いや~だいたい20年ぶりですな。。
ま~でもね。
面白かったよー!
こんな瞬間あったなあ・・でもあり、なーに!やれば出来るんだよね!
でもあり。
楽しく出来た。
それが、自分にとって、春一と今回の「目標」でした。
「楽しい」は、古澤さんの音楽の本当に大事な「ある側面」でもあるからです。
そのムードを創れるか?
本当に、自分勝手・身勝手ながら、それをしようと必死になろうとしてたのです。
そんなにしなくても、やればそうなる・・というのもあるよね。
確かに。
確かにそうなんですよ。
みんな、もう立派にオトナになっているのだからね。
っつーか、いっちょまえの立派なミュージシャン達になっているのだから。
そして、この日は、「その為に演奏をしに来る」のだから。
皆が、それぞれ大事な想いを抱いて演奏しに来るのだから。
そう、一歩引いた見方をすれば、何らかのイベントだから、気持ちを持っていきやすいというのもある。とオレは思うのです。
で、バンドというか?この場合「20年ぶり」という事実がある。
それを結果「リスク」としてしまうか?「チャンス」にするか?
それを何もしないで、結果に任せる・・というのをオレは、したくはなかった。
これ、全くの「おせっかい」で「勝手な思い込み」であります。
皆を信用していなかった?ということではない。
ただただ自分が「そうしたかった」だけです。
でも、バンドが演奏していた時期、確か1回はあったんだけど。
古澤さんが、ライブ会場に来れなかった事があって、それで演奏したら・・
そのとき、ま~、やけにまとまっちゃう?コジンマリとした、そつない、つまらない演奏になっちゃったんだよね。
その時思い知ったんだ。
古澤さんの存在をね。
あの「ワサワサ感」?「どうなるか解らない感」等のバンドを簡単に振り回しちゃうエネルギーを。
古澤さんが「居ると居ない」とじゃあ別物だってね。
大事なエネルギーの発振場所が、古澤さんだったということ。
その時、必死になんとかしようとしたけれど、まあ必死こいちゃっただけになってしまった。
その記憶がある為だったのか?
正直自分でも解らない。
でも、これは今回もリハーサルを大事にしなければなあ!と思ったです。
「あの感じ」を創れるか?
「いいじゃん?」というムードを少しでも創れるか?
それには、オレは「何か」を足さないとなあ。と感じました。
それは「なんやらの為に!」なんてにしてしまうと、それはダメなんで。。。
あくまで自分が「こうしたら面白いぞ!」ということをバンドに持っていきたかった。
それを連中が面白がってくれるか?否か?
過去の演奏の記憶だけではない、ほんのちょっとでも「お!こんな感じか!」というものをプラスすることが出来るか?どうか?
結果、春一の時より、いい感じを更に出せたかな?
それは、皆の力であり、そして今回のいわばカンフル剤的?な刺激を与えてくれた小川美潮さん・太田恵資さん・清水くるみさん・佐野康夫さん等のお陰でもありました。
オトナになったね。でもさ。
20年経ったけれど何にも変わんねえじゃんよお!あはははは!
Papa-R!
40・50はハナタレ小僧さ!俺達!
Sunday, June 19, 2011
Tuesday, June 07, 2011
古澤良治郎さん名曲演奏会に出演します。
来る6月18日@新宿PIT INN
http://furusawa-ryojiro.jimdo.com/
古澤良治郎さんは、私の師匠と呼べる人です。勝手に自分でそう思っています。
また、多くのミュージシャンも、私と同じように彼を師匠と、そう思っているに違いないと思います。
彼は、天才です。
かつて放映された古澤さんのドキュメンタリー番組でも、自分はそう言いましたが、その想いは変わることはありません。
むしろ、その想いは日増しに膨らんでいます。
私などは、到底、彼が「何を感じていたのか?」を知る由もありません。
何故なら、彼の「物凄いスピードで感じる・思うこと」は、私では、同じように・・否、少しでも近づけるような思考など、出来る訳はない!と常に思わずにはいられなかったのです。
圧倒的な違い・・というものでした。
次から次へ、思うこと・感じることが、湧き上がり変化して、彼は、アイディアを膨らませ、そして実現させようとしてきたと思います。
私などは、そのスピードについていくのがやっと?・・・いえ、ただただ唖然と必死についていこうとしていたに過ぎませんでした。
多くの楽曲が残されています。
それらは、(勝手に考えますに)古澤さんが、感じてきた軌跡であると思います。
きっと古澤さんは、ずっと感じてきました。
それを曲にしてきました。
彼の気持ちの倉庫?には、まだまだ一杯の曲の原型があったのではないかと想像してしまいます。
去年の暮れに久しぶりにて演奏出来た時に、彼が言った言葉
「泰三、面白い事をやろうぜ」
この言葉が、胸に焼き付いています。
http://furusawa-ryojiro.jimdo.com/
古澤良治郎さんは、私の師匠と呼べる人です。勝手に自分でそう思っています。
また、多くのミュージシャンも、私と同じように彼を師匠と、そう思っているに違いないと思います。
彼は、天才です。
かつて放映された古澤さんのドキュメンタリー番組でも、自分はそう言いましたが、その想いは変わることはありません。
むしろ、その想いは日増しに膨らんでいます。
私などは、到底、彼が「何を感じていたのか?」を知る由もありません。
何故なら、彼の「物凄いスピードで感じる・思うこと」は、私では、同じように・・否、少しでも近づけるような思考など、出来る訳はない!と常に思わずにはいられなかったのです。
圧倒的な違い・・というものでした。
次から次へ、思うこと・感じることが、湧き上がり変化して、彼は、アイディアを膨らませ、そして実現させようとしてきたと思います。
私などは、そのスピードについていくのがやっと?・・・いえ、ただただ唖然と必死についていこうとしていたに過ぎませんでした。
多くの楽曲が残されています。
それらは、(勝手に考えますに)古澤さんが、感じてきた軌跡であると思います。
きっと古澤さんは、ずっと感じてきました。
それを曲にしてきました。
彼の気持ちの倉庫?には、まだまだ一杯の曲の原型があったのではないかと想像してしまいます。
去年の暮れに久しぶりにて演奏出来た時に、彼が言った言葉
「泰三、面白い事をやろうぜ」
この言葉が、胸に焼き付いています。
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