Thursday, June 24, 2010

自分達のスタイル。

サッカー日本代表が、W杯で、アウェーでの1次リーグ突破した。
今だ興奮が、続いている。

第1戦めの対カメルーン。
今までのスタイルをかなぐり捨ててでの布陣・戦法で勝利する。
ここで出現したのが、攻撃的守備の片鱗だった。
それがあったゆえの値千金の1勝だったに思う。

第2戦めの対オランダ。
同グループ内で優勝候補でもあり最強のFIFAランキング4位相手。
苦しい試合だった。
負けたにしても、守備陣の貢献度は高かった。

そして第3戦め。
対デンマーク。
カメルーンにしろデンマークにしろ所謂FIFAランキングでは、同グループ内において最下位の日本。
だが、この試合にて、手に入れたかった「自分達のスタイル」の原型が出現した。


サッカーの試合を初めて観戦したのが、もう36・7年前位か?
国立競技場にて、ヘディングとオーバーヘッドの鬼ウーベ・ゼーラー率いるハンブルガーSVと全日本。
それから当時現役であった王様ペレ率いるサントスFC対全日本。
どちらも当然の如くの結果だった。
簡単に言えば大人と子供・プロとアマの差?世界との差をイヤというほど見せつけられた。

それから日本リーグからJリーグとなった。
多くの往年の名選手達が、Jリーグにやってきて熱いプレイを見せつけた。ジーコやストイコビッチ等、彼等の現役最後の姿を見られなかったのが残念だった。
往年の・・とはいえ、世界最高峰であった彼等のプレイを直接経験出来たことは、後続のJリーガー達にとって大きなプレゼントだったに思う。
正にエクスペリエンス。ボールに対してのタッチ・スピード・モチベーション等、何から何まで直接経験出来てこそのことだったであろうか。
全日本の選手であった奥寺氏がブンデスリーガ加入の後、時を経て徐々にJリーグの日本の選手が海外へと移籍していった。

かのデトマール・クラマー氏からサッカーのなんたるかを教わり、それから数えれば50年程経っているであろうか?
ついこの前までの日本代表のプレイは、世代が変わっても、ずぅっともどかしい試合をしてきたに思う。
中継を見た瞬間から感じる「不安感」それをずっと感じていた。
相手にボールを支配されなくても、何故か必ず不安感がつきまとっていた。

それは、今に思えば「個の精神的な弱さ」から発する不安感であったように思う。
勿論基本的な技術が未熟であったり、戦術の無さであったり、あげていけばそれぞれ要因はあるだろうが、それもこれも全て「個の精神的な弱さ」から来るものであったに思う。
一般論?で言えば、我々は諸外国人に比べてでの「個の弱さ」は、特性であって「しょうがない」もの。
だからマトモに「それ」を改善しようとすれば、当然無理なことであったであろう。
中田や今のチームでの本田・松井・長谷部といった個として屹立出来る選手の登場も必要であったが、チームとしての国民性というか精神性をどのようにプロデュースして自覚させるかが大きなポイントであったように思う。
歴代から今までのチームは、それが出来ていなかった・・というか、解らなかったのかもしれない。
全て試行錯誤の連続であったであろうし、理屈では解っていても「それ」をどうすれば克服出来るとまで手が届かなかったように思う。


最近までのパスを主体としたプレイスタイルでは、攻撃に繋がるパスというよりかは、何故かボールを持つ責任から逃れようとしているようなボール回しにしか感じられなかった。
ディフェンス=守備にしても、マン・ツー・マンでは、技術の差・当たりの弱さばかりが際立って感じられてしまっていた。
岡田監督が、この「個の弱さ」を「組織的」な体系に変革させ対処させたかどうかは、今では解らない。
勿論、その考察は(自らが選手であった経験を踏まえてでもありの)イヤというほど考えていたであろう。
思うに、人間の組み合わせが「上手くいくか?否か?」が、大きなポイントであるような気がする。

それこそ偶然の必然というものであろうか?
確かに上手い選手の集合体=強いチームではない。

今回の南アW杯のけたたましいであろうブブゼラの轟音の中では、言葉による意思の疎通も難しいであろう。大声を出すのは勿論のこと、更に身振り手振りで意思を伝えあっていたそうだ。
そして、対デンマーク戦のトドメの3点めの本田~岡崎のゴール場面。
あれは、暗黙の意思疎通(イメージ共有)による瞬間的な反応であったであろう。
躊躇しているヒマなど皆無の「その瞬間」に素晴らしい連携によるゴールが出来た事。
それが攻撃的守備を基軸とする攻撃のフィニッシュであったに思う。

エリア感覚を複数の選手で共有し、攻めて来る相手に対し複数で潰しボールを支配する。そしてセカンドコンタクトからオープンスペースへのパス。
多くの場面で、日本代表の選手がいる・手薄さを感じさせないという、スペースを潰す・そしてボールを受けやすいスペースを作る・自ら走るということが出現している。
そして特筆すべきは、一対一での仕掛ける気持ち。
攻守全般にわたっての、アタックする気持ち。
ゴールへ向かう気持ち。

勇気。

これは、画期的なことであった。
今までの日本代表には感じられなかったピッチのスペースの有効利用と共に出現してきたのだ。
ここで「攻められるのは当然」として、急遽体制を変革させたのは岡田監督の手腕であったのだろうか?それを各選手が理解し、自分のものとして自ら動く・勇気を持ってアタックする・というところまで、よくぞやったと思うのだ。

海外のメディア報道での一言「ヨーロッパのチームが忘れている献身を日本がしている」という報道があった。
一言でいうならばその「献身」ということなのであろうか?

ようやく、その献身という「ステージ」まで日本代表が辿り着けるように感じた、その意味において歴史的な「1次リーグ突破」であったように思う。


献身とは・・・・チーム?その国?

それは、単純に一個のサッカーボールに対してのような気がしてならない。



そしてその向こうには、生きること・・・というようなものなのだろうか?

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