Friday, December 30, 2011

今年を振り返る?

2011年も大晦日を迎えた。
今年1年間を振り返るに余りにも大きな事が起こりすぎて、それらに対して何かを言うということが出来ない。

出来ないというよりも、したくないのが本心にも思う。

時間は、人間が決めた「一年間」また「時間軸」に関係無く、時を刻んでいる。
時を刻む?というのも違うかもしれない。

自然・宇宙は、ただ黙って、そこにあるというか?

私は、たった一人の人間にしか過ぎない。
その一人の人間が思うには、余りにも大きな対象を闇雲に必死になって考えようとしているのか?


しかし、どうしても無い頭を無理してでも駆使しようとして、この行く末?もしくはこれからの事を想像しようとしてしまう。

自分が子供の頃、昭和の40年代であろうか?
科学の進歩が、幸せを運んでくれるものとアナウンスさせていたように思う。

そう、輝かしき21世紀!というやつだ。

21世紀・・夢が実現する未来というところの21世紀になった。
夢の・未来の・・実現するはずだった。

しかし、その輝かしき21世紀は、蓋を開けてみたら、どうだったのか?
私が幼少の頃に夢を与えられていた「輝かしい21世紀」は、何処にも無かった。
確かにあらゆる方向での技術は、今から40年以上前からは想像できないほどの進歩は、した。
だが、それらが本当に人々を幸せに導いているのだろうか?
私は、その技術によって、幸せになったのであろうか?

例えば、コンピュータ。
電子機器のマイコン制御等、その恩恵はあるだろう。
だが相対的に見て、PCの操作法等、使われているのは、どちらなのだろうか?
人間の労力を省くことで、実際にパージされてしまったのは、私達人間ではないのか?
効率という名のもとで。

これは、実際には、一部の人間がその他大勢の人間をパージしているに過ぎない。

この形状は、実は形が変わっただけの、大昔からの変わらぬシステムではないか。

それをまざまざと見せ付けられたのが、先の東北大震災・・それも原発爆発ではなかったか。

あの大地震での甚大な被害は、現地に実際に赴かなければ解らないことなのかもしれない。
立ちすくんでしまうだけの、どうしようも出来ない虚無感に襲われるものなのかもしれない。

ただ、思う事は、地震災害だけなら、涙を流しながらも復興に向けて立ち上がろうとするように思う。


原発爆発、これは全く違う次元のことになってしまったのではないか。

その復興にしても原発爆発があった故に・・・ということになってはいないか?

空気・水・土壌等の人間が生きていくに絶対必要な自然環境。
生物が存続可能な条件を根こそぎ揺るがしたのが、人間の欲を基調とする技術・・の有様ではなかったのか。
そして、今も人間をはじめとする生物そのものに対して敬意を払わない思惑が、ここにある。

21世紀

そして2011年

忘れようとて忘れる事の出来ぬ年になった。

経済の究極の欲望とは、思うに、一部の人間がその他大勢の人間を喰らうことだと思う。
経済と言う文言・言い方に騙されてはいけない。
現在大まかに語られる二つの主義といわれる方法の、どちらかの方法でも、理不尽な不平等は、実は両方ともに同じように存在している。

これからは、一体何か?
何が必要なのか?

遥かかなたの大昔から、数千年来?の私達人間の希求すること。

それは、人間性の復興???いや確立なのではなかろうか。

これは宗教のことを言っているのでは全くない。
信じれば、そのまま叶うなどということには、もの凄い抵抗感がある。
思った・信じた・・で、考える事を自ら放棄しては決してならない。

99%の人間達が、自ら何を求めるか?を問われているのであろうか。

私も今を生きている。

次世代の人よ。

この闘いは、既に何千年も前から始まっている事でもあり、また私達も その渦中にある。

混沌に見せかけた状況に絆されないように。
もう既に混沌の渦中でもあるのだろう。

共に繋いでいくのだ。
私達の確立を目指して。

GET UP STAND UP

DON'T GIVE UP THE FIGHT

Tuesday, December 13, 2011

卒業

ギターを教えている一人の生徒が、先日、俺のレッスンを卒業した。

嬉しくもあり、また少し、寂しくもあり。

とにかく、俺のレッスンからの始めての卒業でもある。

彼には、今後ギタリストとして、充分に通用出来るものを伝授した訳ではない。
レッスンそのものも、ソレを養成する為のものでもない。

何を伝えたのかとあえて言うならば、俺がかつてのソロデビューに繋がるきっかけとなった「自分自身のノリを如何に掴むか?」ということなのかもしれない。

それは、何処から来るものかは、解らない。
だが、確実に自分自身に起きること。

それをハッキリと自覚出来るか?否か?
自分のモノと出来るかどうか?
そして後は、これからの起こるであろう経験等で、それをブラッシュアップ出来るか?だろうか。

俺はある意味、凄く幸運だった。
強力な先達の洗礼を受け、また彼等は、何処の馬の骨か解らないこの俺を使い続けてくれて、経験させてくれたからだ。

それは、とても大きなプレゼントであった。
決して楽なものではなかった。
20代は、悪戦苦闘であり、暗中模索の日々。
だが、それを通過してこその、自分のノリの発見でもあった。

勿論、それが出来たからといって安泰な訳では無い。
でも、ソレこそが基盤であり、ソレが無ければ以降の日々の苦闘には、耐えることが出来なかった。
今もその渦中にある。

ミュージシャンになれるかどうか?
なり続けるとは、如何なることか?

それを知る・もしくは経験する基盤であると思っている。
その基盤になれるモノの兆候を彼に見た。

彼には、故古沢良治郎さんが、俺との最後になってしまったセッションで言った言葉を贈りたい。

「面白いことをやろう!」


健闘を祈る。

Wednesday, October 19, 2011

自分で考えなければ

日常という日々が過ぎていく。

ただ、今までとは、違う。

その実感そのものを自覚するといっても、実は難しいことかもしれない。

そういう自分とて、そうなのだ。

だが、自分の感覚を鈍らせてはいけない。

そう。

地球そのものは、今も変わらずにいるのだろう。

ただ、自分達・・この状況は、以前とは違うのだ。

自分には、何が必要なのか?

そこに立ち返って、思ってみる。

思考しなければならないことが、余りにも大きな問題であっても、自分がどう捉えるか?からしか、始まらないと思う。

翻弄。

されるであろう。


自分の境遇を嘆いても それこそ仕方のないことかもしれない。

自分自身というべきか?
自分の自由は、何処にあるのだろうか?

感じる・思う。

それを如何に自由に保てるか?

自分の感じるセンスを何かに囚われないようにしていくか?

多くの嘘や誤魔化しが、沢山あり過ぎる。
情報の混濁が、判断を鈍らせる。
閉ざせばいいのか?
選ぶ?

自分のセンスを固定化させぬようにすること。
間違いは、ある。
自ら、修正出来るように心掛ける。

それが必要に思う。

Wednesday, September 07, 2011

たからもの

たからもの

心に ちゃんと 刻まれてる

この 私を 

誇りとしてくれたこと

今でも 大切な たからもの

そして私は

ギターを弾いている

Saturday, August 20, 2011

再びGET UP STAND UPDON`T GIVE UP THE FIGHT

9年前、理不尽な暴力に絆された。

苦しい絶対安静のベッドの上で、この言葉が、俺を支配した。

GET UP STAND UP !DON’T GIVE UP THE FIGHT !

再び?

何度だろうが!

息をする限り!

息をする為に!


Tuesday, August 16, 2011

表せるもの?こと?

なんのこともない。

だけども、ただ一つだよ。

俺の目線の先を見てみれば。


なのかな?

解るだろ?

Tuesday, July 05, 2011

あざやかなゆめ

「あざやかなゆめ」を持ち続ける。

想えば、十代前半・・ギターを手にした瞬間から、そうだった。

そうなりたいと。
強く思った。
ソレしか出来ないかもしれないと思った。

やがて、そうだと知った。

不器用で,
自信が持てない自分が、
たった一つ、託した夢。希望。

決して淡いものではなかった。

むしろ暗黒の?いや、一寸先は闇という、手探りの連続。

自分の足元さえ、何も見えなかった。

全く頼りない自分の 「情熱」のみ が、唯一の武器。

自分の出す音だけが、現実・・落胆、そして、証。

そうやって、生きてきている。

今でも、全く、お・ん・な・じ・だー。

そうなんだよ


オレの親父に言われたのさ。
「オマエは、大器晩成だ」って。
そうかー!じゃあ大丈夫だ!
なんて、無邪気に思っていた俺。

ははは!


見え隠れする桃源郷?それは幻?のニオイが、オレを突き動かす。

あともう少し・・のところで、また振り出しに戻る?

いいや、それも、全てが修行というか?

意味?意味ってナンだ?
成功する保障又は確証か?

そんなことは 知らない。

桃源郷・・そこに向かうことしか、知らないんだ。

オレは、今でもそうなんだよ。

あざやかなゆめ・・それがあるお陰で

今日も生きてるってことだね。

Sunday, June 19, 2011

オトナになったPapa-R?

いや~だいたい20年ぶりですな。。

ま~でもね。

面白かったよー!

こんな瞬間あったなあ・・でもあり、なーに!やれば出来るんだよね!
でもあり。


楽しく出来た。
それが、自分にとって、春一と今回の「目標」でした。
「楽しい」は、古澤さんの音楽の本当に大事な「ある側面」でもあるからです。

そのムードを創れるか?

本当に、自分勝手・身勝手ながら、それをしようと必死になろうとしてたのです。
そんなにしなくても、やればそうなる・・というのもあるよね。
確かに。
確かにそうなんですよ。

みんな、もう立派にオトナになっているのだからね。
っつーか、いっちょまえの立派なミュージシャン達になっているのだから。
そして、この日は、「その為に演奏をしに来る」のだから。
皆が、それぞれ大事な想いを抱いて演奏しに来るのだから。

そう、一歩引いた見方をすれば、何らかのイベントだから、気持ちを持っていきやすいというのもある。とオレは思うのです。
で、バンドというか?この場合「20年ぶり」という事実がある。
それを結果「リスク」としてしまうか?「チャンス」にするか?

それを何もしないで、結果に任せる・・というのをオレは、したくはなかった。

これ、全くの「おせっかい」で「勝手な思い込み」であります。
皆を信用していなかった?ということではない。
ただただ自分が「そうしたかった」だけです。

でも、バンドが演奏していた時期、確か1回はあったんだけど。
古澤さんが、ライブ会場に来れなかった事があって、それで演奏したら・・
そのとき、ま~、やけにまとまっちゃう?コジンマリとした、そつない、つまらない演奏になっちゃったんだよね。

その時思い知ったんだ。
古澤さんの存在をね。
あの「ワサワサ感」?「どうなるか解らない感」等のバンドを簡単に振り回しちゃうエネルギーを。
古澤さんが「居ると居ない」とじゃあ別物だってね。
大事なエネルギーの発振場所が、古澤さんだったということ。

その時、必死になんとかしようとしたけれど、まあ必死こいちゃっただけになってしまった。

その記憶がある為だったのか?
正直自分でも解らない。

でも、これは今回もリハーサルを大事にしなければなあ!と思ったです。

「あの感じ」を創れるか?
「いいじゃん?」というムードを少しでも創れるか?

それには、オレは「何か」を足さないとなあ。と感じました。
それは「なんやらの為に!」なんてにしてしまうと、それはダメなんで。。。

あくまで自分が「こうしたら面白いぞ!」ということをバンドに持っていきたかった。

それを連中が面白がってくれるか?否か?
過去の演奏の記憶だけではない、ほんのちょっとでも「お!こんな感じか!」というものをプラスすることが出来るか?どうか?

結果、春一の時より、いい感じを更に出せたかな?

それは、皆の力であり、そして今回のいわばカンフル剤的?な刺激を与えてくれた小川美潮さん・太田恵資さん・清水くるみさん・佐野康夫さん等のお陰でもありました。

オトナになったね。でもさ。
20年経ったけれど何にも変わんねえじゃんよお!あはははは!
Papa-R!
40・50はハナタレ小僧さ!俺達!

Tuesday, June 07, 2011

古澤良治郎さん名曲演奏会に出演します。

来る6月18日@新宿PIT INN

http://furusawa-ryojiro.jimdo.com/


古澤良治郎さんは、私の師匠と呼べる人です。勝手に自分でそう思っています。

また、多くのミュージシャンも、私と同じように彼を師匠と、そう思っているに違いないと思います。

彼は、天才です。

かつて放映された古澤さんのドキュメンタリー番組でも、自分はそう言いましたが、その想いは変わることはありません。

むしろ、その想いは日増しに膨らんでいます。

私などは、到底、彼が「何を感じていたのか?」を知る由もありません。

何故なら、彼の「物凄いスピードで感じる・思うこと」は、私では、同じように・・否、少しでも近づけるような思考など、出来る訳はない!と常に思わずにはいられなかったのです。

圧倒的な違い・・というものでした。

次から次へ、思うこと・感じることが、湧き上がり変化して、彼は、アイディアを膨らませ、そして実現させようとしてきたと思います。

私などは、そのスピードについていくのがやっと?・・・いえ、ただただ唖然と必死についていこうとしていたに過ぎませんでした。

多くの楽曲が残されています。

それらは、(勝手に考えますに)古澤さんが、感じてきた軌跡であると思います。

きっと古澤さんは、ずっと感じてきました。
それを曲にしてきました。

彼の気持ちの倉庫?には、まだまだ一杯の曲の原型があったのではないかと想像してしまいます。

去年の暮れに久しぶりにて演奏出来た時に、彼が言った言葉

「泰三、面白い事をやろうぜ」

この言葉が、胸に焼き付いています。

Tuesday, May 17, 2011

故にタフに成らねばならない。

3月11日以降、現在までに、やはり生活が変わりつつある。

何処かに何かが引っかかっている。
以前のように、能天気にはなれない。

東日本の状態は、震災にて直接に被害を被ってしまわれた人達にとっては、突然に、また激変の酷い状態なのであろう。

そして、福島の原発周辺の退避しなければならない人達もそうでない人達も同様だろう。
農家・漁業他、仕事を奪われてしまった方々・・生きる糧を失った人々は、沢山いる。

そして、この東京付近においては、放射能汚染の情報が、二ヶ月も経った今更ながら確実に出始めている。

これが、どういった事になっていくのか?

あまりにも漠然と?否、事の重大さが、あまりにも大きすぎて、自分自身の思考として考えられない・・というのが、実情に思う。

これは、自分自身の思い方だ。
正直、ウロタエルという以前の所謂「思考停止」ということかもしれない。
そして、何処かへ移住するといっても、どこか躊躇してしまう思考もあるやもしれない。
ただ、それも眼に見える・直ぐそこにあると見える甚大な危険・・というものが、目の前で展開されたら、どうなるのであろうか?

おそらくは・・ということか?

兎に角、生活は変わっている。
先ず、飲料水。
これは、ペットボトルを購入するということになってしまった。

でも何故?水道代を払わなければならない?
飲めない水に何故?カネを払わなければならない?
そして、空気。
マスクをしなければいけないのだろう。本当は。
そして、食料。
野菜・・・どうしても産地を選んでしまう。

先ず実際に起こっている・・自分達が今認識出来る?レベルは、この程度でしかない。

チェルノブイリの避難区域と比較してみれば、とうにこの場所でさえ、その区域(ホットスポット等の考慮は必要だが)に、なるであろう場所。

誰かが、否、国が「そこは危ないですから・・」と言ってくれるのを待っている・・のかもしれない。


だが、国などは、そんなことなど・・国民の命を最優先に考える組織ではない・・とも感じている。

地球規模の汚染なのだ。

チェルノブイリ時のヨーロッパの暗さよりも、今の自分達の方が、深刻なはず。

しかし。

多くの他の国の人達が、疑問に思っているのだろう。
何故にデモや怒りの声が挙がらないのか?と。

アイも変わらず、東電・政府・役人などは、保身だけだ。

これが。
この状態が。
この国の正体なのか!

何が国防だ!!!!

何が専守防衛だ!!!!

何が国だ!!!!!!!!!!!!!!!

核兵器を持とうとしてでの、また平和利用だと絆され、一部の利権に群がる反吐が出る輩共の金儲けの為に、ましてや絶対安全だと言い切った詐欺行為で、実際は全く危険な代物で、地震で壊れてしまうような不完全極まりない原子力発電での自爆ではないか!

愛しい大地と海と空気と水と・・・

奪われたのだ。
そこに生かさせてもらっていたのだ。
自然そのものに生かさせてもらっていたのだ。

これを人類・人間の業・強欲の成せる結果とするような、解ったような一般論で済まそうとなど絶対にしない。
責任転嫁など、絶対にさせない。

今まで、原子力を推進させた人間達の責任だ。
世界規模でのほんの極一部の富裕層達とその他の世界中の普通の人間との問題だ。
電気を利用したとする、無理やり共犯に仕立て上げようとすることなど、見え透いている。

空気と水と大地と海・・・それを返せ!

それを元に戻せ!

いとおしい人間達・そして全ての命。

世界中の普通に、そして今日も懸命に生きる人達・全ての命の日々の営み・生活を返せ!

出来る限り生き抜いてやる。

Get Tough !

Tuesday, April 12, 2011

レベル7

もう、このレベル7については、各方面から様々な検証がおこなわれているだろう。
私は、唯の素人に過ぎない。
だが、このレベル7という値が、何を意味するのかを素人ながら把握しなければならないと思う。

レベル7というと、1986年に爆発したチェルノブイリ原発事故の評価が、レベル7であり、最悪といっていい事故の評価であろう。そのように認識する。

それで、巷に溢れる、このレベル7という評価の基準とは、自分が認識しているのは、「放出された放射性物質又は放射線量の総量」から決定評価されるものと思っている。

で、チェルノブイリ原発爆発事故と今回の福島は、違うとの見方。
違うのは、何が違うのか?
それは、放射性物質・放射線の放出のされ方であろう。
チェルノブイリは、原子炉爆発により、それこそ爆発的に、それらが放出されたのだろう。
福島は、徐々に原子炉内より「垂れ流す」ように、放出されている。
それで、現在も「垂れ流し放出」は、止まっていないどころか、継続中であること。


だから、チェルノブイリと福島が、どちらがナンだ・・という見方は、当てはまらないと思う。
「どちらにしても重篤な大事故」に、なんら違いが無いのが事実であろう。
福島は、非常に重大で、且つ危険な状態が継続中であろう。

チェルノブイリとは、違う・・という文字に、期待しては無意味だ。
期待とは、「チェルノブイリより規模が小さく大したことにはならない」と誰かに言って欲しいとする期待だ。
誰でもが、そう思いたい。
私とて、勿論そう思いたい。
そう願っている。
ただ、いたずらに煽るのもいけない事だが、無闇に「安心」してもダメだ。

被爆というもの。 自国内の大事故によって被爆を経験するのは、私達は慣れていないのだ。
ましてや、飛散する放射性物質・放射線は、「目に見えない」のだ。

ただ、覚えておかなければいけないこととは。
放射性物質の体内被曝。

大体の数値で、検証は各自でお願いしたいが、ヨウ素で半減期が8日、崩壊するまで2ヶ月と言われる。
セシウム・ストロンチウムで、大体20~30年。同様に崩壊するまで100年くらいか?
そして最悪・最凶の物質であるプルトニウムは、半減期が2万4千年。崩壊するまで10万年と言われる。

体内に入ってしまった放射性物質は、内側からの被爆を起こすと言われる。
このことが、一番懸念される重要事項だと思う。

今現在での放射線での外部被爆での犠牲者の数は、わからないが、チェルノブイリでも数十名といわれるが、体内被曝による犠牲者の数は、未だに検証されていない。

一説によると100万人以上といわれるのだ。
それは、時間が経過しなければ、解らないことなのだ。

つまり、私達は5・10・20年後以降に「これからどうなるか?」ということだと思う。

それを忘れてはならない。

そして、願うのは一日も早く放射性物質・放射線の垂れ流しを食い止める事。
福島第一発電所の6基ある原子炉の恒久的な安定化、そして廃炉。

国内全ての原子力発電の即時全撤退・全廃炉。

そして世界中の原子力発電の即時全撤廃である。

それを強く願う。

Wednesday, March 16, 2011

3月16日 その2

今も尚、福島の原発では、現場の作業をしていらっしゃる方々の大変な苦労がある。

今のこの現状を見て、この先、日本も含め世界にお願いしたい。

原子力発電は、直ちに止めてください、と。

先ずは、それをお願いしたい。

Tuesday, March 15, 2011

3月16日

今日は、自分に起こった、あの事件から9年だ。

おかげさまで、今は元気にしている。

しかし、この3月11日に起こった大震災によって、今居る場所は直接の被害は無いにしろ、この数日間、まるで気分は乱気流状態だ。

それは皆さんも同じと思う。

今日も今日とて、それは続いている。

だが落ち着いていこうとも思う。

3月15日の文

3月11日の地震の日から、今日までずっと緊張していた。
今は、多少解れているのか?
でも、全く開放されたとは当然言いがたい。

今日、東京の街を少し歩いていたら何故か涙が出た。
ほんの一週間前と同じように、でも違うのだけれど。
人々は、日々の生活に追われ、営みを続けている。

それが、如何に大切なことなんだろうかと感じた。
ただ、忙しさに追われる日々だけでは、たまらないけれど。

もし、この大震災から復興の兆しが見えるときになったら、どう思うのだろう?
ふと、自分の父親達のことを思った。

戦時中には戦争に行き、そこで・・というのが当たり前と思わされ、私の父は、徴兵されるも程なく敗戦。
そして、焼け野原の東京にて「手を真っ黒にして働きたい」と父は思ったという。

その時の気持ちが、ホンの少し解るような気がした。

少し涙を流した。

もし、私達が立ち直れる時が来たら、そう思うのだろうか。

そう思いたい。

この大震災で垣間見えた大きな矛盾。

私の父達が復興しようとした、戦前とは違う、人に良き世の中にしていきたいと思ったであろうその気持ち。

ついこの前までの世の有様は、彼等が望んだ世ではなかったように思う。
どこかで歪んでしまった。

別に日本がどうのこうのとかじゃあない。
日本の伝統云々でもない。



いろいろありながらも笑って日々の営みを続けられる世の中っていうんでしょうか?
経済最優先というのではなく、人が人でありえる・・

そんなものを次に渡せたらいいと思う。

Wednesday, February 23, 2011

いやいや流石と申しましょうか

先日、フェイスブックとやらでのお誘いで知った「芳垣安洋さんと坂田明さん」のバースディライヴ@新宿ピットインにお邪魔をした。

我が敬愛の「ガッキー」こと芳垣君に誘われるまま、打ち上げまでご一緒させてもらった。

坂田明さんとお会いするのも、本当に久しぶりのこと。
もう7・8年ぶりかなあ?
お互いと申しましょうか?
思いがけない怪我やらなんやらが、坂田さんとは同じ時期に遭遇してしまったんだよなあ、確かね。

しかし、そんなことは関係なくなる、流石の「坂田明」がステージに居た。

独特の語り口と言うべきか、ステージーパフォーマンス?
いや芳垣君曰く「それは一曲ですねえ」に全く同感してしまう琵琶法師?噺家?辻説法?はたまたバナナの叩き売りのような見事な語り口!

勿論サックスの演奏は言うに及ばずです。

当日の演奏者の皆さんの繊細な音と見事な対比を提示して、双方の輪郭をハッキリと際立たせた坂田さんの見事な演出でした。

これは、繰り返しますが、当然のこと、バンドの素晴らしい演奏が、あってのことであります。

楽しませていただきました!

演奏後の打ち上げにもお邪魔させていただきまして、坂田さん・芳垣君・高岡君等と楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

芳垣君等とは、ヨーロッパの状況やらアナログレコード回帰の気配やらモロッコ・トルコやらの音楽の面白い話が出来て、嬉しかったですねえ。

でも何故か突然、坂田さん曰く「泰三!オマエ可愛いなあ!」とか言われたのは、ナンジャラホイ?

ああ、少し酔っ払っていたので、話の脈絡覚えていないっす。。。

Friday, February 18, 2011

最近、ふと思ったこと

ちょっと前の電車の車中にて。

受験を控えた高校生らしきが二人づつ、四人。
まあ、知り合いとかでもなさそうな、一斉模擬試験を受けてきた様子。
二人で互いに「答え合わせ」的なことをやったり、何処何処の大学に入るには・・とかいう会話も聞こえる。

その会話やら答えあわせをする様子やらを眺めていた。
そして思い出した。

オレが、「その当時」の時の気分と同じ気分で、彼等の話を「遠く」で聞いたこと。

何かしらの「遠い距離感」と少しの「嫌悪感」

その若い彼等には、勿論悪気?も無いし、このオレにしても彼等に「そういう感情」をワザワザ持つようなことでも無い。

自分がその「高校生と同じ位の年代」であっても、そういった感情を感じたことを思い出し、不思議に思ったのだ。

つまりは、当時と変わってないのか???
そうとも言えるのだろう。

でも、その感情を持った訳・理由が、今でもオレの中に同じようにある。
それが不思議にも感じたし、その理由とは、何だろうか?何を感じたのか?

オレは、まあランクで言えば中位の高校生だった。
1学年400人の在校生のうち、東大に入れる奴が一人・二人の、ワリとレベルレンジの広い?学校であったのだろうか?
最悪につまらなかったが。

で、入学した当初は、あるテストにて、400人中上から5番目だったりして、自分でも「やるなあオレ!」とか思ったが、卒業時にはケツから数えて10番目位になっていた。
つまりは390番ってことか!

勉強するということが、たまらなく嫌だったのだ。
机に向かっても、音楽聴いたりギター弾いたりで、まるでダメだったのだ。
既に想いだけは、高校生になった瞬間から音楽の道に行くことを決めていた。
それこそ「アテモナニモナイ」唯の夢であったのだが。
でもやりたかった。そうなりたかった。そう思うしか無かった。
真っ暗なその時期での唯一の一筋の淡い光でしかなかった。
そう思っていたからか?その車中の高校生のような人間達には「疑問」を抱いていたのだ。

「何故?何故自分の未来に疑問を持たなくて、盲目的にそれをするんだろう?」

まあ、勉強をするのが当たり前っちゃあ、そうなのだが。

その車中の高校生らしき彼等の会話は、正直言って、面白くなかった。
そして、何か言葉の端といおうか?会話のニュアンスに、得体の知れない気味悪さを感じたのだ。

「自分だけよければいい」とするような、排他的な何か。

社会の常識だとか、マナーというのだろうか?
そんなことは、後でも儀礼的に身に付けられることでもあるが、そういうものではない、何と言うのだろうか?
人としての何か・・何か冷たいものを感じたのだ。

ああ、それはオレが勝手に彼等を決め付けてることでもある。
それは、危険なことでもある。

しかし、何かそういった感じがしてしまったのだ。
そういう彼等が、模擬テストの答え合わせを何の疑問も持たずにして、何処何処の大学に入り、そして社会へと金太郎飴のような顔をした人間となって押し出されてくるのか?
時代は変わったって??
確かに情報の量的な部分やモノは、気が狂っている程に溢れかえっている。
でも、時代が違うのか?
オレが生きているこの時代がか?

まあ、極論だ。これはオレの単なる決めつけでしかない。

何の疑いも疑問も持てない?これは、もしそうならば危険なことだ。

社会・・いや世界は、ある意味、欺瞞に溢れている。
それはオトナとなった今、自分が実感することでもある。
うっすらと見えないベールに覆い隠されているもの。
その存在を普段は日常に忙しく、気にする余裕も無い。
ただ、その覆い隠されたベールの裏には何があるのか?
そしてアイってやつは何処にあるのか??
でも、このヨクってのは、いったい???

その疑問は、オレはその当時から感じていたりもした。
「何故に大人達は、そうなのか?このままだと良い訳が無いじゃあないか!俺達はどうすればいいのだ!」と思っていた。

今、正にそれを思う。
オトナとなってしまった自分に言いきかせる。

「このままでいいのか?良い訳が無いじゃあないか!次の奴等はどうすればいいのだ!」
しかし、その思い方といおうか?いってみれば「センス」のようなものは、自分の両親から貰ったものでもあるように感じる。


自分の自らの足元と、それから繋がる世界中をこれから覗いてみればいい。
自分の体験こそが、ものを考えるに当たっての確かな手掛かりでもある。
知識なんてものは、それだけでは何の役にも立たない、むしろ邪魔な存在にもなってしまうものだ。

いろんな試練があるだろう。
それは等しく皆のトコロにかたちを変えて現れてもくるだろう。
くじけてもいい。
落ち込んでもいい。
失敗したって、後で取り返せばいい。

君達に託す前に、自分で何処まで行けるかが、これからのオレのやることだ。

Friday, January 14, 2011

古澤良治郎さん

2011年1月12日。

この日に、古澤良治郎さんが、亡くなられてしまいました。

この文章を書くにあたっても、何か躊躇といいましょうか。
言葉に出来ない想いがあります。

私が、ミュージシャンになれたのも「古澤さん」のお陰であります。

古澤さんに遭えなければ、私のもう一人の恩師(と勝手に思っているのですが)近藤等則さんにも遭えなかったでしょう。

多くの想いが、次々と溢れてくるものではありますが、今は、一つだけ、ここに記したいと思いました。





昨年の暮れの12月の後半に、古澤さんと一緒に演奏出来る機会がありました。

そこで、彼が言った言葉が、印象に残っております。

古澤さん曰く

「面白い事をやろうぜ!」


この一言が、彼が私に教えてくださった最後のことになってしまいましたが、その言葉は、とても印象深く、又、重いと申しましょうか。

彼、古澤良治郎さんは、生涯を通して、それ・・「面白い事」をやり続けてきたと思います。

そして、私が今、勝手に解釈をすれば、その「面白い事をし続ける」ことを「やれ!」と言われたように思います。

これは、本当に私が勝手に解釈するものであります。


私は、思いました。

音楽とか、所謂「表現」というものは、「人の心」とか「気持ち」を「良くする」ようにするものであるのが望ましいと思います。

もっと簡単に言えば「リペア」というか「修復?」・・でしょうか?

いや、それよりも、元の状態に戻すというより「より良きものにする」という感じでしょうか?

そういう使命といいましょうか?役目といいましょうか?
その為に・・ナニナニの為になんて言うと「オコガマシイ」ですけれど。

けれど、そこに向かって、ただ向かって、見返りなど求めようも無く、唯、向かうこと。

そういうことなのではないか?と思いました。

それには、絶対に「面白い事」を「やり続け」ないとならない。

それを、私の目から見た、古澤良治郎さんは、身をもってやり続けた。

その姿を・・後姿を 見せて頂けた・・・と思っております。


最後になってしまったセッションのサウンドチェック時に、古澤さんから「泰三!オマエうるさくない!」と言われたのが、とても嬉しく思いました。


本当に、本当に、ありがとうございました。

Saturday, January 08, 2011

2011年1月16日酒井泰三バースディライヴ「NOMAD ALIVE!」


2011の泰三バースディライヴレコ(予定)e+で予約有り!

酒井泰三(g)今堀恒雄(g)太田恵資(vl)吉崎マモ(b)嶋田吉隆(dr)佐野康夫(dr)

今年もこれです!やります!こうご期待!

open19:00 / start 19:30 adv \¥3,000/ door \¥3,500

(問&予約)高円寺ショウボート 03-3337-5745