Sunday, May 23, 2010

音楽情報量の差というか?

おやまあの連続投稿。

で、最近ネットラジオってのでアフリカのチャンネルに接続したらさ。

それが!
カッコイイんだ!音楽が!
まー、コンプーターで編集しまくりだけど、そういう音は若い連中、抵抗無いじゃん?

で、そんなカッコイイ音楽は、このニッポンでは中々聴けないのだ。
普通に聴けないというか、流れない。

ドメスティックなもの・・JPOPが悪いってんじゃあなくて、ネットで世界中とかね?情報化社会とかいっちゃっても、全然閉鎖的なんじゃあねえか?と思っただよ。
特にテレビ

まーテレビに始まる放送・新聞・ネットなんかの情報は、基本的に操作されているってことがバレバレなんだけどさ!

そればっかりが流されるから信じてしまうのだ!

結局自分で探すしかない。
その大事なセンスがあればこそ・・なんだけれどね!

デジタルアーダコーダ

ちょいとネットニュースやらを覗いてみれば。

なにやらブルーレイの200倍?可能な新素材発見BYニッポンとな。

うー。

で、音楽業界CDじぇんじぇん売れませーん・・・ってのと、考えてみると。
なんなんだろーね???

LPからCDへの移行期から音楽業界に足を踏み入れた・・といってもバンド稼業をやりだした時期なのだが。

LP・・アナログからCDデジタルへの移行するに、「ノイズが無い」とか「音がいい」とか言っておった。
でも「音」の情報量でいえば、よく解っていないけれど・・・アナログのほうが多いように思う。
で、CDでの話。
CD・・というメディアには、ご存知のようにCDRなんかでもせいぜい800メガ位。
んだから人間の耳の可聴域以外の低域やら高域を「CD版に入らない情報量だから」と削った。

まー、録音時の機械やらAD/DAコンバータやらハード面が、無理矢理な移行だったが為、結果的に遅れていたのだと思う。
で、今ではまあナントカなっているよね。

まー、それから「音」が「データ」?として今じゃあ闊歩している訳なんだが。
うー、そういう訳か????

データねえ・・・

データだろうがナンダロウが関係無い!
音は音。

で、そのDVDの登場からブルーレイですか?
で、そのブルーレイの200倍の記憶媒体????


ってことはさ。

CDで入らない不可聴域の大事な音の帯域も、デージョーブ?ってことなんじゃね?

最近パソコンで編集ソフトってのでアアタラコウタラ自分でやりだしたのだが、やれ16ビットだぁ24ビットだぁと、44、1やら96?やら??

で、そのビット数を上げるイコール解像度って気がしているんだけど、いいのかね?
それでもってメディアに情報量がいっぱい入る・・ならさ。
ワザワザMP3だかに圧縮なんてケチクセエ真似をやんなくてもいいってことだろ?

解像度をビンビンに上げたハードとソフト・・やらなんやらっていうのかね?
それになっていくってこと?

音が良くなる・・・解像度が上がるのは、まーいいこととしてみるか!でいいように思う。

オレは、未だ聴いたこと無いのだが、アナログLPを非接触(たぶん光だったか?)でのアナログLPプレイヤーがいいんじゃあねえか?と思っているんだが。
未だ作っているのかな?
多分新潟にあるメーカーだったようにウル覚え。

だよなあ。
結局ハードメーカーの大合唱でCDに移行した(ユーザーに買わせようとした=テレビデジタル化も同じ流れがある・・理由はもっとエグイけれど)のだが、音楽がネットやらで無料でデータとして飛び交ってしまったもんだから、デジタル化したツケが、メーカーと業界?に跳ね返ったってことじゃんか?
無料ダウンロードってやつでね。
メーカーやら業界縮小やら倒産の嵐だったもんねえ。
で、馬鹿げた宣伝で「ダウンロードがエコ」???なんてヌカシテイルCMもあるもんなあ!

んー、ハイエンドオーディオってんですか?
まー解らんでもないが、1000万円かけて高価なCDプレイヤーやら電源整流器やらEQやら・・でも真空管アンプにスピーカとくりゃ、音の出口はさ、そんな変わりようがねえってことでしょ?

メーカーさんはさ、この際、原点回帰で「いい音」に向かえばいいのだ。
で、業界はせっせこと「いい音楽」を作ろうと必死コクってのが本筋ってことなんよね。
ハンディプレイヤー向けのコンテンツ(って言い方がナア!アホ業界君じゃん)などで、媚びうる必要無いんだよ。

それしかないんだよな。
もうデジタル万歳っていう幻想は捨てないとね。いい加減。
デジタルだとかアナログだとか関係無いの!!!

いいことやんないとね、ダメだっつーことでしょー?!

Monday, May 17, 2010

あらためて音色(ねいろ)へ

音色・・ねいろ と言ったほうが、おんしょく と言うより好きだ。
他にもトーンだとか、言い方はイロイロあるだろうけれど。
オレには「ねいろ」と言うほうが、好き。

今までにも、この「ねいろ」についてアアダコウダと言って来た気がする。
でも、ようやくと言うか・・

アホなアタマで考えて?みたものの、もとがアホだから考えたってタカが知れている。
だからそう、自分にとって一番気になったもの・・・

ねいろ  をモット深くいったろうじゃんか!
っと思った訳ですな。

単純にさ、自分が好きなギタリストって、それこそ本当に「音がいい!」のであるからしてね。
であったら、自分もそこにいきゃあいいじゃん・・・ってもんだ。
しかし、そうだとしても、茨の道?終わりの無い無限地獄?
とにかく大変だってことには変わりは無い。

あたりまえだ。
「これでいいやぁ」なんかある訳無い。

その「ねいろ」には、ノリやら表情やらなんやらが全て入っている?っていうのか?
そんなもんだと思っている。
自分の楽器にしたって、考えてみリャ「それ」を実現する・出来る可能性がある楽器だと直感したことでもあるもんね。
で、最近になってピッキングについても自分でのやり方が見えてきた感があるってのも、この「ねいろ」を追求するに一つ拍車がかかっている要因でもあるかな。

オレは、ピックが無いとダメなんだよね。
まあ、ソレは今現在の話でもあるけれど。
とにかくピックを使って弾く。
でも今までは、どうもこのピックってぇのが「借りてきたナントカ」みたいな、自分のものじゃあないような感覚から抜け切れなかった。
もちろんフィンガーピッキング・・指弾きでは無いから仕方が無いのかなあ・・と思っていた。
でもねー、弦に絡み付いてしまうというか、引っかかってしまう感がオレを悩ませていた。

ピッキング。
このピッキングを含めた弾き方というのは、ホンの数ミリ・・否!数ミクロン?というか、僅かな違いでも凄い違和感を感じるものだ。
まるで別世界だし、自分の指ではないような感覚になってしまう。

でも、他の人とかのピッキングフォームなどを見てみると滑らかに弾いていたりするんだよなあ。
スンゲーうらやましい訳だ!

で、逆アングルという弾き方があるのだけれど、その弾き方はどうマネをしても出来ないことが解った・・・というか、今は無理と。

で、それならば自分なりにピックの角度をどうやって工夫するか?が課題になった。
これ、始めから逆アングルそのものをやろうという動機ではない。
今までのピッキング方法では改善する可能性が感じられなかったから、では他の方法で可能か?どうか?の試行錯誤の過程なのだ。

アアデモナイコウデモナイで、普通?の右手の持ち方でピックの角度をつけるやり方を見つけた。
それで弾いてみると、今まで引っ掛かってしまうところがアレ~・・弾けんジャン!
やったー!てなことになったですな。

これ自分にとっては大発見!

そうなってみると表情の付け方だとかナントカが自由になれてきそうになっている。
ピックがまるで指の先端のような?指の一部・・ていう感覚になれそうなのだ。

そうなのだ!

やったー!

で、思い返せば幼少から15歳までナンだか解らずに続けていたヴァイオリンの弾き方・・
ボウイング・弦への弓の当て方やら弾き方って、右手を弓が弦に均一に当てる為に角度をフレキシブルに変化させていたもんなあ。
ハジクとコスルでは違いはあれど、弦に直接当たる瞬間は共通するものがあるね。
云々。。。。

で、やるのだ!ということでした。

Saturday, May 08, 2010

くだらなさがバレチャッタね!

先の機密費だっけ?
使い方っていうか、元ジミントー野中さんがバラシタやつね。

そりゃ機密だぁなあ。
実態は、単なる貯金箱で、それにあやかっていた連中の実名がばれちゃったねー。
歴代首相経験者?メディア関係者?政治評論家?お笑い芸人?司会者?

あーバカじゃねえの?

つまりプロバガンダ費用ってことの使われ方ってのがあるってね。

第二次世界大戦・・・65年前の敗戦ってことで、テレヴィと芸能・スポーツ(野球・プロレス等)は、敗戦時の民衆のガス抜き(不満の矛先を逸らす)ってのが目的で、それは結局「当局の都合がいいように宣伝する・意識をそらせる・洗脳する為のもの」だったってことだあね。
ってことはさ、そこまで支配されているのだから、つまりは全てだってことでしょうね。

だから今現在も、そうだということ。

メディアで「ああだこうだ」の殆どが、支配下にあるってことで、その色がビシビシ付いているってことでしょ。

だからテレヴィ・新聞・ネットニュース等、先ずはそのまま受け取るのは危険極まりないってことだ。
政治評論家?やお笑い芸人が偉そうに物申している事を全て疑うべし!
連中は、広告塔の役目であり、それをすることで世間に出られている基盤を確保されているということだ。

騙されるな!ということ。

それには、自分自身の良心というかセンスにかかっているのです。

それが、本当のバカかどうかの分かれ道ってことだ。
良心を捨て去り、良心を捨てられない連中を騙して利用することが「リコウ」か?どうか?
クニ・体制や主義・宗教・カネ・常識・・・全てに対して、自分自身の良心に沿った思い方が出来るか?否か?

貴方やワタシに五分の魂が「あるや否や」だということです。
そこが基本。

そして、税金・国民年金・健康保険やら全ての巻き上げられるものに対して、その使われ方の徹底した追及と提示が絶対に必要であるってこと。
捜査当局の尋問の完全可視化と司法当局の改革等・・・
やらねばならないことは、ありすぎるぐらいにある。

つまり、関心を持たなければならない!ということなんだと思う。

生きるということの大切さ。命の大切さ。

自分も大切だが、貴方も大切だということが、基本なんではなかろうか?

人間が、大切なんですよ。
一緒に笑うというのが、大切なんですよ。
でも悪い奴は腐るほどいる。
で、貴方もワタシも、その「悪い奴等」になりたいですか?

俺は、嫌だ!
アホで下らなくもダメな俺だが、五分の魂は捨てられない。
何故って、それが多分俺だから。

そう思う。

Wednesday, May 05, 2010

世の中?揺れているね

最近のメディア・・新聞・雑誌・テレヴィ・ネットニュースなどを見るにつけ、本当に必要な情報というのがスポイルされているとつくづく思う。
必要な情報といってもセンサ万別。
人それぞれでもある。

で、情報というのも「お知らせ」だ。

テレヴィは、殆どがCM=売らんが為の宣伝であり、ニュースもまたそれに順ずる。

普天間のこともとても重要だ。

60数年経つ植民地としてのこのクニが、独立を果たせるか否かという問題だ。
防衛とかの話にすり替えられ、前のジミントー政権が無理やり決めた路線をどうしろと言う話なのだ。

そんなドタバタの「お知らせ」の陰で、14年ぶりに性懲りも無く再起動する「もんじゅ」がある。

先日の新潟地震の時に新潟刈羽発電所から放射性物質のヨウ素が二日で700年分!一挙に放出してしまったとの情報もあるのに(一日の許容量でいうと??計算しようにも恐ろしい)未だに原発と核燃料サイクルに拘り続ける意味とは何だろう?

採算ベースにおいても全く非現実的であるもんじゅを再起動させる意味は何であろう?

CO2の増加が地球温暖化・・という話も、それ自体が何かの意図で加速しているようにも思える。
そう、CO2増加を防ぐ為の原発推進?核燃料サイクルへの性懲りも無い舵取り???

地球上に遺伝子を破壊し続ける猛毒・放射能を撒き散らす、その目的だろうか?

エネルギーと食料と水と空気。

次世代には、それらが充分に確保出来るか否かが、生存の条件だと言っておきたい。
事実、今現在でも「それ」が最重要なこと。
しかし、多くの人には「カネ」というものを信じ込まされている。
実際それは、それによって支配される道具であるにも関わらずも宗教よろしく信じ込まされている。
まあ世の中に流通している・それでもって日常があるという事実もある。
でもその実態とは「紙」であり金にいたっては「単なる金属」なんだという事を忘れてはいけないんじゃあないか?

実際には、人間が生きるに直接且つ絶対に必要なものは、「食料」と「水」と「空気」だ。
後は「エネルギー」
そして喰う・寝る所が無条件に保障されれば、大体満足ってもんだろう。

原発とか核燃料サイクルなどというものは、原子レベルで電力を生み出すのではなく、ゆっくりと爆発させて得る熱でもってお湯を沸かし、水蒸気でもってタービンを回して、初めて電力を生み出すのだ。

だったら、あんな危険極まり無いものをワザワザ使うよりか、地熱発電・・・温泉地は、沸騰水があるところでは自前の電力は、地熱でタービン回して発電すればいいし、河の流れのあるところならば、いたるところに水車(タービン)を回して発電すれば?
海に近ければ、波動発電ということもすれば?
酪農の盛んなところであれば、牛の排泄物からメタンガスを作れば?
これは、浄化槽の工夫で人間のモノでも出来ることであるような記事を見たことがある。

家を建てるならば、太陽光発電と浄化槽を工夫して自前でエネルギーを供給出来るシステムを作ればいいのではないか?
そして小さな地域発電を心がけていけば、ワザワザ危険な原子力発電など、しなくていいんじゃあね?
後は蓄電技術をぼちぼちと向上させればいいのだ。

で、それをしては困る連中が、ワザワザ税金の大量無駄遣いと人間の命を縮めようとしているように思う。

だよなー。バカらしい!本当にバカらしい。
でも、これが実態だ。