まー、本当に解らないというか、これは明らかにすり替えなんてものじゃあない解釈?
解釈どころではない、そっちに向かうべくの準備がなされている。
どんどんと、なし崩し的に。
これを警戒しないほうがオカシナ話だ。
それはまず、ケンポウを変えるということの前提から始まっていること。
コクミン投票云々の法律どうのこうの。
俺のうがった見方だろうか?
ケンポウを変えること自体が、変えるという人達の理由が、「外国に強要されたものだ!」としているかららしい。
ケンポウ自体、今までも変えられたはずだ。
問題は、何故今なのか?
外国に押し付けられたものなら、今回も「外国に押し付けられて変えようとしている!」ことを知らなければならない。
何故ならば、戦争そのものの「起きる理由」が、民族間の争いや大義名分とかでは、全く無いということなのだ。
全ては経済的な理由、つまりは、資本主義だろうと共産だろうと「他のところからブンドル!」という構造から戦争が起こるからだ。
その究極の経済行動そのものが、「戦争」の正体なのだ。
その観点から見れば、全ての戦争がこれに当てはまるだろう。
それをし易くする為の「教育基本法」改悪であり、ケンポウを変えるということなのだ。
そんな傾向に益々拍車がかかっている。
当時あれだけ暴れまわっていた団塊の世代は、一体どうしてしまったのだ?
「革命騒ぎ」をしろと言っているのではない。
更に戦争体験者達は、この状況をどう見ているのか?
全くと言ってイイほど何も聞こえない。
何故だ?
そして沖縄の終戦間際に自決強制ということも、教科書がその表現をワンキョクしはじめている。
何だこれは?
なんなのだ?!
自称パンク、そしてラッパー、否!全てのミュージシャンは、行動しなければ嘘だ。
NO!と言え!
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