって!っと思うことしきり。

全面公開で・・というのが、とにかく画期的であり、またついこの前までの、あの政治やら行政のあり方・・・つまり自民党・公明党だかのやり方というのが、あまりのデタラメさが、露呈してあきれ返る。

もっと早くこうなればよかったんだ。
まあ、今でもこうなれたことは、よかったことではある。

で、最近あるライヴを観た。マイノリティオーケストラという、女の子ばかりのバンド。

3年前位に偶然、ギターの教え子の学校のクラブ発表会で観た時から、ナンダカンダで4回目か?
あんな可愛らしい女の子達が、オヤジもビックリの演奏力でサラリとジプシーブラスっぽいことをやっちゃうんだから、大変なものである。
そんでもって海外演奏で、エゲレスとやらでピンクフロイドのギターに誉められたって書いてあったな。
って、そりゃあオメエ!ディビットギルモア先生か???すんごいもんだ!!!

しっかし、このバンドのファン・・・
オヤジ達!

俺は、ファンじゃあねえぞ!言っておくが。音楽には共鳴するけれどね。
っつうか、彼女達の演奏にあわせて、クビを振り振り、手拍子シャンシャンってぇ。。。
一心不乱にそうしている、若干オタク入っていそうなオヤジ達の姿を見ていると、これ不思議な気分になるもんだ。

もしかして、今流行つつある「リアルアイドル」なのか???ネクストパヒュー○???
演奏しているバンドの彼女達は、そんなこと関係無いのだが。。。
受け手である、ファン層ってのが、もしかしたらそんな感じにとっている????

うーーーん・・・・・

まー、ファンはファンで大事・大事・・・ってことで。

しっかし、その一心不乱状態のオヤジ達を眺めていると、こいつら。。。

アイが欲しいのね・・・と、よけいな事を思っちまった。
アイだよなあアイ・・・

イタイケナガール達にアイを感じているのかね?
うーーーん・・・・・

まあ、そんなことより彼女達には、がんばってもらいたい。

で、最近というか、かなり前からテレヴィがもの凄くつまらない。
もはや壊滅的に終わっている。
暴力沙汰で問題になった、バカ野郎のツラが出てくるだけで、チャンネル・スイッチを消す。
テレヴィは、終わりだ!!

で、自分の思い込み・・・てーのが、もの凄く恥ずかしいもの・・・だと自覚する。
思っていることの内容は、まあいいにしても、それをアアダァコウダァと興奮してマクシタテルってのがダメなところだ・・・と。
どこかで自分でブレーキを踏めるかどうか?が、ポイント。
ブレーキ踏めない状態は、これはヤバイ。

未だ俺は、ブレーキシューが少しばかりか残っているらしい。
それを自意識しないと、唯のアブネエオヤジになるだけだ。
アクセル全開ってのは、ストラト・マーシャルフルテン・&ディストーションペダルのスイッチを踏む瞬間だけにしておこう・・・と思うこの頃でした。

Monday, November 02, 2009

やりたかったのさ!

先日、あるマッタリとした小さな商店街のフェス?に飛び入りしてきた。
ある奴から誘いがあって、んじゃあま~ってな感じで奴と演奏し終わって、マッタリとしていたのだが、誰も演奏してないことをいいことに、勝手に一人でギターを弾き出した。

狭い通りに人が行き交う。
そんな状況で、エレキではなくてエレアコだったのだが、適当にンジャランジャラ・・アラヨーゥ・・みたいに声出したり。

その辺で飲んだりしている人が、まあ聴いているんだかなんだか。

そんな空気の中、突然通りの奥の方からカネの音と太鼓の音!

うおー!阿波踊りだ!

かねてから、阿波踊りと一緒に音出したい!っと思っていたのが、突如として、ここにイキナリ実現!!

頼みのストラトとマーシャル(故障中ですから・・)でなくて、エレアコで5Wぐらいの小さなアンプ・・


この際、スペックやどうたらこうたらなんて、関係無し!

ここぞ!とばかりにビートと一緒に弾きまくりー!

あっはっははー!

これだ!これだってーの!
聴いていたお客さん?も喜んでいる!

でっしょー?!

面白いはずなのさ!

だって、そりゃそうさ!
理屈なんかどうでもいいのさ!

へっへー!

あー楽しかった!!!

Saturday, October 31, 2009

音楽を裏切ったら大変なことになる!

こう言っていたのは、古沢良治郎さんと近藤等則さんだった。

それも、ほとんど同時期に彼等の口から同じ言葉を発せられたのを俺は目の当たりにした。

そして今までに出会った全ての素晴らしい先輩ミュージシャン達も、「その言葉」を胸に秘めていると感じさせる演奏を し続けている。

厳しい掟・・・のようなものだ。

俺もまた、その言葉を思い出す。
そして頭(コウベ)をたれる。

クダラナイ?

クダラナイと思いたかったら思えばいい!

そう、そんなこと・・音楽を裏切ったら大変なことになる・・と思ったところで誰も儲かりはしない。誰も。

しかし、そこで、ギリギリの場所で、たった一人ステージ上で格闘し続けていた
孤高に立つその姿こそが、彼等・ミュージシャンなんだ。

若かった俺は、その後姿を目撃してきた。


かつて、自分にとって初めてのヨーロッパツアーでの、移動するバンの中で

地平線に沈み行くデッカイ太陽を見ながら、近藤さんは、俺に言った。

「サカイ君!沈んでいっても最後まで輝き続ける太陽!あれこそがミュージシャンの鏡だ!アッハッハー」



その言葉をもらってから、ずぅっと俺の胸のなかにある。

自由ってナンダーロ?

なんてね。
そんなこと言ったってねえ。

でも、少なくとも音楽だけは、自由であって欲しい。
やる人間が、どんな奴であろうとも、一旦虚空に放たれた・出てしまった「音楽」って奴だけは、自由であって欲しい。

政治も哲学も宗教も暴力もシガラミも理論も理想も譜面もBPMもクソミソも、あらゆるものから自由であって欲しい。
ロック?ブルーズ?ジャズ?クラシック?テクノ?演歌?民謡?カデコリー?ジャンル?誰それの鬱陶しい身勝手な思い?やる奴の魂?楽器の値段?ブランド?有名か無名か?・・・

そんなこんなからも、全てのものから自由であって欲しい。

アイ?アイだったらいいか・・・
まー、それもよく解らんが。
多分、ソレだったらいいだろうかな?

クダランもんが多過ぎる。
大事な大切なもの・いとおしいものが、簡単に踏みにじられる。

力?

実力?

なんだ?それ?

常識とか価値観とか、簡単に通用しなくなるのに、それを振りかざしたり、振り回されていたり。

俺は、下衆にはなりたくない!

何故って、音楽は最上だから。

う・・・それも、俺のうっとおしい身勝手な思いだーな。。。

許してくれ・・・

Tuesday, October 27, 2009

所信表明で思うこと

民主党の鳩山総理が、先日行った所信表明演説。
思うのは、やはり自民党・公明党の政権が終わって良かったと、これからいい方向になって欲しいと思うことだ。
もうコリゴリだよ。ジコーはね。

いい方向とは、社会的弱者に対する救済・そして支えあうという方向であり、それは予算の適正配分ということだろう。
大企業・そして一部の利権保持者に対してばかりの優遇というか、そちらばかりの利益誘導政策からの脱却ということだ。
ちょっと前の狂ったバブル時代。
一億総中流化・・とか言っていたのに、あっという間に貧困層(年収200万以下)が1000万人強ということになっている。
それでセフティネット(生活保護・医療もろもろ)が、軒並みカットで年間の自殺者が3万人強の状態が、一体何年間続いているのだろう?

コイズミが仕上げに入った「コイズミ改革」って、より弱者を追い詰める社会構造にしようとしたカイカク=改悪・・それも極悪なものだった。

よく言われていたのが、「クーデターが起こらないなんて、何てニホンジンは従順なんだろう!」というセリフだ。
こんな以前の政策が施行され続けていたら、外国だったら反乱が起きるのが通常だもの。

でも我慢が限度に来た!というだけなんだよね。
それを選挙で表しただけだし、それを無血革命と呼ばれても・・・まあ、なあとも思う。

石原東京都知事にしても税金私物化しまくりだったのだから贅沢は禁止しなければならないし、何よりクビにしなければならないね。あんなの!ヤンバダム中止に文句を言う筋合いなんて、おめえには無い!新銀行なんやらの500億円?とかオリンピック誘致の200億の無駄遣いの責任を取れっつーの!自分が偉い・大将だと思っている勘違いも甚だしい、唯のゲスだからなあ。
ああ、オリンピックがリオになって良かった!だよ。

弱い者いじめは、もうさせてはいけない。してはいけない。

クニを守る!とか言ってても自分のクニのコクミンを徹底的にいじめ続けてきたのだから、あいつ等!
一時期、コクミン総中流化とか言っておだてまくって、結局やりたかったことは、国民総奴隷化だったのだから。

しかし、常に感じるのは、金のある奴等は、ろくなもんじゃあないってことだ。

儲ける・・ということは、しいて言えば「ブンドル」と同じ。
全体の総量が決まっているなら、人より多く持つということは、他からブンドルということなのだ。
それを貨幣や株・債権やら、社会構造で見えなくしているだけの話だ。

だってそうでしょ?
アナタノカイシャのオエライサンとかって、どうですか?
まともな人だったら、それはアナタは幸運だってことだよね。

安心して暮らせること。
これは、基本的人権なんだ。
だから、食・住は、保障されてしかるべきだと思う。
そして、医療・教育も当然に保障されてしかるべき。
なにもこれが、社会主義ってモンではないと思う。
安心して暮らせることは、人類が願い続けてきたことなのだから。

だからおかしかったんだよ。
まあ昔流に言えば、オートメーション化とかロボット化とかIT化にしたって、人間が楽になれるはずだったのに、気がついたら逆でしょ?
それは、配分が違うからなんだよね。
機械に任せて楽になって、それでその仕事をしていた人=楽になった人達に配分されなくてはならなかったのに、その人達がはじかれて仕事が無くなって圧迫されるというのが、オカシイのだ。
では、浮いた金・儲けた金は誰がガメていたか?って話だよね。

お金の流れをよく見ると解るよ。
それも世界規模で見たらいい。
最終的に辿り着くところ。

そこが、ソレだ!

Sunday, October 18, 2009

バンドになれるかな?

今までの何年間、自分の理想を実現しようと思っていた。
で、さて?自分の理想とはナンだろう?

それこそ自分のアタマだけでは、なかなか・・・
特に打ち込みというか、マシン相手にひねり出そうとしても、自分だけだと飽きてしまう。
「俺はこうだ!こう思う!」みたいに言っている自分自身に萎えてしまうのだ。

まあ言い方を変えれば「試行錯誤の連続」だったね。
ああでもない、こうでもないといおうか?

自分の思い浮かぶ曲想・イメージが、ほとんど「おぼろげながら」のものだから。
手探り、正しく手探りの連続であったのかもしれない。

たぶんこの「手探り」というスタイルってのかな?は、変わらないだろうけれど。
来年の1月16日、恒例の誕生日セッションに、形として現れるだろうと思っている。

バンドという「決まった形」というより、もうちょっとユルイ形式というのかな?
ある種の「集合体」みたいな雰囲気だと思う。

というのも、一緒に演奏してくれるミュージシャン達に敬意を示したいという思いがあってね。
彼等は、それぞれに活動しているし、彼等自身の素晴らしい音楽をやっている。
今までに何回か共に演奏出来る機会があっての、ちょっとついでに・・というか、俺としてみれば気心知れた連中との組み合わせなもんだから。
でもって、「何々バンドの一員でござい!」っていう言い方は、皆にはそぐわないかもしれない・申し訳ないかなあ?・・・という勝手な思い込みなんだよね。でも、バンドってのは、個人的には好きなんだけれどね。
とはいえ、この組み合わせに辿り着くまでの経緯を考えれば、まあ「思えば遠くに来たもんだ・・」的な感じかな?

自分の曲想・・と呼べるような大したものではないが、そんなものを自分で分析?してみれば、極めてシンプルであること・トランシーなビートであること・・・なんだろうか。
そこで必要とされる事は、組み合わせの妙と変幻自在であるということなのかもしれない。
だから一緒に演奏してくれる彼等の力が必要なのですね。

めまぐるしく変化し続けるという、そういう方向ではないなあ。
トランシー・・なんて「カッコイイ」言葉を使ってしまったが、インプロと呼ばれる演奏の内容というよりも、むしろ継続していくビートのなかで「大きくグリグリと変化する」という方向だろうか?
まあ、その変化と言えども、その時任せ。
だから所謂「ジャムバンド」的な感じかもしれない。
ただ、ジャムバンド・・・とは、あまり自ら言いたくない・・というかね。
俺としてみれば、ずぅっとやってきた演奏スタイル・・みたいなもんだから。
「これがジャムバンドってもんだぜぃ!」みたいなものではないってこと。

当日、ライヴ録音するつもりです。

今から楽しみなわけですよー!!

Sunday, October 04, 2009

生きていれば

生きていれば、何かしらあるものだ。

齢50にもなれば、そんな事を言っても差し支えはないだろう。

まあ、それでも40、50はハナタレだ。
せいぜい生きることだ。

先の不安。
そんなこと思えばキリがない。
そうやってきたわけだ。
でも、これからだって、それは変わらない。変わる訳が無い。
不安という奴は、増えることはあっても減る事は無い・・解っているのはそんなことだ。
だから考えるほうが、バカらしくなる。しかし考えてしまうバカでもある。

気になる言葉というのが、たまに自分の目に飛び込んでくる。
それをヒントに出来るか否かは、解らない。

最近の気になる言葉。

誰それのウル覚えの詩。

歌唄いの幸せとは?・・・と。
それは、歌を歌い続ける事。
与え続けるということ。

そんな内容だったか?

そして同年代の漫画家の言葉。
根拠の無い熱狂そのものだけで生きてきたと・・・
結果はどうであれ、
いいではないか!たとえ三流であっても。

という言葉・・・

今の自分の何かに引っかかっている。

自分の背中には、何があるのだろうか?

それは、自分には見えないなあ。
だって、背中だしナア。
見せるといっても、誇れるものなど無い・・のかなあ?

うーん、他人様に声を出して、これですよ!なんて言えるものなど、無いのかもしれない。
否、解らない。
ワカラナイのだ。

ただ、自分はそうしてきたし、そうするだろう。

ただ、それだけなんだ。

Sunday, August 30, 2009

やっと政権交代だ。

やっとですなー政権交代。



だからといって、直ぐ良くなるかどうかは、不明。



でも、長年の自民党のデタラメな自分達のみ利益誘導・・国民・総奴隷化計画は、これで終わったと思いたい。



そう、思いたいのであって、これからは一人ひとりが政(まつりごと)を監視しなければならない。



そうでないと、ずる賢い連中は、直ぐに忍び寄り擦り寄って、ひっくり返すであろう。



支配する為に、敵対する勢力を作り出し、その双方に支援しながら、その方向は絶対支配というか???



これを説明するには、結構厄介なものがある。



トンデモ方面の事も言わなくちゃならなくなる。



でも、それが真実というか、真実だからどうの・・・ではなく、「俺達はどうするのか?」が基本に無ければダメだということであろう。





「欲」とは、何か?

「欲」と如何に対処するのか?



俺達は、「欲」とどう付き合っていくのか?が問われ続けられる。



自分だけが、他人よりも多く優越感に浸る事が目的の人生なんて「クダラナイ!」とすることなんだ。



これは宗教でもなんでもない。



これこそ、「普通!」であるべきことなのではないか?



安心して生まれて、安心して生きられて、安心して後世を送れる。



それをやりたいはずだ。

俺は、そうなってほしいと思う。



そういうシステムを模索し続けているはずなのに。



いつしかというか、いつの間にかというか、あまりにもクダラナイ欲ばかりで頭のやけに回る連中が仲間に引き込みながら、上手い具合に特別階級?を作り上げているんだ。



俺達が生きるに必要な部分に「それ」は蔓延る。

「それ」を注意深く見極めることだ。

世間の常識など無視しても構わない。



「何故?」と思うことが、見極める事の出来る必要不可欠の「心」だと思う。

自分自身の良識が、常に試されるのだ。

Friday, July 31, 2009

オマーリは嫌いだっつ!

たまにやってしまうこと。

物を落とす。忘れ物。

つい昨日のことだ。

たぶんギターを教えている教室の前のタバコを吸えるスペースにて、財布を落とした。
ってのも、その後授業に入ろうとして、ピックを財布に入れているので、財布を探したら「無い・・・!」となったので、焦りまくって自分がいた場所を探し回った。

で、発見出来ず、近くの交番に「財布落としましたー・・」

っと届けを出しに行ったら、おまわりさんの机の上にワタシの財布があーるじゃありませんかっ!

「財布落としました・・・って、それです!!!!」と指差して「あったー!」と喜んだですが・・・

おまわりさん・・クールに「あ、そう。じゃあ手続き上これ書いて」

っと、遺失物届け書なるものを書かされる。

ま、それはそれでいいのだが、何やら変な雰囲気だっち!

何故だ?????


あー、勝手に思えば、普通ね、落とした財布を交番行ってそこにあったら、喜ぶですよ!
あったあった!よかったー!とね。でしょ?

それで、交番のオマーリさんだって、「ダメだよー!落としちゃあねー。で、中に何入っているの?」

「あー、そうね、おー免許証があるねー。ハイ、本人確認オッケー。じゃあ気を付けるんだよ!」

・・・とかいって、フレンドリーに済むというか・・・



遺失物届けを書きたくないってんじゃあ無いのだね。


オカシイと感じた雰囲気とは・・・

全くフレンドリーじゃあないのだだだだ・・・!
俺を見て、明らかに不審な輩と思っている・・という雰囲気なのだ!

当事者が見つかって喜んで・・ていうんではない!
明らかに「残念がっている?」ような?
「こいつ何だ?」みたいな・・雰囲気。

すかさず頭に血が上り始めたのを必死の思いでこらえて、「お世話になりました・・」と、取りあえず言ってやった。

で、俺が遺失物届けを書いていると、オマーリが俺に「どんな財布?」って聞くから「ああ、紺の布製の・そこにある奴ですよって・・・あれ?何処に行った?」ってもんで、俺が書いている机のすぐそこにあった財布が無い!!!

別室で中身を調べてやがる!!!!


バーロー!更に頭に血が上る上る!


俺は、クリーンだっつーの!ヤバイもんは持ってねえし!使ってねえし!やらないし!それ嫌いだし!

財布の中には免許証とか健康保険証とか入っているし、免許の写真見れば、すぐ本人確認なんて出来るだろーが!!!!
「中に免許証が入っているから、写真で本人確認出来ますよね!!!」と言ってやったが、黙ってやんの!!!

ってことは、明らかに「不審者」として見られて、財布の中身を調べたってーことだぜ!!


フ・ザ・ケ・ン・ナ!!オマーリ!!!

っていうか、そんなに不審者って見られるような風体だったのか?俺???

まー、俺の財布を拾ってくれた善良な人には、すごく感謝します。ありがとうございました!

が、

オマーリは、嫌いだ!!!

テメエら、俺の事件(俺は被害者だった。念の為)の時ナンザ、ろくに仕事しねえじゃねえか!!!
ろくに調べもしねえで、捜査本部?人員なんか即効で削除・・てか、すぐ無くなっていたもんな!
犯人のモンタージュ作成が、事件後1年半後だぞ!!そんなもん、犯人逃げるわ!とっくにいねえぞ!

肝心な時には何もしねえで、ろくでもねえ余計なことをするってか???


だから、テメーラ嫌いだぜ!!

市民の味方じゃあねえじゃんか!!!ばーろー!!!

Monday, July 27, 2009

乗物・・音

先日、街を歩いていたらAVギャル・・じゃあねえ!EV・・電気自動車って奴に出くわした。
出くわした・・って、ただ見かけたってだけです。。。

このAV・・しつこい、EVってのが、とあるメーカーの軽自動車の車体を流用しているやつなんだが、いやー凄いね!何が凄いってねー。

「音」がしない!!!!

これビックリです!!!

本当に「スゥー・・・」って感じ。いやはやビックリしました。
こんなになってしまうんだ・・・と、ある種の感動すら覚えたのでありました。
本当に久しぶりに「未来」を感じた・・というのかな?そんな感動でしたねー。

しかし、音ですよ。

EV・電気自動車に「音」付けろ・・ってのも、ヤボな話だと思うが、レシプロエンジン・・まーガソリンで走る車とか、こうなってくると懐かしさというか?そんな気持ちを持ってしまう。

国産車でもって、車の音?排気音というかエンジンが動いている音で好きな車を考えてみた。

先ず思い浮かべたのが、スバルの音。

商用車のサンバーの音(フォロローっていう)も好きなのだが、古くはスバル1000から現行モデルの水平対抗エンジンの音ってのが、結構好きなんだね。

それとディーゼルエンジン。

後は、正直、印象が無い。

たまに見かけるバブル丸出しフェラーリの「次の信号までフルスロットル(しないだろうけど)」の甲高いエグゾーストノートに、やはり「いいなー・・」なんて思ってしまう。

1960年~1970年位の湘南には、けっこう外車が走っていて、スティングレイだぁアストンマーチンやらロータスやらが記憶に残っている。
スポーツカーと呼ばれていた、そういった派手な車は、音も派手・・というか、それなりの自己主張があったように思う。
まあ、あの高度成長期からいろんな規制がかかって、騒音規制ってのも相当キツクなったはず。

聞いた話だと、かつてのアルファロメオ?だったかは、マフラーが走行中に簡単に?外れようとも、「この音がいいのだ!」と、メーカーはこだわり続けた・・というそうな。

さすが!ラテン!
悦楽でやんす。

まあ、今のご時勢ですと、そんなことは言ってられなくなっちゃった。

エンジンで走る・・そして音が重要となると、「バイク」ってのは、そこんとこヨロシク!ってなもんだ。

まあ、自分の好みっていうと、これまた古い・・え?古くなっちゃうのか?って、自分で書いていながらビックリしちまったが・・・

バーチカルツインやシングルの音・・それも600cc以上の排気量のバイクの音が好き。
トライアンフやカワサキW1やらヤマハのXS650とか。

でも最近には、あのロングセラーを続けていたヤマハSR400も製造終了となったらしい。
で、復刻して「やったー!」と思ったのもつかの間でカワサキのW1が同じく製造終了ときた。

これにはビックリするやら淋しいやら。
排気ガスの規制強化でもって、エンジンの型式が規制に対処出来ない為らしいけれど、残念ですな。

この乗物・・・乗用車・スポーツカー(っていうのか?)・それにバイクは、考えてみればガソリンで走っていたのだが、そのガソリンで走るってのを止めて、行く行くは全部電気ってことになるんだろうね。
CO2の排出云々だし、エネルギー云々だしね。

話は変わるが、先日の「皆既日食」。

凄い!

皆既日食の真下のところでは、完全に太陽が隠れると気温が4度位下がるということらしい。

いやー!太陽ってのは、今更なんだが「凄い!」と思ったね。

ちょっとお隠れになっただけでも風は吹くわ気温が下がるわ真っ暗闇になるわで、とんでもないエネルギーだってことだよな。

だから未来を考えるとなると、結局地球が太陽の恩恵を受けている事実というのを模倣していくというのが、一番いいと思うがな。

そこにある、降り注いでいる膨大なエネルギーを備蓄して使うという方法こそが、目指す方向だと素人ながら単純に思うのでありんす。
つまりは、太陽光発電・波動発電・風力発電・地熱発電でもってエネルギーを供給していくのがいいと思う。
そして首都高速道路・東名・名神高速道路や主要幹線道路に「踏むと発電」するやつをビッチリ埋め込むとかね。
おおお、電車の線路の下にも埋め込もう。
人がいっぱい歩くところにもガンガン埋め込んでいったら、エネルギーの問題は、結構クリアしてくる感じがするんですがねえ。おっと、最近の異常気象ってもんだから、カミナリ様のエネルギーもありがたく頂いちまえ!出来ねえかな・・どうだろか?はい、素人発想ですよ!

そのあらゆる所から寄せ集めて発電した電力でもって、自動車にしてしまえ。
まー、バッテリーの性能やらリチウムの資源の問題やら、物を製造するには石油を使う・・・CO2ってのもあるけれど・・・


もうガソリンには、オサラバっていう時が来たのかもね。


で、関係ないけれど、読み直してみたら、冒頭の「街歩いていたらAVギャル・・に」って、

本当に遭遇してみたいもんだぁっつう・・・だから「乗物?いや乗られるモノ?それに音って??」・・・・・

ショーモナイ事を思ってしまったワタクチでありました。ご放念くださいませ!
しかし、落ちねえオチってのは、苦しいねえ・・・おあとがよろしいようで。

Monday, July 13, 2009

ジミがやろうとしたこと

今年は、あのウッドストックから40年目という年らしい。

某音楽雑誌の表紙にウッドストックでの「ジミ」の写真。
思わず買ってしまった。
もー、この雑誌もなんというか、俺等以前の世代?のギタリストを繰り返し特集しているのがおかしい。。っていうか、そうせざるを得ないのかもね。
まあ、それはいいや。

で、ジミがあのウッドストックに出演して、歴史的な演奏をした周辺事情のルポが、興味深かった。
あの時、ジミは何をしようとしていたのか?

ジミのことを解ろうとすると、まあ解る訳が無いのだが、やたら秘密が多い気がする。
それまでの事を勝手な想像・妄想で言ってしまうのは危険なんだが。


自分でも解らない・持て余すほどのエネルギーを持っていたジミ。
イギリスに渡り、時代の寵児となって混沌とした空気を突き抜ける存在になってしまった。

奴のエネルギー・・自分自身のあらゆるエネルギーが、あの大爆音を伴う時代を象徴するギターサウンドとなって世界に放出され、そのエネルギーをまともに食らった聴衆は、その強力なエネルギーに吸い寄せられ、おのおのの勝手な想い(マイナスなものも含まれる)をジミのサウンドに同化しようとある種の勘違いのようなエネルギーをジミに送ってしまった。

エクスペリエンス時代のジミ。
自分の想いとかけ離れた聴衆のエネルギーの塊が、ジミを容赦無く襲っていった。
自分自身のかけがえの無いエネルギーであったが、それを観客の期待にそおうとし、予定調和として演じなければならない・・というジレンマに陥ったのかもしれない。
そしてジミは、疲れていった。


でも、ジミは次のことを模索した。
音楽の更なる深み・更に突き抜けようとする音に到達すべく道を模索していたに違いない。


そのサウンドの提示の試みが、あのウッドストックでの「ジプシー&レインボウ・バンドオヴジプシーズ」だったのかもしれない。
興味深いのは、複数のパーカッションともう一人のギタリストの登用。
そこにジミならではの、次の次元に向かおうとするアイデアがあったように思う。


その動機。そこが重要だと記事を読んで感じた。



その「ジプシー・・」のメンバーであったパーカッションプレイヤーの一言が気になった。
曰く「ジミは、民族音楽に興味を持っていた・・・」

それでジミは、ウッドストックの行われる数日前にリハーサルをすっぽかしてモロッコに数日間過ごしたらしい。
そして前記のパーカッションプレイヤーとアコースティックで模索していた様子を彼曰く「なんというか、ウェスモンゴメリーというかセコビアというか、明らかにモロッコの影響がある感じのことをやっていた」と。


モロッコといえば、俺の記憶が正しければ「グナワ」発祥の地。
あのミステリアスなビート・グルーヴにジミは触れたのかもしれない。
勿論、それだけではなくあらゆる音楽を吸収しようとしていたのだろう。


あらゆる民族音楽。

それはきっと、その様々な土地にそれぞれ生き続けた人々の深淵なる想い。


その、いろんな民族音楽(生き続けた人々の想い)の「音」が向かおうとした「方向性の共通項」をジミは、その繊細な感受性で感じ取っていたのではないか?自分も「それ」との共通項を感じ取っていたのではないか?

それを自身の音楽にぶち込もうとしたのではないか?

そして、それを発射台にして、更なる高みへと臨もうとしたのではないか?

ウッドストックでのバンドとしての演奏は、あまり成功したとは結果として言えなかった。
しかし、それをトライしようとした形跡は、物凄く悪い録音状況(全ての楽器を捕らえていなかった)下で、僅かながらの片鱗を聴くことが出来る。
それもほんのごく一部に過ぎないのだが。(例えばもう一人のギターとの絡み具合とか)

ドラマーのミッチ・ミッチェルが、彼の手記で「ジミにリズムギタリストが必要とは思えない」とか、「複数の打楽器奏者がいる場合、難しいことになる。あれもそうだった」と言っていたらしい。
確かに「腕が立つ」とか「楽器が上手い」連中を集めただけでは、ケミストリーというか、マジックは生まれない。
マジックは、思うに本当に奇跡的な「組み合わせ」の成せる技だと思う。
結果、ウッドストックでのバンドは、そうではなかったということか?
ジミに、今思えば、時間が足りなかった。

よく言われていることで、ジミがエクスペリエンス以降志向したのが「ある種の共同体のような・・」ものだという。
それはきっと、音楽での理想郷というか?
いろんな音が単なる自己主張ではない、といって完璧にガチガチに構築されたものでない、共同体のようなものであったのか? それはきっと絶妙なバランスでもって初めて成り立つ音楽?
しいて誤解を恐れずに言えば、「地球に生き続けようとする自分達の音楽」を目指そうとしたのではないか?
そのヴァイブをエレクトリックでブーストして、地球をそっと包み込もうとしたかったのではないか?

やりたかった音楽は、音楽そのものが向かうところに対しての徹底した献身のなせる「音楽」だったのかもしれない。

そんなことを具現化出来るミュージシャン達との出会いが、ジミは欲しかったのだろうか?
そう思えてならない。

では、俺は?

プランが実行出来るか?は、解らない。
が、それをしようとするだけだ。

Monday, June 15, 2009

その男「AZUMI」

彼は、シンガー・ギタリストだ。
俺が、言うまでも無いことだが。

大抵、いつも何処かの街で、彼が言うところの「勝手に来て、勝手に帰っていく」ライヴをしている。

そして、奴の唄は、とても「しみる唄」だ。


先日、AZUMI君の演奏を聴きに行った。

彼は、ROIKI君(デルタブルーズ弾き語りの猛者でもあり、去年から一緒にユニットとして活動を始めた)からの紹介であった。

俺は、かれこれ10年以上前のことか?AZUMI君の名前が気になっていた。
雑誌等で「オルタナとかガレージブルーズとか言われておったなぁ」と、ちょっと照れくさそうにAZUMI君自身が言っていたが、そんな感じでの紹介のされ方だったと思う。
また印象深かったのが、当時の彼の写真だった。

自分の記憶も定かではないので、あやふやな印象でしかないから、間違っていたら申し訳ない。

その当時の彼・・・確かモジャモジャのアフロヘアのような髪の毛の間から覗く、鋭く光る眼光が印象に残った。

「こいつは何者だ?」っという感じ・・モチロン只者ではない、そんな印象を持ったものだった。

それから雑誌等で書かれていたこと・・・まあ乱暴な言い方だったと思う。

ボーダーレスというか、高度なテクニックを駆使しつつ、ノイズやアバンギャルドなアプローチ・・みたいにも書かれていたかもしれない。

凄い奴がいるんだ・・

そんな感触を持った。

そして、いつしか会ってみたい・・・と思っていた。

二年前の大阪での「春一番コンサート」に出演出来た時に、彼の演奏を運良く観ることが出来た。

エレキギター2つとドラムという編成のバンドで、ベースラインやらコードのアプローチやらソロやら唄・・と、忙しいというか?良く出来るなあ!と感心してしまった。

それから時が経って、去年にROIKI君が、「あー、AZUMIだったら知ってるよ。」と。

それでAZUMI君が、彼の演奏ツアーで東京に来ている時に会うことが出来た。

その時は、「昔の写真の印象とは、ちょっと違うなあ・・」と思ったのだが・・・

そして、今年のROIKI君との大阪ツアーにも、AZUMI 君に随分とお世話になった。
その大阪ツアーの最終日の演奏終了後、AZUMI君と飲み明かしてしまったりもした。

一ヶ月ちょっとでの再会。

彼、AZUMI君の演奏を堪能した。

演奏の内容を細かく分析したり評したりするなんて、出来ない。

AZUMIという「何か・存在?」が表したいもの・・・・噴出させたいものが、ギターの、その尋常ではないテクニック・独特なヴォーカル・ありとあらゆる手段(己の息遣いさえも)を忠実な僕(しもべ)として駆使し、一寸の隙も無く・・というのか?

そしてAZUMIの世界・・・というものが、聴衆を容赦なく無抵抗にさせて包み込む。

一緒に旅をするような?

彼の「気持ちの旅」をまるで映画のように傍観するような?
否、映画ほどはっきりとした距離感というものではなく、もっと・・なんというか・・
「マボロシ」というのか?

彼が感じた世界のマボロシのようなものを見ているような気分になった。

圧巻だった。

また、彼のファルセットのカスレタ瞬間の声の隙間とか、ギターの音・弦振動が減衰して消えていく瞬間に、リアルな「彼自身」が?そこに居るようにも感じたりした。

かつてROIKI君は、AZUMI君を評して

「ホンマモンの流れ者だよ。そういう唄・・だなあ」と。

合点。


演奏終了後、例によって飲んだ。

ああだぁこうだぁと、話が進み
お開きとなっての別れ際。

「今日は、アリガトウ」と言う彼の目は、

いつぞやの写真で見た、あの光を帯びた「眼」そのもの。

そして奴が、取りあえず落ち着ける棲家であろう・・・夜の街に

吸い込まれるように消えていった。


まるでマボロシのように。

Tuesday, June 09, 2009

久しぶりに頭に来るよなあ。

最近、トチクルッタ「アソー」が、「センソーする覚悟は、必要だ」とかナントカ言った言わないですか?

答えてやろう。
センソーする覚悟は、全く無い。

皆無だ。

で、そういう言い出しっぺのアソーとて、センソーになったら真っ先に戦場に突っ込んでいくつもりなど、全く無いだろう。
せいぜい「ものドモ。オクニのためにイノチをかけて頑張って守ってくれ。アイする家庭を守りたいなら、イノチガケでマモレ」とか大嘘コイて、てめえは、一番安全なところで旨いメシと酒でもかっくらっているだろうて。
今でもそうだもんな。

そんなもんだ。奴は。

で原爆の被爆者手当についても、ネットのカキコミは、「何で税金使って・・・」とか書き込みしてる奴等がいるが、そいつ等は、税金の使われ方全部をわかってんのか?

公的年金無駄遣いどころじゃあねえ詐欺について、ほとんど何も突っ込まないで・・てことは、一緒に税金ジャブジャブしゃぶっているお仲間か?

だろうな。

センソーったって、昭和20年に敗戦ってことだから、戦争の醜さを体験してしまった世代は、だんだん少なくなっている。
で、威勢のイイことをぶち上げている連中や史実をさも自分が体験したかのように、知識を振り回して揚げ足を取って、ああ言えばこう言う連中は、戦争のセの字も知らない連中が、ほとんどだろう。

クニという、訳のワカラナイ実態の無い幻のような人間の集合体は、始末に終えない。

まあ、クニとクニとの外交とて、金と背後にちらつかせる怖いものでもって、相手に言う事聞かせるってのが、基本チャ基本なのかね?

あー、バカらしい。

テレヴィ見りゃ、政治をバラエティで見せて、肝心なところはカットで、都合のいい(誰にとって?)ところだけオンエアーだし。

議会たって、一日開くのにいくらかかるんだ?

バカが、時間つぶしで議論にならない猿芝居をやっている。

今時アカだぁネトウヨだぁ。

右も左も「モノを配分するには、結局巨大な権力を生み、それが支配する。そうすると結局自分のことしか考えない・他を奴隷にして自分だけいい思いをする」だけで、やり方が多少違うだけで、何かシューキョーの違いみたいなもんじゃあねえか。

目に見える独裁か?見えざる独裁か?じゃあねえのかね。

では、人間は全く不完全だから、物事の正しい?判断は「新しいカミ」である量子コンピューター?ウルトラスーパーパソコン(パソコンじゃあねえか)・・・にでもしたら?

そうしたら、人間ってのは、バグだらけだからSFよろしく俺達全部抹殺されちゃうか、とんでもない洗脳恐怖世界になるのかね。

ああ、イヤダイヤダ!

俺達は、バカである!と先ずハッキリと認識しなくちゃいけねえんでないか?
グジャグジャアーダコーダ言ってても、たかがバカの戯言じゃあねえか!
人類誕生からチィットモ変われねえ、ただのアホじゃあねえか!

たった、60数年前にあれだけ嫌というほど痛い目にあって・・どころじゃあない!酷い・凄惨なことになってしまって、また「覚悟」?か!

ふざけるな!ってんだ。

こういう時にタイミングよろしく気持ち悪いセンスイカンの映画か?

恐らく、実際の戦争の現場は、想像を絶する凄惨なものだろう。
今、この現在も、一瞬たりとも戦争が無い時代は無いらしい。

そんな酷いことに・・・戦争に好きで突っ込んでいくツモリなど全く無い!

それをしないように政治家は、無い頭を絞りまくって考えろってんだ。
それが仕事だろうが!

俺は、殺されたくも無いし、殺したくも無い。

ただ、それだけだ。

Thursday, June 04, 2009

こう見えても、あたしゃ蕎麦好きなんで。。。

それってーと、何かい?

っつーか、大阪に行けば、にわか関西弁というか、エセ関西人よろしく「気持ち悪い関西弁」を使いたがり、東京に来れば江戸っ子気取りかぁ?

いかんですねぇ、そういうの。。。

まあ、自分の父親は、深川の生まれなんだけど、俺っていえば東京と言えど、練馬に生まれてぇの(当時は大根畑とか芝生畑とかいっぱい!)で、育ちは海沿い。

海が近いっちゃあ近いが、夏になってもマッチロケで、遊んでくれるトモダチもいなかったギター少年だったですなあ。

もとい!

蕎麦好きってぇ、やつですよ。


蕎麦って言っても、これ専門的っつーか、マニアックな・・蕎麦好き高じて蕎麦を打って・・って、そこまで全然行かない分野ですよって。

そう、何気に「立ち食い蕎麦屋」ってぇのが、アタシゃ好きなんで・・・

でもって、温かい蕎麦は、ダメなんですなあ。
冬でも冷たい蕎麦が、いいのでやんす。

まあ、最近はダンダン暑くなってきているから、別に冷たい蕎麦頼むのに度胸も何もいらねえのだがねぇ。

でぇ、この「立ち食い蕎麦屋」。


旨いところは、これ旨い!

といっても、そんなにマニアでは無いので、「旨い立ち食い蕎麦屋マップ」を作れるほどではないし、自分の行動半径内での、ささやかな経験だけなんだけどね。

まあ、蕎麦・・それも冷たい蕎麦といっても、モリとかザルではなくて、俺がいつも注文するのは、冷やし系というか、「冷やしたぬき」だぁ「冷やしきつね」だぁのそのへん。
であるからかどうかは全く解らないけれど、この「冷やし系」しか注文しないってのも、まあディープ&ハードコア系蕎麦マニアからは、冷たくアシラワレル・・そんなもんだろう。


でも、それでいいのだ!ソーホワット!ホワイノット・スリップノットてなもんだ。

好きな食いモンのことで、あかの他人から「ああでもねえ・こうでもねえ」なんざ、言われたくねえってもんだし、そんなの俺の勝手のかっちゃんだぜぃ。

で、たまにしか行けないのだが、この間も久しぶりに行ってみて感心した店がある。
まー、いわいるチェーン店だろうと思うのだが、他のそのチェーン店でも全然味が違うもんな。

そこは、ま、気合が入っている・・・のだろうか?

そうとしか言えない雰囲気があり、これが不思議なんだが、何か「ピッと」しているんだよなあ。。。

蕎麦がねえ・・違う感じがするんだよなあ。。

締まっている・・・ていうのかね?

いい具合にシコシコしている。

下手な店・・特に立ち食い系は、そんな店に間違って入ったモンにゃあ「金返せ!」ってな具合に、マズイからなあ。

チェーン店なんだからシステマチックに管理され、調理されて、何処に行っても同じ味・・てはずなんだけれど、さすがに蕎麦とかラーメンとかはねえ。
レトルト・・てぇ感じでもないからねー。

そのお気に入りの立ち食い蕎麦屋は、「注文が入ってからゆでますから多少お時間をください」って、ちゃんと断りを言うもんね。

だから、立ち食いで食ってきた蕎麦屋の中では、今のところ「一番」は、あそこだ!っと自分では思っている。

え?それは何処かって?
(誰も聞いてねえってのに)

秋葉原にあるんよねえ。

おっと、断っとくが俺はねぇ。


「アキバ系」じゃあねえよって。

Tuesday, June 02, 2009

抜歯&検査

バッシですよ。バッシ。
最近になって、歯医者にいくようになって、っつーか、長年のほったらかしのおかげで?抜歯をせにゃならん状況になってしまい、現在まで3本を抜いた。で、あと1本いずれは抜く予定。

あー、たまらん!

歯抜けだぁー。

最近の歯医者は、痛みの軽減化が、それこそ20年前とは段違い。
以前は、歯の神経をほじくる!には、もうそれこそ拷問並みの痛さ!
麻酔なんかされなかったが(これほんとだ)、今では、ちゃんと麻酔をしてでの処置をするようになっている。でも、麻酔無しなんてのは、考えてみりゃ「そりゃ無理!」ってもんだ。
この記憶があるばっかりに、歯医者に行くということをビビッテいたのは正直な話。
しかし、にっちもさっちもいかない状況になってしまい、堪らず歯医者に駆け込むということになった訳だ。

しかし、歯を抜くのは、それなりにつらい・・・

で、昨日はマトメテ2本も抜いた・・・

歯医者にレントゲンを見せられて「あー、貴方の歯は・・」、俺「ですねー、酷いですね・・」歯科医「4本は抜かないと・・」俺「ゲ!・・ですね・・」

ってな訳で、治療が続行中です。

もう奥歯は、見るも無残。

残りの歯を大事にしていかなきゃいけましぇん・・・

で、脳関係の検査。


先日の大阪ツアーの行き返りで疲労がケッコウ溜まってやばかった。

やはり、睡眠は絶対に確保しなければ「頭」に悪いことが証明されたです。
まー、発作は免れたけれど、その手前の「ヤバイ感じ」が、帰宅してからヒシヒシと頭の中がドロドロとなっていた。

睡眠を確実にして、何事も無かったが、アブネエ×2.

で、血液検査をやったところ、うーん。。。

やはり、体質的に「血液ドロドロ状態」の改善方向に全然なっていないことが判明。
それなりに自分では気をつけているつもりだったが、これまたお医者の指摘で「ただのつもり」だということが解った。

うー、まー生きてりゃイロイロある訳だし、それなりに年数かせいでいれば古くもガタも出てくるってことだ。
そのガタが出てくる形というか、ガタの出方をコントロールしなくてはならないってのが、メンドーだけど、それをやらないと、気がついたときには「ヤバッ!」なんて悠長なセリフもはけない状況になるってことなんだね。

これが、若くない・・という奴だ。

あー、面倒だ・・・って、ホザケルのも今のうち。

さっさとテメエでテメエの身体のメンテナンスぐらいやっとかないとイケネエってことだよな。

久しぶりにMRIというやつにかかって、自分の脳を撮影した画像を見せられた。
以前の傷の跡は、しっかり残っていて、これはもう修復不可能なんだそう。

そんなこんなで、脳の血管の3DのCG画像って奴を見せられた。

マウスでもって、クリクリと回転する脳の血管の様子とやらは、正直感動?ってのか、複雑な気持ちでしたな。
医者曰く「うーん、この辺の血管が波うっていて細くなっているでしょ?まあクモ膜かの心配は無いですが、この血管がなあ・・」

え?!

緊急にヤバイことではないにしろ、気をつけて体質改善に励まないとイケナイみたい・・・

ですよね・・

しかし、長い間下がらなかった「γーGTP」の値が、正常値に下がっていたのは、ちょっと安心。

蕎麦を食うようにしているからか?

しかし、その蕎麦も揚げモンダメだしが出てしまった。。。

あああぁ、せめて「かきあげ」でもダメ?センセ。野菜だしー。。。

ダメ!というお達し。

好きなもんを好きな時に好きなように食えなくなる・・・


あ”-!

それが決定的になる前に、食えるだけ食っとけ!・・・じゃあなくて、体質改善に努めます・・

でも、旨いもんは、ウマイしなあ。

たまにはええですか?

お願い!いいって言ってちょ・・・って、ダメですよね。

うーー・・・

Tuesday, May 05, 2009

今のうちにやっとけ!

残念ながら亡くなってしまわれた清志郎さんのことを考えたり、彼の映像をネットで見たりしながら思った。

やりたいことを今のうちにやっとけ!

そんなことを思った。

自分が、あの怪我でスッタモンダしている時も、そう思った。

やりたいことを今のうちにやっとけ!

モチロン、それにはいろんなハードルがある。

取り巻く環境ってのもある。

自分がやりたいこと・・・「今出来ない・実現出来ない」ことを無理矢理やろうとしても、出来る訳なんか無い。

実現に向けて、現実的に出来る事、目の前にあることを一つ一つ進むだけだ。
その向こうにあるかもしれない。
それに向かえるか?どうか?だ。


ネットには、くだらない事が一杯ある。
でも、このクニのメディアなんかは、全く信用出来ない。
いつでもそうだったのかもしれない。
でも、最近の傾向は、寒気がする。

言論の自由ってのが、屁理屈だらけの偏屈な物言いに脅かされている感じがする。

理論武装とかが、オカシナ方向にいってやしないか?

本音って、何だ?!

敵って何だ?

随分とマヤカシに翻弄されている気がする。

いろんなことを考えれば、人間って何だ?に到達せざるを得ない・・と思う。
でも、人間って・・・?

結局、自分が全てという訳ではないが、自分の感じるセンスを試されるという気がする。

ヤバイ連中なんざ、いつでもしゃしゃり出て来るんだよ。
それも、連中はバカじゃあねえから、っていうより勉強しまくって、裏の裏まで仕掛けてきたりするんだよ。

大抵、金で支配されちゃうし、後は「痛いところ」を突かれたり、それで脅かされたり・・・

でも、一般・世間・世の中・他人は、実のところなんざぁ、知ろうとも思わないし、関係なくても言いたい放題だったりする。

世論調査たって、今まで俺のところに来た例が無い。というか、誰かやった人いるのか?だから

あんな数字は、信用出来ない。

大本営発表なんざ、クソってことだ。

だいぶ文章が荒れたけれど、言いたい事は、言っておかないとね。

知識の羅列ばっかりの連中は、本音を言わないからな。

Saturday, May 02, 2009

忌野清志郎さん

清志郎さんが、残念ながら亡くなってしまった。

夜中のニュースで、その訃報を聞いた。

ショックだった。


清志郎さんの存在を知ったのは、「ボクの好きな先生」という曲だった。

RCサクセションという、「ある日サクセスするんだ!」としたバンド名と、その何というか?独特の節回しの唄が印象に残った。
俺が、小学生か、中学生の頃だったか?

そして、RCサクセションが爆発したのは、俺が学生の頃だった。
ド派手な衣装とメークで、ミックジャガーさながらのステージアクション、ストレートなロックサウンド、そしてあのヴォーカル。
何かをぶっ飛ばしてくれたような、そんな雰囲気があった。

日比谷のコンサート(VSサウストゥサウス)を観に行った。

圧倒的だった。
ホーンセクションは、モチロンRCホーンズだったよね。
片山さんや梅津さんがいた。

それから数年後に彼等と演奏する・・とは、全く思えなかった。

de-ga-showというバンドに参加してから、ある日片山さんが「清志郎でも呼ぼうかなあ?」と言った。

そりゃあいいですねー!っと、俺。

それからde-ga-showのアケタの店などのステージに清志郎さんがサックスを持って登場するようになった。

前後関係は定かではないが、de-ga-showのセカンドアルバムの「続」にライナーノーツを清志郎さんが書いたりもした。
俺の曲「suna-kaze」のコメントが、イカしていて好きだった。

そんなこんなで、de-ga-showと清志郎さんとで1枚アルバムを作ろうとなったのが、「ホスピタル」だった。
録音スタジオでは、清志郎さんの世界とde-ga-showのバンドの音との、せめぎ合いだった。
(そのスタジオは、EATJUNKを録音したスタジオだったなあ)
俺のギターの低音成分が多いので、エンジニアにカットされて、正直「ムッ」としたこともあったが、ある意味マトモじゃあないバンド=de-ga-showのサウンドに真っ向からその独特なユーモアで包み込む清志郎さんの作詞・ヴォーカルに舌を巻いた。

「ホスピタル」のライナーでスィンギンバッパーズの吾妻さんが言っているように「くだらない!本当にくだらない!」という歌詞にスタジオで初めて遭遇した時の事を想像出来ようか?

もう、抱腹絶倒!参りました!って感じだったんだよ。

清志郎さんが、「篠原連れてきて、声入れようか?」って言って、篠原涼子ちゃんがスタジオに来たときには、ドキドキしたなあ。。。
清志郎さんと涼子ちゃんが、ヴォーカルダビングして出た後のブースに慌てて行って、残り香をクンクンしたアホは、ワタシです。

「ホスピタル」ツアーのゲネプロ(ステージを想定したリハーサル)で、俺は遅れてしまったのだが、そこでの光景を思い出した。

de-ga-showは、なんだかんだといってもジャズバンド?
ゲネプロで、イスに座って演奏している・・・・

清志郎さん、やりにくそうで幾度もバンドを振り返っていた。

俺は、慌ててセッティングをして、立ってフルヴォリュームで演奏した。
それから、連中も立って演奏し始めた。
それからギクシャクしていたムードが一掃されて、リハは順調に進んだ。

京都での演奏前に、俺は考えていた。

ド派手な清志郎さんのステージングにどうやって対抗するか?だ。

圧倒的な存在の彼に、何をやってもダメかもしれなかったが、ダメでモトモト。
やるしかなかった。

そこで、EATJUNK製作の撮影時にもらったイッチョウラの皮のパンツを持参し、京都の町のお土産屋に飛び込んで、黒の「寿」Tシャツと黒のガウンみたいに見える「寿」をあしらった浴衣(ガイジン向けのオミヤゲね)を見つけて慌てて購入。(寿は、オメデタイだからね。オメデタヤってことさ)
まだ黒かった髪の毛を束ねて変な素浪人よろしくのいでたちにして、ステージに臨んだ。

俺は、彼に突っ込んでいきたかった。


ステージでの清志郎さんは、やはり圧倒的だった。
例えが違うかもしれないが、レゲエのベースのようなタイム感のヴォーカル・・そしての「あの声」だ。

京都「タクタク」の超満員のお客さん全てに「あの声」が、容赦なく包みこんでいった。

その説得力。

素晴らしかった。




あっという間の嵐のような演奏が終わり、打ち上げも済んでの後。

京都の街中のある居酒屋で、ひとりごちている清志郎さんに会った。

そこで、「酒井君は何年生まれなんだい?」と聞かれて「1959年っすよ」と答えたら、清志郎さん「じゃあ同じ年代だねー。」って。

あー、あのー同年代っていいますけどー、それって初めと終わりっすよねえ・・・っと答えたかどうだかは忘れたが、そんな会話を交わしたっけ。


清志郎さん。


あんた、最高っすよ。





ご冥福をお祈りいたします。

Thursday, April 16, 2009

ピッキングは、深い・・

当方ギター弾きであって、ギターを弾くってのもピックを使って弾いている。
それも通称「おにぎり型」の硬いやつ=フラットピックてぇ奴だ。

最近になって、このピックで弾くということの自分の進歩が、あった。

ギター弾き始めて、もうかれこれ36年。
このピッキングは、36年間の自分の悩みの種・・・でもあった。

ピッキングフォーム・・・まあピックの持ち方なんだけれど、今思うのは、決して一つの方法だけではないということ。

音楽・ギターを弾くという行為において、状況は変化し続ける。
だからピックで弾くということも、決してロボットのように同じ持ち型で通せる訳ではない。

簡単に言えば、汗だぁ力みだぁ疲れだぁ・・で、ピックは指から簡単にずれていく。
それを力まずに「どうやってピックをホールドしていくのか?」から始まり、そして各弦へのアプローチを「どうやってスムースに出来るか?」が、長い間の課題だった。

ギターは、ほとんど独学だ。
兄の弾いている姿に触発され、見よう見まねで始めたって訳だ。
それ以前には、オケイコゴトのヴァイオリン10年という経験?ってのもあるにはあるが、ことギターに関して言えば、通称「耳コピ」で習得してきた。

だから、ピッキングのフォームなんかにしても、これゼーンブ自分であーだぁこーだぁと悪戦苦闘する訳だ。

今現在、自分ではギターを教えていたりするのだけれど、先生がいるってーのは楽だよなあ・・と思う。
自分がやる気になっていれば、いろんなことを言ってもらえるのだから。

まあ、そんなこんなはどうでもいいのだが、最近自分で見つけたピッキングで、ようやく「かゆいところに手が届く」みたいになってきた。
ある状況で音がダンゴになることが解消されてきたのだ。

これは、自分にとって凄い進歩!!

そして、それだけではなかったのだ。


先日、自分の生徒と基礎的なピッキングの反復練習をしている時に思ったことがあった。
単純な動作を1分も続けていると通常疲労してもたなくなってくる。
それを今までは「コンジョー!!!」とかいって、自分では克服?っていうか、無理矢理それをやってきたのだが。

生徒は、明らかに疲れてついてこれなくなっていた。

俺はそれを感じつつも、自分ではずっと出来る感触を持っていた。
それこそ1時間でも可能みたいな・・・


そこでボンヤリ思っていたのは「あー、例えばアフリカの人達が何時間もノンストップで演奏出来るって、もしかしてこんな感じなのかなあ・・?」っと。


自分の出音は、凄く安定して同じように繰り返し音を出している。
その一音一音を出していくのが、凄く楽・・・というか、集中しているのだけれど、脱力していて全く苦にならない。
クソみたいな反復練習なんだが、まるで遠いところに歩いていくような・・そして何処までも行けそうな感覚を覚えていたのだ。

「ノル」とか「アガル」というレベル?でないような(まあ練習だしね)。
集中して且つ平常心?というか、いろんなことを思いながらも出音はしっかりと聞こえている。

どんどん自分の身体から意識が離れていくも、感じているような・・・


バードヴューとでもいうのだろうか?

そんな感覚になった。



何処までも行けるような・・・
無理矢理「そこへ行こう」とするのではない・・・

そんな音楽???!!!



何かヒント・・それも凄く重要なヒントがあるようで、俺は久しぶりにウキウキしてしまった。

Tuesday, March 31, 2009

JEFF BECK

ジェフベック・・

云わずとも知れた、ギターの鬼。

彼のことを何と表すか?は、俺がしてもしょうがない。



最近リリースされた彼の初のライヴDVDを見た。



彼が普段ライヴするスペースとしては、とても狭い・・ということだ。

キャパで200ぐらいらしいが。



なかなか興味深いDVD だった。



ジェフベックを聴くようになっったのは、ここ数年のことだ。

以前にも同じ事を書いたのかもしれないが、彼のことは勿論のこと知っていたけれど、音源を買って聴きこむということは、しなかった。



でも、彼のギターの独特なクセというか、特徴的な何かは、引っかかっていた。



ギターショップ(アルバムタイトル)までは、どうもリズムセクションの雰囲気が好きじゃあなかった。

特にフュージョン期というのか?ブロウ・バイ・ブロウとかのあたりは、好きになれなかった。



長いインターバル後、復帰した「フー・エルス」からは、ケッコウ好きだ。



で、最近のベックグループ。



ベースのタルちゃん・・・といっても、女の子なんだけれど本当にトンデモナイ!ベーシストだ。

とてもイロッポイグルーヴなんだよなあ。

そんでもって、とてもカワイイ笑顔なもんだから・・・

ベックおじさんも、演奏中にそんな笑顔を返されたら「ガンバッチャウ!」訳だよね。。。。



しょうがねえなあ・・・ベックぅー。



このタルちゃんの加入、凄い効果をもたらしているのがよく見える。



技術的・音楽的な側面はもちろんのこと、そういったメンタルに与える影響力は(特にベックに対して)、彼女自身が意識しているとは思えないが、明らかにあるなあ。

そんなことを彼女にいっても「女と男を区別するのは、好きじゃあないわ。」で終わっちゃうだろう。

事実、オンナということに?という質問に対して、そう答えたインタヴューを読んだ記憶がある。



そう、ようやく組み合わせの妙というか?

ジェフが望む、いい雰囲気の「バンド」が出来たのだろう。



しかし彼は、完璧だよなあ。

完璧・・・うーん。言い表せないね。



とにかく、トーン・音の表情が、以前にも増して芳醇というか?妖艶というか???



シンガーのバッキングのコードカッティングにしたって、普通っぽくやっているのに、全然違う!!!

そこに「何か」があるのだ。



もう、音が物凄く豊かに鳴っている。



キーボードいらない!って感じの鳴り方だ。



全てが「そこにある」のだ。



ナンなんだろう?このサウンドは!!!



それが、ジェフ・ベックのジェフ・ベックたらんところなんだろうか。



特に「ローリン&タンブリン」のリフときたら・・・



カッコイイとかとっくに飛び越えて、どうやったらこれを弾けるのか?

シンプルなリフなんだけれども、全然・全く解らない!!!

「スキャッターブレイン」は、技術的に難易度が高いし、俺は勿論弾けないけれど、練習したら「もしかしたら弾けるかな?」と思ってしまうものだが(本当は出来るかどうか?ワカリマシェン!)、この「ローリン・・」とか、シンガーがいる時のコード・リズムバッキングは、全く解らないのだ。
凄いリフの弾き方・・・つーか、「ナンじゃあ?これー?」って、仰天びっくりでした。

そりゃあコードとか解れば、そのコードをナゾルことは出来るけれども、ジェフのような「音」には、絶対になりはしない。あんな音・・・絶対にジェフ以外出せない!!!
圧倒的な雰囲気を出してしまうジェフに、もう参りました!!!ってことなんだね。

そんな「音」そのもので圧倒しひれ伏しさせてしまう人って。

うーん、今思えるのはZZTOPのビリー・ギボンズさんぐらいかなあ?




これって、このDVDでのクラプトンのバッキングの音と比べてみればよーく解る。

比べるのは意味が無いけれど、クラプトンったって、例えばすぐ横で弾かれたもんにゃあ、ぶっ飛びの音だと思う。

タイミングやグルーヴ感やら、尋常じゃあないはずだ。

でも、あえて言うならば、ギターの音って感じがしてしまう。



いや、凄いんですよ!クラプトンは!しつこいですがー。



でも、ジェフは・・・





別次元なんだ・・・って、見せ付けられたDVDでしたねー。

Tuesday, March 24, 2009

いいチームだったね!

WBCですか?
野球は、そんなに好きってんでもない。
でも連日のナンやカンやと言われては、気にならないって訳にはいかなかった。

結果、優勝でよかった・よかった。
韓国チームの粘りは、凄まじいでしたね!彼らは凄いよ!本当に。

勝負は時の運。

結果に対して、ああだこうだ・いろいろ言われるけれどもね。
でも、あの大会・試合は、出場選手達のものだ。

プレイヤー達のものなのだ。

外野・・・見ている観客は、観客さ。

そりゃ勝てば嬉しいけれど、そこに参加している選手全てが、主役だよ。

やれクニが・・とかさ、もういいよ。そんなの。

ゲームが終われば、「ノーサイド」だよ!
素晴らしい試合の数々だったんだ。
それでいい。


優勝してからのシャンパンファイト?っていうの?
あの映像で大笑いしてしまったよ。

皆、ただの野球少年!

ってか、「ガキ」!!!

最高のシーンだったね。

裏方の選手・スタッフを胴上げしてて思ったのは、「ああ、いいチームだね」っとね。
その後でマー君には、囲んでケリ!アハハハ!最年少だしなあ!イジラレルわな!
でも皆、田中選手を認めているんだね。
いい先輩達に会えたんだね!
甲子園では優勝逃したかもしれないが、でも!だよー!!それは凄いことさ!


イチローもよく喋る!笑う!
物凄い緊張から解き放たれて・・・・それも最高のシーンだったね。
「いろいろ打席に入って思ってた。」なんて言ってたけれど、身体が反応するんだね!
考えているだろうけれど、その瞬間は「反応するだけ」なんだと、勝手に想像するなあ。

ある選手が、優勝後の談話で「このチームでもう少しやりたかったな!」って言っていたらしいけれど、そうだろうなあ・・・

松坂も帰国組みを名残惜しくなりそうだったから、見送らなかったっていうしね。

素晴らしい瞬間を過ごせたんだね!


そして、皆日常の厳しい戦いに戻っていく。


いいチームになれて、良かった!

Monday, March 16, 2009

思い込み

最近何処かで聞いた言葉。

音楽の説得力について。

1960年代を知る、某有名ディスクジョッキーの人曰く。
「その当時のミュージシャンは、本気で世界を変えようとしていたんだ。全く迷いは無かったと思う。そこからして、音の出し方が違ったんだよ」・・・等。

そういうこととは違いますが、最近思い出したことがある。

かつてIMAバンドに拾われて間なしの頃。
コンドーさんに聞かれた。

「サカイ君は、どうなりたいんだ?」

俺は、答えた。




「スターになりたいんです。」



!!

ううう。

スターって・・・・

我ながら、物凄いことを口走ってしまったものだ。

これは高校入学時にクラスでの自己紹介で、ある奴が言ったことのマネでもあった。

担任「将来の夢はなんだね?はい、サカイ君か?」
「はー、ギタリストで・・」
担任「ほー。ではI君は?」

I君「僕は、スターです!」

野郎ばかりの男子校のクソ面白くもナンとも無いクラスが、ドドッと沸いた。

このI君。

けっこうひょうきんな感じの奴だったが、実はビートルズ・ポールマッカートニーが大好きで、マジでビートルズになりたい!と思っていたに違いない奴だった。
実際彼のバンドは高校生としてはけっこう上手かったし、彼のベースもボーカルもかっこよかった。
でも学校の中では、そんな感じなどおくびにも出さなかった。

その彼の一言が印象に残っていたから、つい口走ってしまったのだろう。

だが、コンドーさんには、その先を言わなかった。

それは「どんなスターになりたいのか?」そして「スターとは?」というか・・・

自分が考えていたスターというのは、身も心も削って、全て音・音楽にして光り輝く存在・・ってな感じ?に思っていた。

具体的に言えば、



ジミ・ヘンドリクスとボブ・マーリーを足したような存在になりたかったのだだだ!


・・・



ウヘー!それって世界一だし。。。。

と言うか、歴史に残るような人以上になりたいってこと????

若いってホンットに思い切りバカよねー。

恐れ多いというか、身の程知らずなんですがねー!!




そう、かなり本気で思っていたふしがある。

まあ今となっては、自分以外にはなれない!ってことが解っているツモリなのだが。。。
その自分ってのを思い切り出せるか出せないか?ということだと思っているけれど。。。

今、これを書きながら過去の自分が恥ずかし過ぎて・・・

一人で赤面してしまっている。


でもまあ~、思い込みですから。

そのぐらい、ダイソレテないとね~。

やれませんってね!

Friday, March 13, 2009

もーどうしてだろうか?っていうか

っていうか!なんだなあ。

何って、最近の(相変わらずでもあり)の政治模様だ。

民主トーをはめようって魂胆丸見えだもんな。

別に民主を支持している訳ではないが、この60年間も続けられた結果のこの「アホくさいもの」をどうにかしたいだけだ。

表に出てきているニュースだとかは、信用に値しない。

大手の検索サイトの書き込みなんか、ある種の意図も感じたりする。

ああ、嫌だ。

だが、選挙には必ず投票する。

実際、これしか参政権を行使出来ないのだ。

唯一の手段であるからには、それを放棄する訳にはいかない。

自分のセンス・考え方で投票するだけだ。

野球だぁなんだと目くらましなんか、されない。

「いい方向」とは何か?を考えているだけだ。

Tuesday, March 03, 2009

パフォーマンス

人前に出て、何かする。
自分の場合、ギター弾いてガーガーがなって声出して、汗水たらして冷や水飲んで・・ってのか?

何かを表現したくて、ワザワザ人様の前に立ち、ああだこうだする訳だ。
何か表現たって、これ何を?と言われてもケッコウ困る。

「愛」とか言っちゃったら、ま~カッコいいこと・・・なのか?

そんなこと言ったもんにゃあ、俺の場合だったら間違い無く「ダサい」となるだろう。
ブッチュ君みたいに靴がビシビシ飛んでくるだろう。

音楽???

たってなあ。

俺の弾くもんは、どうしたもんだかなぁ。

自分では、ケッコウな線にいっているじゃあねえか?と思うのだが、人様にはどうも解らないことが多いらしい。
悲しいかな・・・

それでもって経歴とかプロフィールとかで、「ああ、この人は・・」みたいに判断されても微妙な感じもする。
ライヴの瞬間は、それこそ一瞬の瞬間なのだが、その人の全てが出てしまう。
しかし、その人の全てを理解というのか?感じることというのは、とんでもない感性が必要になるはずだ。
大方、断片しか感じられないだろう。

最近、人の演奏を聴いて思ったことがある。

その人の演奏内容を分析してもしょうがないことだが、まあケッコウがんばっていると思った。
ステージの構成も良く考えているし、その場に応じて臨機応変に構成を変えていくことや、それに費やす練習量などが感じられて「大したものだ」と思ったのだ。
が、何か引っかかる。というかなあ。

お客は大いに盛り上がっていた。
でも、俺は妙に醒めていた。

何か自分が素直に「それ=彼等のパフォーマンス」に対して反応していなかった。

随分なところまで解っている?のだろうが、肝心なところの「勘違い」みたいな???
それでいいのか?みたいな。。。

その部分は、多分お客さんには解らないことなのであろう。
解らなくてもいいのかもしれない。
大体整っていれば済むというか?
マスキングされるというか?

決してマニアックのみが本道などと思っている訳じゃあない。
例えばポップやド演歌だって、いいものはいい。

しかし、しっかりと「コーティング」されたものを見抜くにはねぇ。。。

これ売れているものもそうでないものも「ある」んだよなあ。

大体、解りやすく表出しているもので判断されてしまうからなあ。
姿・形やしゃべり方や音の出方でね。

その裏側のものが、実は・・・ってことなんだけどね。

Wednesday, February 04, 2009

ワリと読んでる隔週の漫画誌があって、そのなかで最近始まったものがある。
作者は、有名な・・どちらかというと、ちょっとオーバーなストーリーを得意とする、男っぽい話を書く人だ。
そんなに嫌いではない。
その最近始まったストーリーには、山の中で生きるというか、社会からドロップアウトした人間が、まるでマタギの人みたいに生きようとすることが描かれている。
都会・・人間のというか、今のこのクニの社会からドロップアウトして生きるというのは、何にしてもキツイ。
何でもかんでも、金さえあれば手に入れられる世の中というか、このクニ。
これは、金が無ければ、このクニでは生きていけないことをも意味してしまう。
しかし、そんな金という価値の「ようなもの」というのは、不況になってしまえば途端に力を弱め、それまで肩を風切ってイキガッテいた連中でさえ、ただの人にしまう。
また更に弱い輩は、簡単にハジカレてしまう。

そんな弱い男が、一人山に入り、言うならば生き方を模索するとでもいうのか?

ある意味、このストーリーの行方に興味がある。


もう30年も前のことだ。
10代後半から、その頃の友人と山に幾度か行った。

丹沢方面が、主だった。

ある時は、沢登り。
またある時は、神ノ川だったか?の上流の方の河原でテントを張って野営したり。
テントを張るとすぐに日が陰ってくる。
早くメシの仕度をアタフタとしながら、次第に夜は深けていく。
辺りには、当然の事ながら電灯など無い。
焚き火を囲み、酒を飲み、アアダコウダと自分達の将来の事をあてども無く喋り続けた。
リーダー各の奴は、幼少時から絵が上手く、将来はアニメ作家になると言い、
人が馬鹿みたいにいい奴は、役者になると言い。
俺は、ミュージシャンになると話していた。

俺達は、言っていた通りにそれぞれの道を歩き出した。

今は、彼等はどうしているのだろうか?
元気にやっているのだろうか?

人がいい役者志望の男は、ある劇団に所属して、そこで主役を張ったりもしたが、生活がまま成らぬ為に劇団を辞め就職し、そして随分経った頃に電話があった。

大阪に単身赴任だと言っていた。

それも10年以上前のことかもしれない。
その後、連絡の取りようが無くなってしまった。

リーダー格の奴は、早くからCGの世界に入っていったはずだ。
自分でアトリエというか、自分の事務所を開いて何とかやっているはずなのだが。

彼等は、どうしているのだろう?

その彼等と南アルプスの前方の山に入った事がある。

静岡駅から阿部川を上流に向かってバスに乗り、古い温泉湯治場で下車して、それから山に入っていった。
多分、二泊三日程の行程だっただろうか?
雨の中の登山であった。宿泊もモチロン雨の中でテントを張り簡単な食事をして・・と、そんな軽い縦走だったのだろう。
ただ、俺にとっては、軽い縦走といっても、とても「重い」ものだった。
体力・持久力が劣っていたために、登山道にはかなり苦労した。

そして、その山を縦走する行程の中で、観光地とは程遠い景色を垣間見た。

大崩落、という場所だった。

かつては富士よりも高い山だったというその山が、火山活動による大噴火で山頂からほとんど吹っ飛んだ、その大きなウネリの証のような場所だった。

それは、人間など足元にも及ばない圧倒的な岩石量の聳え立つ切り立った岩壁だった。

恐ろしかった。

それが大自然というものだろう。

なんともちっぽけな自分がそこにいた。

それを思い知らされたような気がした。

山から下山すると、妙にまた山に行きたくなった。
人間社会?の煩わしさが際立って感じたような気がした。
それも日が経つに連れ慣れて鈍化していった。
また繰り返す日常があった。

20代は、自分の足元が脆弱で、とにかくイラついていた。
実力も当然皆無だった。
自分をどう高めたらいいのか、方法さえ解らなかった。
闇雲に上手くなりたいとだけ思い、練習するだけの日々だった。
唯の思い込みに等しい「情熱」?というより狂気じみた想いだけが、
自分のよりどころだった。

それは単に自分が甘かっただけだったのだが、
刺激の無い学生生活は退屈なだけだった。
それはそうだ。自分と望む方向が全く違う世界であったからだ。
当初は、周りとの温度差に愕然とし呆れていたが、
やがて自分から行動を起こさないとダメだと気が付いた。

早く自分の望む違う世界に飛び込んで行き、
そこで刺激を受けなければ、
自分はどうにもならずにただ散っていく、とだけ感じていた。
しかし行動といっても、地道な・地味な一つ一つの積み上げしか出来なかった。
自分なりに自分を磨くしか術は無かった。
焦りながらも時を待った。
そうするしかなかった。
切迫した気持ちだったと思う。

凄い奴に会いたかった。
そう思い続けた。
何故か。
多分、自分を信じていなかったからだ。
疑っていたのだ。
自信などというものは皆無だった。不安だったのだ。
ギターがある程度上手くて多少チヤホヤもされたが、
そんなことはレベルが低すぎて、気持ち悪くてしょうがなかった。
「こんなはずではない。俺のこの程度では、あの世界では通用するはずが無い。
まだ圧倒的な者に出会っていない。」
もしそれに出会って自分の存在をも吹き飛ばされてしまうことであってもそれでよかった。
吹き飛ばされたかった。
そこで、初めて自分が試されると感じていた。
それでも自分が踏ん張れるかどうか?
俺には何か有るのか無いのか?

生き残れるかどうか?


そして出会ってしまったのが、古澤良治郎さんであり近藤等則さんだった。

自分にとって不足は無いどころでない強烈激烈な男達だった。

それからが、修行の本番突入となったのだ。

Monday, February 02, 2009

年齢というやつ。

今年も、ありがたくも歳を一つかさねることが出来た。

実感というものは、年齢を何かに書く時に「おっと!待てよ・・俺って・・」という感じで、実感するのであろう。

これまでの数十年間、ナンとか生きてこれた。

迷惑だぁ、面倒くささだぁとかを周りに撒き散らしながら、ナンとか生きてこれた。

生きてこれたのは、自分の力とは、全然思ってない。
「自分で生きてきた!」と思う人は、正直うらやましくもある。
それだけで、偉いと思う。

自分はナンだか解らなくて、ボーっとしてきたのかもしれない。

そりゃ幾つか試練というものがあった。

生死の境目を行き来したこともあった。

それでもナンとか生きてこれたのだ。

ありがたいことだ。



ある電車の中で。


幼子と若い母親との笑顔のやり取りを見た。

微笑ましくもあり。

多分、世界中で一番優しい瞬間なんだろうか。
その幼子は男の子であるから、今から数十年後には、否が応でもメンドクサイ現実に立たされる。
まあ、男の子であろうとも女の子であろうとも、同じかな。
大人って辛いね。

無条件な幸せに包まれる至福の時から、現実という日々に叩き込まれる。

誰でもがそうなのだ。というか。

その無条件の至福の時期を体験しなければ、それから「生きる」という試練も含めの現実に向かうのは、厳しい話だ。

その親子の姿を見て、そう感じた。

「優しい」は、いいね。

よかったね。




人は、難しい。
一人では、生きてはいけない。
どうしても他人と関わっていかなければならない。
他人と関わるには、少しばかりであっても喜びというものが必要だろう。
全てが苦痛であったならば、それは辛い。
だから、喜びを見つけること。
関わりそのものが、喜びであるということになるのが望ましい。
その片鱗を探し捕らえて、手繰り寄せるというのだろうか?
そういうセンスが必要に思う。

ああ、それは自分の思考なんだな、きっと。

自分を表して、それが人との関係において「喜び」になれたら、それは嬉しいことだ。

またそれが、相手がそうであるならば、自分も嬉しくなる。

バンドってのは、それが基本のような気もする。
アドリブってのも、例えればそういうもんだし。
リズム・グルーヴっていうか「ノリ」というのもそれだ。
でも、それを実現する自分というものが、要求される。
自分自身を鍛えておかなければ、「それ」を実現出来ない。
それは、孤独の作業でもある。
メンドクサイ自分自身に対峙する。
それは喜びに向かおうとするからだ。

っていうか、それはやはり、自分の思考だね。

それでいいと思う。


仕事というもの。

ある意味、それとは間逆であるのか?

利潤の食い潰し合い、だからだ。

だが、それを常識としていること。
随分と奇妙というか、オカシナ話だ。

他を傷付けたい!ということが基本のエネルギーだとするってのは?
ナンだろうか?

弱肉強食というものが常識であり、それがあっての日常だとする考え方?現実?には、やはり抵抗感がある。

だから甘いだぁナンダカンダ言われてきた気もする。

そだね、甘いんだろう。

そうさ、人を傷付けたい!なんて、俺は、そんな変態じゃあねえもんな!
ましてや、キズツキタイ!なんざぁ絶対に思いませんって。

やだよ、そんなの!

Wednesday, January 28, 2009

新年早々もはや過ぎて

もう正月だとかではないのだ。
が、アメリカでは8年間続いたブッシュの悪政からオバマへと変わった。
細かいニュアンスは、日本では解りようがないが、アメリカの不況への対応する速度というのが、やはりここ、日本とは大きく違う。アメリカは圧倒的に早い。
勿論、オバマが大統領就任までの数ヶ月間をその準備に当てていたとしても、不況の震源地でもあるアメリカにとってみれば、対応は急務でもあるし、待った無しの状態でもあるだろう。
オバマが放ったメッセージが、今後どのように実現化していくのかが、注目されるところだが、今現在の日本にとっても、悠長なことは言ってられない。
定額給付金だぁ経済対策というものが、旧態依然としているばら撒きやらその場シノギの感は否めない。

どうしてそんなに頭悪いのだろうか?

というのか、今現在において、消費税を3年後だっけ?に引き上げると、何故に法制化しなければならないか?
今まで税金やら保険料やら年金やらをジャブジャブ無駄使いどころか、ネコババ横領しまくっていたのにだ。
そんなことの反省もあったものではない。皆無だ。
つまり、消費税を引き上げることを明記するのは、このクニの中枢が変わらないとするということだ。
コクミンから税金を毟り取り続けるということだ。


話は変わる。
少し前に、電車の車内にて聴いた会話。
「俺は、やりたいことやるんだよ。」
「周りで死にたいなんて言っているのは、どうでもいいわけ!」
「あの会社はどうのこうの・・・」
「営業が6人必要なんだよ。それで創設メンバーとして・・・」

ケッコウ若い・・多分20代後半から30代前半のリーマン?だけど起業したい系ってんですか?の会話だった。

未だこんなサモシイ事をのうのうと疲れきった夜の満員電車の車中でノタマウのかい!
ったくもう、ダメだよな。バカモノだからな。
人間を大事にしていこうとしなければ、この不況は切り崩すことなんて出来ないのによ。
アイも変わらずの「オラオラ系」かい!
誰が金持ってるだとか、あの会社のバックは・・・とか、耳に入ってくる言葉が気持ち悪くてしょうがなかった。

ああ、どの世代にも・どこの世界にも・いるんだろうな。

だから、こうなったことでもある。

いちいち落ち込んでなんて「いられない」のだ!

こうしている間にだって、ガザ地区ではどうなっている?
他の世界中の紛争地域は、どうなっている?
いつも無謀にも殺されていくのは、力ない女・子供・普通の市民達だ。

ではどうすれば?


それは、永遠に問われ続けられるのだ。

自分が何が出来るのか?
それ以前に、自分が何を思うのか?!
そして、自分の出来る範囲で何を持って行動していくのか?

それが基本だ。

誰でもが大統領になれるが、誰でもが大統領にはなれないのだ。

自分は、たかが自分でしかない。
他の誰でもない。他の誰かなんかには、なれないのだ。
自分は、自分であるしかないのだ。

では、どうする?

どう生きる?

それが、いつも問われている現実なんだ。

金などは、ただの紙と金属の塊だ。
それそのものに、価値など無い。
単なるイメージでしかない。

それに踊らされて、舞い上がっていたのだろ?
バブルも当の昔だっていうのに。
それで世界不況たって、ナンだよ!
昨日と今日とは、何が違うのだ!
ただのイメージが、幻・嘘八百だとバレタだけだろう!

それで、年間何万人自殺者がいるのだ!
路頭に迷う解雇者が何故にいるのだ?

それで、現政権は、何をやっているのだ!

バカばっかりだろう!

バカなふりして・・・か?

今年もまた、怒りまくりかぁ?

しょうがねえなあ!