Saturday, April 07, 2007

ある日のこと

昨日、仕事にいく電車の中でのこと。
初老と思しき男性から声を掛けられた。
「何処かに旅行ですか?」
ライヴの為の機材のケースを見ての質問だったのだろうか?
いや、仕事に向かうところです。と答え、よもやま話が始まった。

その会話の中での事。

敗戦間際の東京大空襲の、ある場面のお話を聞けた。

その方は、運良く生き長らえたと思われるが、その大空襲後の黒焦げの死体の山を見て、「如何なる宗教観も消し飛んでしまうほどだったよ。」の一言に、想像を絶する虐殺の恐ろしさを感じた。

感じたと言っても、想像すら出来ないことだ。

そんな光景?否、そんな経験など、したくない。と思う。

もう第二次世界大戦・太平洋戦争の体験者は、日増しに減ってきている。
無理も無い。もう60年余の時間が経っている。

ただ、60年しか経っていないのだ。

このクニは、その60年前には、「一億総火の玉。玉砕覚悟!オクニノタメニシノウ!」とした洗脳のモトで、客観的な判断など虐待を受ける「作為された狂った状況」でひた走り、敗戦した。

沖縄においては、島民に自害せよと軍部の強制のモトに多くの島民が自ら命を絶った。

それは、このクニの本土においても、占領時には「そうしなければならない」と洗脳されていたのだ。
これは、俺の両親から聞いた実際の話だ。

今の為政者達は、もう戦後生まれの世代になりつつあるが、全く信じられない方向に行きつつある。

それは、太平洋戦争で全く無駄なオビタダシイ血を流し、「悲惨な愚かな行為を二度と繰り返さない」とした、ギリギリの思い、これこそ真実というべきものを反故しようとしていることだ。

戦争とは、如何なる大義名分など単なるお飾りに過ぎず、実態は、「経済構造に組み込まれた最も野蛮な行為」そのものだ。

極端に表せば、「大量消費・大量供給」そのものだ。
まるで、どこかで聞いたそのものであろう。
それは、政治体制とか何々主義とかの問題ではない。

強力なる「利益追求」の実態がそこにある。

だから、経済戦争とかは、よく言ったものだ。

そこから、限度を越すと、人殺しを伴う「戦争」になる・・そういうことだろう。

世界中の金融・・否、金の流れを追跡して調査してみるといい。
必ずや軍産複合体・もしくはその一味の所へと金が流れていくシステムになっているだろう。

クニという概念は、幻想である。
支配するものは、もうすでに国境というものが無い。
むしろ国境というものを利用しているに過ぎない。

金本位制からなる、各国間の「経済格差」は、搾取の手段だからだ。

大事なのは、命。
そして、思い。

どうか、そのことをもっとハッキリと伝わってください。
そんなことは、金になりません。
お金に余裕がある人達は、何故それをしないのですか?
クダラナイ絵空事とか、単なる理想とかで、済まさないで欲しい。

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