Friday, February 19, 2010

最近は、少なくなったが

3月。
いろんな意味で自分にとって重要な月。
その中でも、自分自身に起こった事として、2002年3月16日がある。

もう、8年も前でもあり、未だ8年しか経っていない。

幸いなことに、ごく最近では、この日のこと・・事件に遭遇して重症を負ったこと・・を思い出す回数は、もの凄く減った。

まあ、寝ようとする瞬間に、その記憶が蘇り、なかなか寝付けなくなることは、以前にはかなりの回数があった。
その度に、自分の記憶を「その時」から「今現在まで」のストーリーを走馬灯宜しく辿っていくという作業を(襲ってくる恐怖に似た感情を抑えながら)しなければならなかった。

無理も無い。

自分に起こってしまったことで、この実感は、自分にしか解らないことだ。
だが、自分に頑なに閉じこもろうとは、全く思わない。
まあ、それに以前のように、このことをギャアギャア騒ぎ立てるということも幸いな事にしなくなっていった。

多分この先も忘れることは出来ないであろう。

無理も無い。
無理もしない。

でも、それでいいのだ。
今、ここに自分が確かに在るということは、変わりは無い。

で、二日前程に、久しぶりにフラッシュバックした。
本当に久しぶりだ。

ただ、それを受け止める。
それでいい。

イマが在るのだ。

ソレが全てだ。

Monday, February 15, 2010

サッカー日本代表・・なんだよなあ・・

東アジア杯だっけ?
この最終戦VS韓国の試合をテレヴィで見た。

結果、1-3で負ける。

これで、日本の監督が更迭されないってのが、おかしい。

監督の仕事ってワカランが、先ずは選手の選考だろうかね?
どうも、痒いところに手が届かないような中途半端な布陣に思えてならない。
で、後は試合でのスタメンと選手交代のタイミングとかだろうか?

他にいろいろあるだろうが、目立って見えるのは、そのくらいだ。

で、結果で判断されるのが、普通だ。

サッカーは、好きだ。
だが、日本のサッカーは、まだまだ弱いと思う。
W杯4強と、目標掲げるのは誰でも出来るけれど、それを実現するにはどうしたらいいか?の戦略というか?そういったものがあったのだろうか?
具体性がこの結果では、少なくても俺は、そのようなものが有るとは思えない。
W杯の1次リーグ突破して、その時に口にするのであれば、がんばってくれ!となるけれど。
アジアの片隅での試合で負けていたのでは、チャンチャラだよなあ。

そりゃサッカーは、何が起こるか解らない。
試合は、やってみなければ解らない。
だが、その試合運びの様子は、伝統的な悪い日本そのものだったに思う。

前に行けない。

チョロいショートパスとバックパスで、逆サイドとかオープンスペースを使うという運びが出来ない。
ただボールが来るのを待っている。
だから、パサーは、フリーでいる後ろにいる奴にしかパス出来ない。
ドリブルで蹴散らす奴がいない。まあ個人技が通用しないのか?
もしくはそういう選手を選考していないのだろうか?
ペナルティエリアに近ければ迷わずシュートするという攻撃性が微塵も感じられないし、バックラインからの遅いボール回しで、ゾーンディフェンスを作らせちゃうし、わざわざ密集したところで細かいパスをするってなあ。

ダイナミクスが無い。

繊細さは、持ち味?なのか?
だが、その繊細さを活かすにも大胆さがあってのこと。
勘違いのオーバーラップが、大胆って事ではないだろう?

たまにはキック&ラッシュでもやってみい!と。

で、とにかく監督は交代。

先ずは、それからだな。
考えられることは、全部やること。
現監督は、もう考えることは、やり尽くしているだろうから。
現監督の結果は、出たということだ。

監督交代。

Tuesday, February 09, 2010

演奏ってのは、アイ・・なのかな?

先日、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見た。
どっちか言ったら、圧倒的にPRINCEが好きなんだけれど、見てビックリ。

こりゃ凄い。カッコよすぎ!!

アタリマエっちゃあそうなんだろうね。
何といっても世界のスーパースターなんだから。
とにかくヴォーカルの素晴らしさを再認識。
そりゃそうだ!ガキの頃から(ジャクソン5の頃からね)スーパースターだという理由が、そこにある。
あの圧倒的なダンスパフォーマンスを含め、世界最高峰の一人なんだなあ。
後から「ああだこうだ」言ってもしょうがないけれど、とにかく残念!に尽きる。

で、マイケルが、ナニカと言うと「アイだよ、アイ」と言っていたね。
ふむ。。。

演奏後に、ふと思うときがある。
誰かがソロで発言する時には、そういう状況というか、環境というか?
ソロをとりやすいようにというのだろうか?発言?し易い状況・環境・スペースを作って、「どうぞ!」って感じにしてあげたいというのかな?・・・
これ、単純に反応というか、すぐそういう感じに自分はなってしまうってのもあるのかな?
勿論一緒に演奏している連中が「そうしている」ってのもあるね。
先日の1月16日の時も、正しく「それ」で、皆演奏をよく聴いている。
「俺が!俺が!」というのとは、全く違う。
当然のことでもあるけれど、自分が希薄であったなら「それ」は出来ない。
なんだけれど、尚且つ「他者に投げ出す感」とでもいうのだろうか?
「捧げる」とでもいうのだろうか?
誰に?
解りません!お客さん?はたまたカミなのか?なんなのか?
しいていうなら「音楽」なのかもね。

たとえソリストであろうとも、そんな感じがあるのだ。
だからというか、ソロもバッキング?っていうの?も、あまり違いというのが無いようにも感じる。

それぞれの「音」に、「それ」を感じる。
そういうミュージシャンは、素晴らしいミュージシャンなんだろうな、きっと。
ナンか、それを「アイ」っていうのかなー?とね。

おっと、自分にアイが有るとはね、ワカラナイんだ。
実生活においては、グシャグシャに崩壊・・しているようなもんだろうからなあ。
トホホ・・・ってなもんですからね~。

そりゃ「アイ」があったら、いいよなあ~。