Saturday, October 31, 2009

音楽を裏切ったら大変なことになる!

こう言っていたのは、古沢良治郎さんと近藤等則さんだった。

それも、ほとんど同時期に彼等の口から同じ言葉を発せられたのを俺は目の当たりにした。

そして今までに出会った全ての素晴らしい先輩ミュージシャン達も、「その言葉」を胸に秘めていると感じさせる演奏を し続けている。

厳しい掟・・・のようなものだ。

俺もまた、その言葉を思い出す。
そして頭(コウベ)をたれる。

クダラナイ?

クダラナイと思いたかったら思えばいい!

そう、そんなこと・・音楽を裏切ったら大変なことになる・・と思ったところで誰も儲かりはしない。誰も。

しかし、そこで、ギリギリの場所で、たった一人ステージ上で格闘し続けていた
孤高に立つその姿こそが、彼等・ミュージシャンなんだ。

若かった俺は、その後姿を目撃してきた。


かつて、自分にとって初めてのヨーロッパツアーでの、移動するバンの中で

地平線に沈み行くデッカイ太陽を見ながら、近藤さんは、俺に言った。

「サカイ君!沈んでいっても最後まで輝き続ける太陽!あれこそがミュージシャンの鏡だ!アッハッハー」



その言葉をもらってから、ずぅっと俺の胸のなかにある。

自由ってナンダーロ?

なんてね。
そんなこと言ったってねえ。

でも、少なくとも音楽だけは、自由であって欲しい。
やる人間が、どんな奴であろうとも、一旦虚空に放たれた・出てしまった「音楽」って奴だけは、自由であって欲しい。

政治も哲学も宗教も暴力もシガラミも理論も理想も譜面もBPMもクソミソも、あらゆるものから自由であって欲しい。
ロック?ブルーズ?ジャズ?クラシック?テクノ?演歌?民謡?カデコリー?ジャンル?誰それの鬱陶しい身勝手な思い?やる奴の魂?楽器の値段?ブランド?有名か無名か?・・・

そんなこんなからも、全てのものから自由であって欲しい。

アイ?アイだったらいいか・・・
まー、それもよく解らんが。
多分、ソレだったらいいだろうかな?

クダランもんが多過ぎる。
大事な大切なもの・いとおしいものが、簡単に踏みにじられる。

力?

実力?

なんだ?それ?

常識とか価値観とか、簡単に通用しなくなるのに、それを振りかざしたり、振り回されていたり。

俺は、下衆にはなりたくない!

何故って、音楽は最上だから。

う・・・それも、俺のうっとおしい身勝手な思いだーな。。。

許してくれ・・・

Tuesday, October 27, 2009

所信表明で思うこと

民主党の鳩山総理が、先日行った所信表明演説。
思うのは、やはり自民党・公明党の政権が終わって良かったと、これからいい方向になって欲しいと思うことだ。
もうコリゴリだよ。ジコーはね。

いい方向とは、社会的弱者に対する救済・そして支えあうという方向であり、それは予算の適正配分ということだろう。
大企業・そして一部の利権保持者に対してばかりの優遇というか、そちらばかりの利益誘導政策からの脱却ということだ。
ちょっと前の狂ったバブル時代。
一億総中流化・・とか言っていたのに、あっという間に貧困層(年収200万以下)が1000万人強ということになっている。
それでセフティネット(生活保護・医療もろもろ)が、軒並みカットで年間の自殺者が3万人強の状態が、一体何年間続いているのだろう?

コイズミが仕上げに入った「コイズミ改革」って、より弱者を追い詰める社会構造にしようとしたカイカク=改悪・・それも極悪なものだった。

よく言われていたのが、「クーデターが起こらないなんて、何てニホンジンは従順なんだろう!」というセリフだ。
こんな以前の政策が施行され続けていたら、外国だったら反乱が起きるのが通常だもの。

でも我慢が限度に来た!というだけなんだよね。
それを選挙で表しただけだし、それを無血革命と呼ばれても・・・まあ、なあとも思う。

石原東京都知事にしても税金私物化しまくりだったのだから贅沢は禁止しなければならないし、何よりクビにしなければならないね。あんなの!ヤンバダム中止に文句を言う筋合いなんて、おめえには無い!新銀行なんやらの500億円?とかオリンピック誘致の200億の無駄遣いの責任を取れっつーの!自分が偉い・大将だと思っている勘違いも甚だしい、唯のゲスだからなあ。
ああ、オリンピックがリオになって良かった!だよ。

弱い者いじめは、もうさせてはいけない。してはいけない。

クニを守る!とか言ってても自分のクニのコクミンを徹底的にいじめ続けてきたのだから、あいつ等!
一時期、コクミン総中流化とか言っておだてまくって、結局やりたかったことは、国民総奴隷化だったのだから。

しかし、常に感じるのは、金のある奴等は、ろくなもんじゃあないってことだ。

儲ける・・ということは、しいて言えば「ブンドル」と同じ。
全体の総量が決まっているなら、人より多く持つということは、他からブンドルということなのだ。
それを貨幣や株・債権やら、社会構造で見えなくしているだけの話だ。

だってそうでしょ?
アナタノカイシャのオエライサンとかって、どうですか?
まともな人だったら、それはアナタは幸運だってことだよね。

安心して暮らせること。
これは、基本的人権なんだ。
だから、食・住は、保障されてしかるべきだと思う。
そして、医療・教育も当然に保障されてしかるべき。
なにもこれが、社会主義ってモンではないと思う。
安心して暮らせることは、人類が願い続けてきたことなのだから。

だからおかしかったんだよ。
まあ昔流に言えば、オートメーション化とかロボット化とかIT化にしたって、人間が楽になれるはずだったのに、気がついたら逆でしょ?
それは、配分が違うからなんだよね。
機械に任せて楽になって、それでその仕事をしていた人=楽になった人達に配分されなくてはならなかったのに、その人達がはじかれて仕事が無くなって圧迫されるというのが、オカシイのだ。
では、浮いた金・儲けた金は誰がガメていたか?って話だよね。

お金の流れをよく見ると解るよ。
それも世界規模で見たらいい。
最終的に辿り着くところ。

そこが、ソレだ!

Sunday, October 18, 2009

バンドになれるかな?

今までの何年間、自分の理想を実現しようと思っていた。
で、さて?自分の理想とはナンだろう?

それこそ自分のアタマだけでは、なかなか・・・
特に打ち込みというか、マシン相手にひねり出そうとしても、自分だけだと飽きてしまう。
「俺はこうだ!こう思う!」みたいに言っている自分自身に萎えてしまうのだ。

まあ言い方を変えれば「試行錯誤の連続」だったね。
ああでもない、こうでもないといおうか?

自分の思い浮かぶ曲想・イメージが、ほとんど「おぼろげながら」のものだから。
手探り、正しく手探りの連続であったのかもしれない。

たぶんこの「手探り」というスタイルってのかな?は、変わらないだろうけれど。
来年の1月16日、恒例の誕生日セッションに、形として現れるだろうと思っている。

バンドという「決まった形」というより、もうちょっとユルイ形式というのかな?
ある種の「集合体」みたいな雰囲気だと思う。

というのも、一緒に演奏してくれるミュージシャン達に敬意を示したいという思いがあってね。
彼等は、それぞれに活動しているし、彼等自身の素晴らしい音楽をやっている。
今までに何回か共に演奏出来る機会があっての、ちょっとついでに・・というか、俺としてみれば気心知れた連中との組み合わせなもんだから。
でもって、「何々バンドの一員でござい!」っていう言い方は、皆にはそぐわないかもしれない・申し訳ないかなあ?・・・という勝手な思い込みなんだよね。でも、バンドってのは、個人的には好きなんだけれどね。
とはいえ、この組み合わせに辿り着くまでの経緯を考えれば、まあ「思えば遠くに来たもんだ・・」的な感じかな?

自分の曲想・・と呼べるような大したものではないが、そんなものを自分で分析?してみれば、極めてシンプルであること・トランシーなビートであること・・・なんだろうか。
そこで必要とされる事は、組み合わせの妙と変幻自在であるということなのかもしれない。
だから一緒に演奏してくれる彼等の力が必要なのですね。

めまぐるしく変化し続けるという、そういう方向ではないなあ。
トランシー・・なんて「カッコイイ」言葉を使ってしまったが、インプロと呼ばれる演奏の内容というよりも、むしろ継続していくビートのなかで「大きくグリグリと変化する」という方向だろうか?
まあ、その変化と言えども、その時任せ。
だから所謂「ジャムバンド」的な感じかもしれない。
ただ、ジャムバンド・・・とは、あまり自ら言いたくない・・というかね。
俺としてみれば、ずぅっとやってきた演奏スタイル・・みたいなもんだから。
「これがジャムバンドってもんだぜぃ!」みたいなものではないってこと。

当日、ライヴ録音するつもりです。

今から楽しみなわけですよー!!

Sunday, October 04, 2009

生きていれば

生きていれば、何かしらあるものだ。

齢50にもなれば、そんな事を言っても差し支えはないだろう。

まあ、それでも40、50はハナタレだ。
せいぜい生きることだ。

先の不安。
そんなこと思えばキリがない。
そうやってきたわけだ。
でも、これからだって、それは変わらない。変わる訳が無い。
不安という奴は、増えることはあっても減る事は無い・・解っているのはそんなことだ。
だから考えるほうが、バカらしくなる。しかし考えてしまうバカでもある。

気になる言葉というのが、たまに自分の目に飛び込んでくる。
それをヒントに出来るか否かは、解らない。

最近の気になる言葉。

誰それのウル覚えの詩。

歌唄いの幸せとは?・・・と。
それは、歌を歌い続ける事。
与え続けるということ。

そんな内容だったか?

そして同年代の漫画家の言葉。
根拠の無い熱狂そのものだけで生きてきたと・・・
結果はどうであれ、
いいではないか!たとえ三流であっても。

という言葉・・・

今の自分の何かに引っかかっている。

自分の背中には、何があるのだろうか?

それは、自分には見えないなあ。
だって、背中だしナア。
見せるといっても、誇れるものなど無い・・のかなあ?

うーん、他人様に声を出して、これですよ!なんて言えるものなど、無いのかもしれない。
否、解らない。
ワカラナイのだ。

ただ、自分はそうしてきたし、そうするだろう。

ただ、それだけなんだ。