Saturday, June 16, 2007

何故やんの?

何故音楽・ギター弾くの?っと、自分自身に問い掛けてみる。

明解な理由・・・「好き」だから?
やらずにはいられない衝動に突き動かされているから?
はたまた、これしか出来ないから?

多分そんなところだ。

その瞬間は、パラダイスでもあり、また地獄?をも見る。

ある意味、リスキーなことばかりといってもいい。

この世の中なんて!という物言いは、解ってないくせに断言など出来ないシロモノだ。

でも大方、人が行動することは、特にリスクを背景に持ちながら行動することは、その結果「利益」を得る為に・・・という目的だろうか?

利益=お金である。

お金があれば・・ね~、何でも出来ちゃう錯覚に囚われる。

んま~、何事も「金で買える」と思い込まされてしまっているよね。


音楽に身を投じることは、甚だリスキーなことだ。
それが当たり前といえば、当たり前。
「儲かる」ことは、結果そうなれればゴロウジロ?ってんですか?つまり、儲かるなんてのは、2の次3の次で、「儲かる」ことをしようとして、それが音楽という手段?というのは、違うのではないか?

な~んていったって、オレだって儲かりたい!
でもね!

オレがそうだ!ということでは全くないが、「ベートーベン」大先生や「バッハ」大先生とか、解りやすい人達を例に挙げたとしてみよう。
彼らの人生は、儲かってウッハウハ!の人生だっただろうか?

ジミヘンやボブマーリーしかり・・・

そりゃ、ゲットーの他の人達とは(あえて)多少違うかもしれないだろう。

でも、想像するに多大な苦労とか、命の燃焼を代償として音楽に立ち向かっていったのではないか?と思う。

カートコバーンしかり。

マイルスデイビスしかり。

多くの巨人達は、それをしてきた。

正に「命がけ」で。

クダラナイ資本の搾取にささやかな抵抗しか出来なかったにせよ、己の命を燃やし続けた結果が、そうだったのだ。

資本とはクダラナイものだ。
その命を食い物にしてきた。
音楽の本質・・・そのクダラナイ資本より、更にエゲツナク「命」を喰らう。

それを捧げ物として、当然の如く要求する。

それを差し出しても、成功という保証など一切しない。皆無だ。
人間のいうところの「成功」などというものを保証などしないということだ。

ただ、音楽はあくまでも「寡黙」。

そいつが、その領域まで来られるかどうか?を
黙って見続けているだけだと思う。

資本がオゾマシイのは、その命懸けの者を更に「食い漁る」ということだ。
それを徹底的に利用することだ。

そして旨味のほとんどをかっさらっていく。

世界中のゲットーの人達は叫び続けてきた。
「音楽かスポーツでスターになるしか、ここからは出られねえんだ!」
そうだよな。
切羽詰っているよな。

ステージに起つ者。
彼等にどんな背景があるかは、解らない。

売れている・そうでない・・そういった状況でも、何故にステージに起つのか?

クダラナイゴシップ・薄汚い背景・壊れた人格・最低の性格・・それらを剥き出しにしながらも・・・

でも何故にステージに起つ?

己が放った音は、自分自身からも自由になり虚空に溶けていく。

あわよくば、それが昇華されるものにならんことをと、願うからなのだろうか?

もしかしたらオレは、そう思っているかもしれない。

これは、シュウキョウなんかじゃあねえんだ!

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