Friday, December 30, 2011

今年を振り返る?

2011年も大晦日を迎えた。
今年1年間を振り返るに余りにも大きな事が起こりすぎて、それらに対して何かを言うということが出来ない。

出来ないというよりも、したくないのが本心にも思う。

時間は、人間が決めた「一年間」また「時間軸」に関係無く、時を刻んでいる。
時を刻む?というのも違うかもしれない。

自然・宇宙は、ただ黙って、そこにあるというか?

私は、たった一人の人間にしか過ぎない。
その一人の人間が思うには、余りにも大きな対象を闇雲に必死になって考えようとしているのか?


しかし、どうしても無い頭を無理してでも駆使しようとして、この行く末?もしくはこれからの事を想像しようとしてしまう。

自分が子供の頃、昭和の40年代であろうか?
科学の進歩が、幸せを運んでくれるものとアナウンスさせていたように思う。

そう、輝かしき21世紀!というやつだ。

21世紀・・夢が実現する未来というところの21世紀になった。
夢の・未来の・・実現するはずだった。

しかし、その輝かしき21世紀は、蓋を開けてみたら、どうだったのか?
私が幼少の頃に夢を与えられていた「輝かしい21世紀」は、何処にも無かった。
確かにあらゆる方向での技術は、今から40年以上前からは想像できないほどの進歩は、した。
だが、それらが本当に人々を幸せに導いているのだろうか?
私は、その技術によって、幸せになったのであろうか?

例えば、コンピュータ。
電子機器のマイコン制御等、その恩恵はあるだろう。
だが相対的に見て、PCの操作法等、使われているのは、どちらなのだろうか?
人間の労力を省くことで、実際にパージされてしまったのは、私達人間ではないのか?
効率という名のもとで。

これは、実際には、一部の人間がその他大勢の人間をパージしているに過ぎない。

この形状は、実は形が変わっただけの、大昔からの変わらぬシステムではないか。

それをまざまざと見せ付けられたのが、先の東北大震災・・それも原発爆発ではなかったか。

あの大地震での甚大な被害は、現地に実際に赴かなければ解らないことなのかもしれない。
立ちすくんでしまうだけの、どうしようも出来ない虚無感に襲われるものなのかもしれない。

ただ、思う事は、地震災害だけなら、涙を流しながらも復興に向けて立ち上がろうとするように思う。


原発爆発、これは全く違う次元のことになってしまったのではないか。

その復興にしても原発爆発があった故に・・・ということになってはいないか?

空気・水・土壌等の人間が生きていくに絶対必要な自然環境。
生物が存続可能な条件を根こそぎ揺るがしたのが、人間の欲を基調とする技術・・の有様ではなかったのか。
そして、今も人間をはじめとする生物そのものに対して敬意を払わない思惑が、ここにある。

21世紀

そして2011年

忘れようとて忘れる事の出来ぬ年になった。

経済の究極の欲望とは、思うに、一部の人間がその他大勢の人間を喰らうことだと思う。
経済と言う文言・言い方に騙されてはいけない。
現在大まかに語られる二つの主義といわれる方法の、どちらかの方法でも、理不尽な不平等は、実は両方ともに同じように存在している。

これからは、一体何か?
何が必要なのか?

遥かかなたの大昔から、数千年来?の私達人間の希求すること。

それは、人間性の復興???いや確立なのではなかろうか。

これは宗教のことを言っているのでは全くない。
信じれば、そのまま叶うなどということには、もの凄い抵抗感がある。
思った・信じた・・で、考える事を自ら放棄しては決してならない。

99%の人間達が、自ら何を求めるか?を問われているのであろうか。

私も今を生きている。

次世代の人よ。

この闘いは、既に何千年も前から始まっている事でもあり、また私達も その渦中にある。

混沌に見せかけた状況に絆されないように。
もう既に混沌の渦中でもあるのだろう。

共に繋いでいくのだ。
私達の確立を目指して。

GET UP STAND UP

DON'T GIVE UP THE FIGHT

Tuesday, December 13, 2011

卒業

ギターを教えている一人の生徒が、先日、俺のレッスンを卒業した。

嬉しくもあり、また少し、寂しくもあり。

とにかく、俺のレッスンからの始めての卒業でもある。

彼には、今後ギタリストとして、充分に通用出来るものを伝授した訳ではない。
レッスンそのものも、ソレを養成する為のものでもない。

何を伝えたのかとあえて言うならば、俺がかつてのソロデビューに繋がるきっかけとなった「自分自身のノリを如何に掴むか?」ということなのかもしれない。

それは、何処から来るものかは、解らない。
だが、確実に自分自身に起きること。

それをハッキリと自覚出来るか?否か?
自分のモノと出来るかどうか?
そして後は、これからの起こるであろう経験等で、それをブラッシュアップ出来るか?だろうか。

俺はある意味、凄く幸運だった。
強力な先達の洗礼を受け、また彼等は、何処の馬の骨か解らないこの俺を使い続けてくれて、経験させてくれたからだ。

それは、とても大きなプレゼントであった。
決して楽なものではなかった。
20代は、悪戦苦闘であり、暗中模索の日々。
だが、それを通過してこその、自分のノリの発見でもあった。

勿論、それが出来たからといって安泰な訳では無い。
でも、ソレこそが基盤であり、ソレが無ければ以降の日々の苦闘には、耐えることが出来なかった。
今もその渦中にある。

ミュージシャンになれるかどうか?
なり続けるとは、如何なることか?

それを知る・もしくは経験する基盤であると思っている。
その基盤になれるモノの兆候を彼に見た。

彼には、故古沢良治郎さんが、俺との最後になってしまったセッションで言った言葉を贈りたい。

「面白いことをやろう!」


健闘を祈る。