生きていれば、何かしらあるものだ。
齢50にもなれば、そんな事を言っても差し支えはないだろう。
まあ、それでも40、50はハナタレだ。
せいぜい生きることだ。
先の不安。
そんなこと思えばキリがない。
そうやってきたわけだ。
でも、これからだって、それは変わらない。変わる訳が無い。
不安という奴は、増えることはあっても減る事は無い・・解っているのはそんなことだ。
だから考えるほうが、バカらしくなる。しかし考えてしまうバカでもある。
気になる言葉というのが、たまに自分の目に飛び込んでくる。
それをヒントに出来るか否かは、解らない。
最近の気になる言葉。
誰それのウル覚えの詩。
歌唄いの幸せとは?・・・と。
それは、歌を歌い続ける事。
与え続けるということ。
そんな内容だったか?
そして同年代の漫画家の言葉。
根拠の無い熱狂そのものだけで生きてきたと・・・
結果はどうであれ、
いいではないか!たとえ三流であっても。
という言葉・・・
今の自分の何かに引っかかっている。
自分の背中には、何があるのだろうか?
それは、自分には見えないなあ。
だって、背中だしナア。
見せるといっても、誇れるものなど無い・・のかなあ?
うーん、他人様に声を出して、これですよ!なんて言えるものなど、無いのかもしれない。
否、解らない。
ワカラナイのだ。
ただ、自分はそうしてきたし、そうするだろう。
ただ、それだけなんだ。
2 comments:
いつも新しい事にチャレンジして、自分の枠から出る事を怖れない事、学び続けること。
そうする事によってのみ、自分を高められると思うから。それにしては時間が足りないかな・・
時間。
ですねえ。
でも、それをやるしかないですね。
ある人の言葉での「三流でいいじゃないか」というのは、足りなかったですが「熱い三流なら、上等じゃあないか。熱くないのは嫌だ」というものでありました。
一つの事をやり続けていると次から次への問題というか課題や扉がやってくる。
それを「どうやって」クリアしていくか?の連続ですね。
「好きだからやっている」なんて言うヒマも無いくらいにね。
ワタクシもギターを弾いて日々課題が目の前に現れます。
そいつをクリアしないと嫌なんですね。
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