Thursday, May 31, 2007

言葉っつーのは・・

何気にいつも使ってる「言葉」という代物・・・
なかなか「厄介」?というかなんというかですなー。

ササイナコトですが、最近「ネット」上で、かつて自分が作曲した曲の、それも歌詞!の一部を目にした。
あーた、歌詞ですよ、歌詞!よりによっての歌詞ですよー。。。

こりゃ、ブッタ曲げた?びっくらこいたっすねー。

「っえ~っ・・・」みたいな感じ。

ま、わかってくれとは言わないが、わかってちょうだいね??

もー・・・昔の日記を他人に読まれるみたいな感覚なんですがー・・・

そっ!まーね、そんなこと言ったって「歌詞」なんだから・・

それもCDにして売っちゃったのだから・・・

それもメジャーで・・・(売れなかったでしゅぅ・・)

まー、ギターの音の片鱗が、今尚語り継がれている・・(おいおい、引退してねえよ!現役だぜ俺は!)ならば、マダシオなのだが、ね~・・


そう、言葉なのだっ!


最近「憲法9条を世界遺産に」というやつを読んだ。
なかなか為になるっつーのかな・・
このなかで「言葉」というものは、時として人を殺めてしまう力がある・・というところとかに目が止まった。
なかなか、この爆笑問題の太田氏は、勉強しているんだね。
そして彼に好感を持つ理由は、あくまでも「芸人」というスタンスであり続ける決意を感じさせるからだ。
ビートたけし氏もそう思える。

人がしゃべる時、必ず言葉を使う。
そして感じるものは、どんな言葉を使っても、「その人」そのものが表出するということだ。

どんなに丁寧にふるまっても、厭らしい輩は、その姿を隠す事は出来ないし、どんなに乱暴な言い方をしても優しい人は優しいのだ。

でも、それを見抜かないと、感じなければ、簡単に騙されてしまう。

全然まとまらないが、なんだろう・・・うーん、もうちょっと頑張ってみるかっと。。。


先の歌詞・・実は「おめでたや・・」という曲の歌詞なのだが、それをネット上で見たときには、自分の歌詞であるという「気恥ずかしさ」や「嬉しさ」や「虚栄心」やらなんやらだったのだが、それは一瞬で次には何か自分のものではないような、言ってみれば「一人歩き」のようなものを感じた。

何だろう?

正直に言えば、あまり気持ちのいいものでは無い気がする。

それは、「いいと思ってくれるのはさ、嬉しいけれど、本当に俺の事をあんた!解ってんの?」っと言いたくなる。
そして、「あれぇ?そんなつもりじゃあないんだぜってーのに!あれ?あれー??」って感じに、他人が口にした瞬間に「全く別な意味を持つ」ような感触を持ったのだ。

何だろうかこれは??

それは「共感」という次元が、あまりにも不確かなものだからではないだろうか?なのかなあ?

つまり、自分と他人は、決して同化することは出来ないはずなのに?・・ということ。。。か?

でも、この「うん!わかるわかる!」というのが無ければ、会話って成立しないというか、人間のコミュニケーション自体が不可能なことなんだよなー。

まー、「歌詞」なんだから、それも世間に対して売ってみようー!というものなのだから、「いい!」と思ってくれれば、いいっちゃいいのだがね!わはははは!

で、俺思ったのは、間違ってこれが大ヒット!なんてものになったときには、「大変な思い」をするんだろうなーっと想像できるよなー。

でさ、実のところで言うとさ、(ちいさな声で・・)

「ようやく解ったの???」なーんて、思っちゃう「俺」がいたりしてさー。


うわっ嫌な奴だよな!俺!

Thursday, May 17, 2007

そういうことだったか・・

ガセでもあるかも知れないが、大体予想はしていたものの、そこらへんとのカラミもありぃですか?

全然、何言っているのだか解らないでしょうが、いいのです。

「何も知らずにいることがぁ~、ただシアワセでいるカギさぁ~・・」っとくらぁってなもんだっ!

も、ホント・・レゲーェエエッ!ですよー、もー。

っということで?こりゃ音楽が、正しく必要だってことでね。

それを、キキワケラレルカ?

イエー!

もう、それしかないんだぜぇ!ベーイベェ!

Thursday, May 10, 2007

悪夢

悪夢・・・悪い夢。

俺の場合、あの事件に繋がることの夢だ。

いまだにフラッシュバックもある。

頻度は、かなり減ったとはいえ、こればかりはどうしようもならない。

これは個人的な体験なだけ・・・の話だが、何故それをあえて持ち出そうとするか?

あの体験から1・2年間、やたらとその事に触れてはいた。

それは、「理不尽な暴力」を体験していればこその、叫びだ。

犯罪の被害者でもあるが、むしろ俺が、こんな事をいつまでもヒケラカスのは、自分でもどうか?と思う。

がしかし、命の瀬戸際を歩かされたその体験は、俺思うに、「暴力=戦争」と思うからだ。

当然のこと戦争体験のほうが、暗くて重い。

そう想像出来るのだ。

だから、そんなもの(戦争・理不尽な暴力・人間性への虐待等)は、完全否定するのだ。

完璧に「NO!」なのだ。

先日の「春一番」出演の際、多くのミュージシャンから「その話(事件のこと)を聞いたよ。でもよかったね!生きていてね!」と言われた。

全くその通りだ。

生きていなければ、何も無い。

辛さ・痛みは辛いが、生きているからこそ、いろんなことが味わえるのだ。

それを抹殺する流れ。

これに対しては、真っ向から対峙しなければならない。


あるテレヴィ番組にて、元議員のハマコー氏曰く「日本は、アメリカの植民地だからしょうがない」と。

正直な物言いだ。

これは事実なのだ。

だからケンポウを変える?

このクニの今の流れは、決して自国の為に必然を持ってケンポウを変えるということでは、全く無い。

事実は、明白だ。

憲法9条を蔑ろにして、海外出兵を可能にし(いまやコイズミがそうしてしまった)、アメリカの防人として自衛隊を軍隊化しようとするだけの話だ。

自虐的にあえて言えば、このクニには、とんでもない地雷なんてものではないものが、全国にある。

55基の原子力発電所だ。

そこをやられれば、ニポンだけの話ではない。

チェルノブイリ以上に、地球に生きる全ての生物に壊滅的な打撃を与えてしまう。

世界唯一の原爆被爆国であり、さらに「原子力地雷」の仕掛けられたクニなのだ。

何でそんなものを?決まっているじゃあないか!誰が決めたと思っているんだ?

自分達か?????

そう、自分達が選挙でわざわざ選んでいる政党によって勝手に決められている。

それを何処の誰が支配しているのかって?

世界的な金の流れを見れば明らかだ。

世界情勢は刻々と変化している。

だが、基本的な流れは、何も変わっていない。

何処が支配するか・されるか?だ。

人を抹殺する技術は、圧倒的に進歩した。

先端技術は、イツデモ真っ先に軍事に利用され必要とされる。

このインターネットもしかりだ。

大戦突入直前に「東京音頭」で踊らされたことと全く同じに、テレヴィには、毎日能無しバラエティ番組が溢れ、クラブサウンドがドラッグと共に利用されスポーツさえ目くらましに使われて、狂牛病の牛の肉やらそれが混入する肉製品を買わされ喰わされ、コッカに従属せよとする狂育が施行され・・
やれ不況だぁやれミニバブルだぁ勝ち組負け組云々クンヌン・・・メディアは、本当の事を報じない大本営発表と化し、全てが換金化され、優劣が尺度となり、感性を抹殺され続け、ただの物言わぬ奴隷とされ続け・・・

こんな世の中に誰がしたのだ!

何を感じ、何を思い、何を考えて、どう模索して、何を未来に伝え繋げようとするか?

幼子の無垢な笑顔は、「新しく出来た奴隷の頭数」なんかでは全く無い。そうしてはならない!


無垢な笑顔は、未来へのささやかな希望の光そのものなのだ。

それを絶やしては断じてならない。

広島・・・

大阪「春一番」に出演後、深夜バスに経費節減の為に乗り込み、やはり眠れず早朝の広島に到着。
体を休めてこの日のライヴに備えたかったが、約10年ぶりの広島、以前に見ることが出来なかった「原爆ドーム」「原爆資料館」へと向かった。

そして、夕方になって雨も降り出す。

「今日の演奏は、どうなるのかなあ?」と思いながら、演奏する場所に向かう。

ややー!なかなか妖しげなビルの4階の奥まった、見るからに「元スナック?」みたいな扉を開くと、今日の競演するベーシストの梶山シュウさんの顔が見えた。

この店「パーカッションハウス・ピコ」の店長でありパーカッショニストのツン太さんやら広島のミュージシャン達と挨拶を交わし、サウンドチェック&簡単なリハーサルをする。

彼等とのセッションの大枠をなぞり、今日もいい演奏が出来そうな確かな感触を得て本番に臨む。

昨日の演奏のいい感触のまま、この日も、とてもいい感じに演奏出来た。

競演出来た、広島のミュージシャン達も、カッコ良かったなー!

イエイ!

演奏後の雑談もそこそこに演奏場所を後にした。



そして今、あの日の昼間に行った原爆ドームと資料館の事を思い浮かべている。


約60年前に、この地で史上初の実戦において原爆が投下されたことが、あの街の、なんとも言えない雰囲気を醸し出しているように思える。

一瞬にして、14万人の命を奪い、更にその後も何万人もの命を奪い続けている「原爆」。

それは事実なのだ。

長崎も、沖縄も、そして東京も、更に日本各地にも、悲劇の傷跡が今もなお確実に残っている。

否、消える訳など無いのだ。

今、この瞬間でさえ、多くの数え切れない程の犠牲者が、世界中に増え続けている。


「あそこから、どこどこから、絶対ミサイルが飛んでくる。そうしたらあんた等は、どうするんだ?」

「そうならないようにするのが政治、そして外交でしょ?」

と返答するある議員に失笑するコメンテーターやら政権党の議員やらをテレヴィで見た。

マッハ10とかで飛来するミサイルを宇宙ロケットを飛ばすより更に精確さを求められる「対ミサイル迎撃」が、本気で出来ると思っているらしい。

これは、技術論じゃあない。

戦争を完全否定するか否かの選択だろう。

全く、CO2の問題を原子力発電やらに摩り替える論理と同質なものを感じる。

再軍備を声高に唱えるのが、戦争を知らない輩ばかりというのが、情け無さ過ぎる!

たった60年余りで、犠牲者達に「もう過ちはしません」とした誓いを反故にするのか!

コロサレル恐怖・残虐の果ての苦しみをそんなにまでして、味わいたいのか?

俺は、否だ!もうごめんだ。

今尚、悪夢に魘される以上の恐怖なんて、冗談じゃあない!

そんなものを次世代に渡してなるものか!!!

Wednesday, May 09, 2007

春一番、そして大阪

先日、春一番という足掛け30年以上続いているイベントに出演させてもらった。

俺が、ガキの頃から続いている音楽の祭り。

始まった当初から、そうそうたるミュージシャンが、出演してきた。

このイベントに出演出来た事に、嬉しさを感じた。

そして、特筆すべきことは、このイベントの「雰囲気の良さ」。

今まで出演してきた数ある国内の音楽イベントの中でも、雰囲気の良さは、トップクラス。

ナントいっても、出演者・お客さん・スタッフみんなが楽しんでいる!

そしてナントいうか「気が利いてるよなー!解ってるよなー!」って感じ。これ大事なところ!

出演するにあたってのストレスが無いもんなあ。

これは、俺が今までに出演してきたデカイコンサート(海外含む)で考えても、五本の指に入ります。

それで思う事は、「大阪なんだなあー!」という感じ。

大阪という地域の持つ、ある感触。

大きな下町?というか、人懐っこく、良くも悪くも?ベタな、それでいて優しい。

大阪は、認めてもらうまでは大変だけれどもね。

芸には、厳しいからね!

まあ、出会った人達が、いい人達ばかりなのだろう。

世の中は、いい人もいれば、悪い奴もいる。何処だってそうだもんね。

そう、この「春一番」は、単なる「内輪のコンサート」ではない、というところが大前提にある。

スタッフの大変な仕込みがあってのこと。この雰囲気を創ろうと思っても、そう簡単に実現出来ないものだしね。

それを、お客さんがよく解っている感じ・・・一緒に創っている感じがした。

なんせ、よく聴いてくれている。音楽が好きな人達が、それぞれリラックスしながら聴いている。

そして楽しんでいる。

ああ、こんなところで演奏したかったんだよ!ホント!

またここで演奏したいなあ!