年齢というやつ。
今年も、ありがたくも歳を一つかさねることが出来た。
実感というものは、年齢を何かに書く時に「おっと!待てよ・・俺って・・」という感じで、実感するのであろう。
これまでの数十年間、ナンとか生きてこれた。
迷惑だぁ、面倒くささだぁとかを周りに撒き散らしながら、ナンとか生きてこれた。
生きてこれたのは、自分の力とは、全然思ってない。
「自分で生きてきた!」と思う人は、正直うらやましくもある。
それだけで、偉いと思う。
自分はナンだか解らなくて、ボーっとしてきたのかもしれない。
そりゃ幾つか試練というものがあった。
生死の境目を行き来したこともあった。
それでもナンとか生きてこれたのだ。
ありがたいことだ。
ある電車の中で。
幼子と若い母親との笑顔のやり取りを見た。
微笑ましくもあり。
多分、世界中で一番優しい瞬間なんだろうか。
その幼子は男の子であるから、今から数十年後には、否が応でもメンドクサイ現実に立たされる。
まあ、男の子であろうとも女の子であろうとも、同じかな。
大人って辛いね。
無条件な幸せに包まれる至福の時から、現実という日々に叩き込まれる。
誰でもがそうなのだ。というか。
その無条件の至福の時期を体験しなければ、それから「生きる」という試練も含めの現実に向かうのは、厳しい話だ。
その親子の姿を見て、そう感じた。
「優しい」は、いいね。
よかったね。
人は、難しい。
一人では、生きてはいけない。
どうしても他人と関わっていかなければならない。
他人と関わるには、少しばかりであっても喜びというものが必要だろう。
全てが苦痛であったならば、それは辛い。
だから、喜びを見つけること。
関わりそのものが、喜びであるということになるのが望ましい。
その片鱗を探し捕らえて、手繰り寄せるというのだろうか?
そういうセンスが必要に思う。
ああ、それは自分の思考なんだな、きっと。
自分を表して、それが人との関係において「喜び」になれたら、それは嬉しいことだ。
またそれが、相手がそうであるならば、自分も嬉しくなる。
バンドってのは、それが基本のような気もする。
アドリブってのも、例えればそういうもんだし。
リズム・グルーヴっていうか「ノリ」というのもそれだ。
でも、それを実現する自分というものが、要求される。
自分自身を鍛えておかなければ、「それ」を実現出来ない。
それは、孤独の作業でもある。
メンドクサイ自分自身に対峙する。
それは喜びに向かおうとするからだ。
っていうか、それはやはり、自分の思考だね。
それでいいと思う。
仕事というもの。
ある意味、それとは間逆であるのか?
利潤の食い潰し合い、だからだ。
だが、それを常識としていること。
随分と奇妙というか、オカシナ話だ。
他を傷付けたい!ということが基本のエネルギーだとするってのは?
ナンだろうか?
弱肉強食というものが常識であり、それがあっての日常だとする考え方?現実?には、やはり抵抗感がある。
だから甘いだぁナンダカンダ言われてきた気もする。
そだね、甘いんだろう。
そうさ、人を傷付けたい!なんて、俺は、そんな変態じゃあねえもんな!
ましてや、キズツキタイ!なんざぁ絶対に思いませんって。
やだよ、そんなの!
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