何気にいつも使ってる「言葉」という代物・・・
なかなか「厄介」?というかなんというかですなー。
ササイナコトですが、最近「ネット」上で、かつて自分が作曲した曲の、それも歌詞!の一部を目にした。
あーた、歌詞ですよ、歌詞!よりによっての歌詞ですよー。。。
こりゃ、ブッタ曲げた?びっくらこいたっすねー。
「っえ~っ・・・」みたいな感じ。
ま、わかってくれとは言わないが、わかってちょうだいね??
もー・・・昔の日記を他人に読まれるみたいな感覚なんですがー・・・
そっ!まーね、そんなこと言ったって「歌詞」なんだから・・
それもCDにして売っちゃったのだから・・・
それもメジャーで・・・(売れなかったでしゅぅ・・)
まー、ギターの音の片鱗が、今尚語り継がれている・・(おいおい、引退してねえよ!現役だぜ俺は!)ならば、マダシオなのだが、ね~・・
そう、言葉なのだっ!
最近「憲法9条を世界遺産に」というやつを読んだ。
なかなか為になるっつーのかな・・
このなかで「言葉」というものは、時として人を殺めてしまう力がある・・というところとかに目が止まった。
なかなか、この爆笑問題の太田氏は、勉強しているんだね。
そして彼に好感を持つ理由は、あくまでも「芸人」というスタンスであり続ける決意を感じさせるからだ。
ビートたけし氏もそう思える。
人がしゃべる時、必ず言葉を使う。
そして感じるものは、どんな言葉を使っても、「その人」そのものが表出するということだ。
どんなに丁寧にふるまっても、厭らしい輩は、その姿を隠す事は出来ないし、どんなに乱暴な言い方をしても優しい人は優しいのだ。
でも、それを見抜かないと、感じなければ、簡単に騙されてしまう。
全然まとまらないが、なんだろう・・・うーん、もうちょっと頑張ってみるかっと。。。
先の歌詞・・実は「おめでたや・・」という曲の歌詞なのだが、それをネット上で見たときには、自分の歌詞であるという「気恥ずかしさ」や「嬉しさ」や「虚栄心」やらなんやらだったのだが、それは一瞬で次には何か自分のものではないような、言ってみれば「一人歩き」のようなものを感じた。
何だろう?
正直に言えば、あまり気持ちのいいものでは無い気がする。
それは、「いいと思ってくれるのはさ、嬉しいけれど、本当に俺の事をあんた!解ってんの?」っと言いたくなる。
そして、「あれぇ?そんなつもりじゃあないんだぜってーのに!あれ?あれー??」って感じに、他人が口にした瞬間に「全く別な意味を持つ」ような感触を持ったのだ。
何だろうかこれは??
それは「共感」という次元が、あまりにも不確かなものだからではないだろうか?なのかなあ?
つまり、自分と他人は、決して同化することは出来ないはずなのに?・・ということ。。。か?
でも、この「うん!わかるわかる!」というのが無ければ、会話って成立しないというか、人間のコミュニケーション自体が不可能なことなんだよなー。
まー、「歌詞」なんだから、それも世間に対して売ってみようー!というものなのだから、「いい!」と思ってくれれば、いいっちゃいいのだがね!わはははは!
で、俺思ったのは、間違ってこれが大ヒット!なんてものになったときには、「大変な思い」をするんだろうなーっと想像できるよなー。
でさ、実のところで言うとさ、(ちいさな声で・・)
「ようやく解ったの???」なーんて、思っちゃう「俺」がいたりしてさー。
うわっ嫌な奴だよな!俺!
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