Wednesday, February 21, 2007

何をビビってんだか?

もうすぐ東京都知事選らしいが。

何をビビってんだか?解らないっすね。
みんしゅとーですか?

たぶん、地方選や参議院選への影響を考えて、ビビってんだろーけれどね。

そんなことより、トーキョーこのままで良いわけないっすからね。

つまり、某イシハラは、ダメなんだから。

こいつにやらせていては、もうダメなんだから。

福祉は、切り捨て。海外出張名目の「タダの税金私物化の海外旅行」や自分の息子への単なるエコヒイキよりたちの悪い仕事斡旋等など、あげたらキリが無いでしょーよ。

海外出張で、何故「ガラパゴス」????

自然保護???とかの名目らしいが、もしそうであるならば、俺だったら、まず真っ先に奥多摩のゴミ捨て場の現状視察や東京湾の漁業への影響だとかを調べに行くし、千歩譲って、「沖縄の珊瑚の現状」・・とか行くけれどなあ!

それなのに、ガラパゴス????

そりゃ、ダーウィン云々の学術的見地とかで、学者が調べに行くってんだったら、まだ解る。

たかがへたれモノカキの分際で、お前に何が解る?ってんだぜ。

あんなところ、自分で行けよ!!!金持ってんだろうがよ!てめえはよ!

税金の無駄使い以外の何がある?!無い!無駄使いそのものだぜ。

更に「花粉対策名目」の、思い切り選挙告知前のフライングに相当するダサいポスターには、呆れまくった。。。。姑息だ、姑息過ぎる!

そんなこんなを黙認してしまうなら、もうこの東京も終わりだよな。

コイズミと同じようにメッチャクチャにしてんだからよー!

何故にみなさんは、ああいう「スタンドプレイ男」が好きなんだろうね???
やってることは、タダの「勘違い野郎」なだけなのに。

テレヴィで、映画監督の井筒さんが、「政治家は、腰の低い人・・つまり、有権者に対して徹底的に僕(シモベ)であるという自覚のある人でないとだめだ。国会議員も政治家もみんなそうだよ!」と言っていた。

本当にその通りだと思う。

果たして東京都民は、この某イシハラの僕(シモベ)?否!奴隷でいたいのか?どうなのか?

良識が有るか・無いか?問われています。

Thursday, February 15, 2007

青森のほたての貝柱・・

先日のブログへのコメントにて、「レイディオサカモト」での六ヶ所村核燃料再処理施設のインタビューを聞いた。

これは、みなさん聞いて欲しい。

http://tolio.oops.jp/6.mp3



かつて、青森に行った時に、ほたての貝柱を頂戴したことがあった。
オレは、どっちかというと生ものが苦手だったのだが、試しに食べたら、とんでもなく旨かった。
「何故?」ってなくらいに、旨かった。
こんな旨いものが、そこで食べられるなんて、なんとも贅沢・・否、これが本当の贅沢なんだと思った。

東京で、金の力に物言わせて、「どうだ!おりゃ!ネエチャン旨いもん食わせてやるから、おめえを食わせろや!」というのは、なんとも浅ましいことだ。

しかしこれからは、それすらも出来なくなる。

ニューリッチだとか、調子に乗ってる浅はかな連中も、日々ひいひい言いながら、たまのささやかな贅沢を楽しもうとする俺達も、「食うものが無くなる」のだ。

何故か?

以前から何かとしつこく言い続けていることだが、放射能汚染で喰うものが無くなるということだ。

それ以前に、何も知らされずに食い続けて、ガンを患い大変な事になってしまうだろう。

大変な事とは、自分も大事な人達も皆、放射能汚染で死んでしまうということだ。

こんな「クニ」にしてしまったことを後悔する。

ナントカできなかった事に憤怒の思いを持つ。

こんなことを次世代に押し付けてしまう事を後悔する。

六ヶ所村の核燃料再処理施設は、通常の原発の放出してしまう放射能一年分を一日!に放出するという。
ただでさえ、通常の原発周辺にも、ある統計によれば「白血病」などの発症率が四倍という数字があるにもかかわらず、なのだ。

関東・東京などに住んでいる鈍感な奴は思うかもしれない。
「遠いじゃん・・」ってね。

とんでもない!

遠く中国から押し寄せる「黄砂」が、東京にもきているのに!
その「黄砂」に混じって、70年代の日本以上の公害垂れ流しでもっての「有害物質」も含まれているのに。
更に放射能汚染だ。

何も知らないことが、ただ「シアワセ」でいることなのか?
シアワセとは、人為的に仕組まれた一部の人間が儲かる為だけのシステムによって「コロサレル」ことなのか?
だから「おめでたや!」と言っているんだ!こんちくしょう!

「じゃあ電気はどーするんだ?しょうがないだろ?CO2が出ないからいいじゃん!」

CO2による温暖化も切迫した問題だ。
だが人間は、CO2のことでさえ、どうする事も出来ない、解決出来る技術を持たないのだ。

放射能汚染は、それ以上に「扱えない」ものなのだ。

CO2も除去出来る技術も無い、そして放射能汚染も除去出来る技術など皆無なのだ。

本当の悪人は、ニポンを見限って海外に出て行っている。

だが、だめなんだぜ。
どこにも逃げられないんだ。残念な事にね。

温暖化、それも「パンドラの箱」である、シベリアの永久凍土が溶解しているという。
それも、フランス・ドイツに相当する面積において溶解が、はじまってしまったという。

永久凍土には、メタンガスがある。
所謂「メタンハイドレート」だ。

永久凍土だけではない。

海洋の温度上昇が続けば、海面下にあるメタンハイドレートも溶解が始まってしまう。

メタンガスの温室効果は、CO2の23倍だという。

それが、大気中に放出されれば、もう人類の手には負えない。

「海面上昇」どころの騒ぎではなくなる。

その「負」の要素をどれだけ排除出来るのか?

だから、即刻対処しなければならない。

金があっても地球からは逃げられないんだ。

これは、自分自身の問題なんだ。

Tuesday, February 06, 2007

NGな人達

最近、アメリカの軍隊の日系アメリカ人の兵隊さんが、イラクへ行くのを拒否して軍法会議に・・という事が起きているらしい。

あの正体不明の911がきっかけで、この兵隊さんは軍隊に志願したらしい。
だけれども、結局イラク戦争そのものが、目的不明の訳ワカラン状態なので、「大儀」が疑わしい場合、そりゃ兵隊さんだって、わざわざ危険を承知で行く?ったって、嫌だよな。
こりゃ、人間として至極当たり前のことだろう。
死にたくないもの!

それで、もっとビックリしたのが、このイラク戦争でのアメリカの軍事費(2009年まで?)の総額が、日本円に換算すると60兆だとか90兆円だとからしい。

ニュースステーションにて報道していたのだが、キャスター曰く、この金が、誰かから誰かに流れていく。
結局誰かが、儲かる・・・ということだと、言っていた。

そのとうりだ。

ある連中からすれば、戦争は、事実、商売なのだ。そういう構造なのだ。
「大儀」を作り、「本当の目的=儲け」を遂行する。
そこに、議論をしようとしても、はじめから噛み合わない。
それは、出来レースだからだ。パワーポリティクス・・圧政だからだ。

ニポンは、アメリカ国債を多量に買っている。
つまり、金が流れている。
ついこの前の、莫大な貿易黒字云々も、そこへ投入されたのだろう。
それどころか、自前の国債そのものも、そういうことなんだろう。

改憲を急ぐ人達は、ニポンの独立云々という理由らしいが、この改憲も何故今なのだ?と言わざる得ない。
某国が?ミサイルが?
確かに怖いことだ。
しかし戦争放棄は、人類の理想だ。それを放棄とは、誰のモクロミなのだろう?
そのこんがらがった意図の先を手繰っていくヒントは、「金の流れ」にある。
それが事実と何故に言わないのか?
誰が目論んで、誰がそれを遂行しようとしているのか?
コクミン=みんなですか?
少なくても俺は違う。

だが俺達は、もっと切迫した事実に直面している。

それは、「温暖化という劇的な気象変化」だ。

今年の冬は、異常だ。

地球規模で、各国から異常な様子が伝えられている。
これは、ほんの序章に他ならない。

早急に手段を打たなければならない事は、以前にも言ったように「タフな食料生産・研究とエネルギー備蓄」。
気象が変化すれば、農作物・海産物など採れていたものが、簡単に採れなくなる。

だから、戦争なんかやっている場合ではないのだ!殺し合いなんてやっている場合ではない!
むしろ食料をめぐってでの、それこそ醜い戦争が起きるかもしれない。
戦争は、いずれにせよ醜いものだ。
それを決して忘れてはならない。



俺達は、総じて「議論」が下手だ。
人間には、いろんな考え方がある。
いろんなところで、議論をしようとしても、議論にならない場合が多い。
それは、何故か。
「主題」の共有が出来なくなるからだ。
「主題」=「問題の意味」が、オカシナ論理・感情で、湾曲される・すりかえられてしまうからだ。
そして、それを修正することに、とんでもない無駄なエネルギーを使ってしまう。
それで結局は、その場の議論は、そこの力の有利な方向へと、湾曲・すりかえられて「決まってしまう」。

先の「女性は産む機械・・」とか、「耐震構造疑惑」とか・・・
企業・会社の中にも、常にあるだろう。
会議と称しても、結局力のある連中の「思い通り」ということがね。どんなにオカシイことでも、やらなくてはならなくなるでしょう?
それで儲けといっても、結局一部の奴だけの儲けになるでしょう?
それだけじゃないでしょ?

貴方達の周りにもメいっぱい嫌というほど、起こっていることでしょう?
自治体やらボランティア団体などでも、「何故だ?」ということが、「矛盾」や「偏った思い込み」の方向へ流れていくことが、多いのではないか?

だから、常に問題の「本質」を意識して、自分の考えと「本質」が矛盾していないか?を「感じ取る」修練・経験が必要なのだ。
それが、皆無!な為にややこしくなる。変な方向へといってしまう。
物事を決めるところが、密室になる。
だから「風通し」を良くしないと「カビ」が生えるのだ。「膿」が出来るのだ。

物事を決める立場の人は、責任が有る。
罵詈雑言のクダランもの言いに負けない意志と、より良い到達点の意義を持っていないと出来ない。
より良き到達点の意義そのものが無ければ、出来ない。
それを提示し続けなければならない。
そして、それをいつも「自分の事」として、想像・意識出来ること、更により良き修正出来るか否かが、周りの責任でもある。つまり・・・
「より良き到達点の意義」を「共有出来るか否か?」ではないだろうか?
それは何によって、いつも計られていなければならないのだろう?

それはきっと、矛盾だらけのヒトなるものに少しでも有って欲しい「五分のタマシイ」なんだろうね。

突然ブッチャケた表現になるが、例えばこの異常気象で何を思うのだろう?

オレは、「生きたい」。
そして「生きる」ならば、少しでも笑って過ごしたい。
少しでも多くの人達と喜びを共有したい、そしてその想いを次に伝えたい・・・となるのだが、どうだろう?
そこから考えると、ブッシュだとかニポンの政治家だとかは、皆NG=ダメなんだよね。
奴等は、自分の儲けしか無いし、ヒトコロシてもナントも思わない連中だってことなんだよな。
そんな奴等にコロサレテたまるか!ってんだ。

Wednesday, January 31, 2007

結局ね。

おっと、続いた「オヤジ」話の続きではないですって。

結局というのはね。

俺達アホな人間さん達は、地球にウジャウジャよってたかっているんだけれど、結局カミダノミっつーか、地球にオスガリするしかない・・てことだよな。

CO2のことにしても、「木」さんにお願いして!真剣に頼むっきゃないでしょう?

人間が出てくるずぅっと前には、地球は「灼熱」の地表だったそうでしょ?
それが、何十億年かで、冷えてこうなっているわけなんだから、CO2がどうので、オゾンホール云々とか温暖化なんて、もう地球にとってみれば、

「ヘ」でしかないでしょうなー。

「あんたら、なにやってんの?」ぐらいなもんで。。。。

ホントに「バカ丸出し」だし、「マルでダメ雄」でしょー。
お、懐かしいね!マルでダメ雄だって。

更にマルでダメ雄な「アメちゃん」が、最近「宇宙に幕張って、温暖化を防ぐ」なんて言っているらしいが、だ・か・ら・・ダメなんでしょ!って。
この人達は、ホーントーに解ってないのだね。

地球上の生命体は、繊細な自然のバランスで成り立っているのだから、それを壊せば「自分」が「ヤバイ」ってことなのにね。
そういう人為的による環境の変化で、種が絶滅することは、自分達も絶滅する・・とイコールなんだよね。

「オレが一番!オレ最高!オレ様のやりたい放題!」で、こうなっているのだから、そうしなければいいだけの話だよね。

つまり、「しゅみましぇーん!調子に乗りすぎましたぁ・・これから反省して、こうしていきますから、よろしくお願いしまっす!」精神じゃあないと、ダミだってことなのにね。

人間種以外の生命で、この「共生」という手段で生きているものもある。

人間は、「バカ」だから!それを「意識的にしないとダメ」ってことなんだろうね。

でも、これをやっている人達もいる。
それは、「原住民」なんて失礼な言い方・見方をされてしまう、現代文明に毒化されてない人達のことだ。

彼等は、解っている。。。というか、かつては人類皆そうだった訳ね。

そのうち、はみ出しちゃった連中のなれの果てが、「俺達」ってことか。

現代文明なんて、そう考えてみれば「大したこと」ではないよな。
勿論オレは、正しく今その渦中でしか生きた事が無いから、解らないことだがね。
自然という強大且つ凶暴なものから身を守るには、徒党を組むしかなかった。
しかし、それ以降問題なのは、調子に乗りすぎ・行き過ぎってことなんだね。

所詮の「はみ出し野郎ども」なんだから食い潰せ!・・じゃあさ、芸がねぇだろうが。
そこはオレみたいな、はみ出しもんの言う事をちったぁ耳貸してくれりゃあいいんだがねー。

人間の脳みそは70%が、まだ使ってないらしいから、ここらが、それを使うところでないだろうか?

それは「超管理・支配システム」ではない。

それでは何も成らない。退行するだけだ。

自ら、その精神(・・なんていうとバカっぽいから)言い換えれば「気持ち」を一人一人が手にする事が出来るか否かという事なんだと思う。

それは、「何々教」などという、これまた人間が考えたに過ぎない馬鹿げた「シュウキョウ」なるものに加担しなければならないなんてのも「大嘘」だしね。

そのへん、本当に気をつけないとヤバイよな。

オレ?オレはねぇ、大丈夫だよって!

こんなこと言ったって、一銭の得にもナラナイから。
モーカッテナイッスカラ!!!

え?それに入ると儲かるのかい?

あーあ、だからそれも問題なんだよなー・・・・ふぅ。

Monday, January 29, 2007

性懲りもなく

オリは、思うのだ。(なんて偉そうに言わなくてもいいんじゃね?)
ま、許してね。

で、その「オヤジ」というもので、最近「チョイ悪オヤジ」とか「エロオヤジ」とか、オヤジを表す単語っつーと、この二つが主立って目に付きますな。

「チョイ悪」のほうは、何ですか?雑誌のモンクが、世間に広まった感ですが、「エロ」のほうは、主に若い?おねーさんあたりから聞く事が多いっすね。

ちょっと前にも、あるファミレスでひとりごちているときに、30過ぎと思われるねーさん達の会話が聞こえてきて(っつーか、耳ダンボ状態だったすね)、曰くA「あのオヤジはぁ、ただのエロオヤジだしぃ・・(タバコブカブカァー!)」B「でもお財布オヤジでいいじゃん!(ヤニズッパァー)」・・・という、そら恐ろしい会話をされていた。

こちとら、ひとりでファミレスっつーのも、オリはよくやるダスが、考えようによっては、かなりな状態。
キモイっちゃあキモイのかも・・・ってやんでぃ!いいじゃあねえかよ!と、何一人で盛り上がってんだぁ?なんですが、おいといてっと・・・

チョイ悪っていうと、その雑誌とかでは、所謂「モテオヤジ」ってんですかぁ?の、ひとつのスタイル?(ケッ!)なんでしょうが、その対極のような「エロオヤジ」ってぇのは、ひょっとすると「表裏一体」「表と裏」?そうだろうか?実は、ほとんど「同じ」ような気がするですわな、これが。

何が同じかっつーと、何も偉そうに分析みたいに言わなくても、みなさんワカッチャッテルと思いますが、要はタダの「スケベオヤジ」でしかない・・・・と。

これつまり、男=いつまでたってもドスケベ根性捨てきれず・・という、悲しい業っつーことなんでがしょ。
そして、究極の真理?として「もてる奴は、何故だかもてる!」に他ならず、後のオリのような雑魚・・・(ウェーン・・泣きが入るぜっくっそー!)は、「おぉ!これからはチョイ悪か!オレもー・・」みたいな、淡いというか、それこそ怒涛の必殺勘違いキック&ラッシュをしてしまうという・・。

そして、勘違い爆走をしまくり、それらしきマネをして、会社でOLちゃんに受けようとしたり、キャバクラとか行っちゃって、モテると勘違いを更にドつぼに自らハマリまくり・・・

そして、結局は、「お財布オヤジ」にしか、なれない・・という悲しい現実なんではなかろうか?

おおぉぅ・・これは、(悲しい&サミシイ)×1万倍みたいなもんです。

しかぁし!お財布オヤジになれるだけ、まだマシなのではないか!

うううぅ、更に寂しくなってきたぞッ。

だって(なんて子供みたいに駄々こねるぞーッチキショー・・)!

「お財布」があるだけ、いいじゃん!!


・・・・


これ、オリが、自らボケツですかぁ?

みたいね・・・

Sunday, January 28, 2007

これはオヤジの証なのか?

最近テレヴィを見ていて、激しくウケタこと。

リリーフランキーさんが、出演したテレヴィでの一幕にて。

誰か「やはり、イソというものは、香りですかねぇ・・リリーさん」

リリー「いや・・・・」
(真剣に考え込んでの一言)

「味・・でしょう!」

うけました、ワタシ!

この「イソ」なる表現が、またなんとも「そそ」として、いいというかなんというか、そこはかとなくナホトカみたいな。。。

そして、最近買わなくなった雑誌を思い出したように購買後、リリーさんの「相談室」なるものがあって、若い野郎が、彼女の臭いが悩み・・というなんとも贅沢な相談で(チキショー!)、そこでの紙上でのやり取りのなかで・・・

若い相談者「彼女の臭いが、ダメで・・」
L「うん・・」
S「臭いといってもワキガでなくて・・・」
L「ああー、マンガね!」

うけてしまいました、ワタシ・・

シマイにゃあリリーさん、この若い相談者に「お前、床に落ちた食い物も拾って喰えねえんだろ!その君の潔癖症の性格が問題なんだ!免疫を作らなければだめだ!帰るときには、道路舐めながら帰ったほうがいい!」
と、きましたね。

うははは!

う・・・と、キテしまいました。

まー、リリーさんは、もしかして「エロ話」の大家?

そして、リリーさん、オリより年下??

つまり、これはオリもりっぱに「オヤジの証」ということか???

ううう・・・

どうやらなんてもんじゃない、まさしく「オヤジの証」に他ならない。

ああぁ、もうそんなになってしまったのね、オレ。
エロ話に単純・・・尚且つ素早く反応してしまうオレ。
ダジャレが、すでに好きになっているオレ。。
話がくどくなっているオレ。。。
恥も外聞も「関係ねーや!」と思っているオレ。。。。

どうする?オレ。。。。。

すかす!この「オヤジ」という定義というか、認知のされ方は、一体どういうものなんだろーか?

「オリは20代だから、まだまだダイジョービ!」なんて、少しでも思っているそこのチミ!
あっというまに時は過ぎ、いつしか必ず、ある朝に洗面台に向かいながら

「おまえ誰だ・・これは、おれじゃあない!ウソだー!!」っと絶叫&悶絶し、否定できない現実に直面する時が必ずや来るであろうっていうか、来るのだ!

ざまぁみやがれってんだよぅ!

へっへっへ!・・・・

なんて、実は過去、こう自分が言われたクチでもあるのだが、話はもとい・・

オヤジの定義ね。。。

己の外見の劣れ&感覚の古さを自覚することによって(自覚しなくても可)・・または、生活習慣もしくは環境の影響で、何かと「エロ話」だとか、ツマンナイ駄洒落だとか、ヨイショとか、無理してオネーチャンに受けようと、ワカゾーに負けねえぞ!みたいな「空回り」だとかを「無意識」にしてしまう・・・

ううううぅ

何か気分が悪くなってきた。

やめよー・・・・・

Sunday, January 21, 2007

テレヴィってのは、終わっている

今回の「あるある・・」の捏造事件。
今までも、こんな事はいっぱいあった。
その都度、メディアの姿勢が問われ、テレヴィの使命を云々・・と釈明・お詫びみたいなのが、あったのかな。

でも、だめなんだ。

テレヴィ自体が、もうダメなんだ。

視聴率・・・つまり業績追求のみの、言ってみれば「実力社会」の実態が、こんなものなのだ。

納豆が悪い訳なんか、無い。

俺スキダモンね。

悪い・醜いのは、その「モクロミ」に他ならない。

結局、この構造は、他者を利用し、利益を騙し取る・・ということだ。

全く、不二屋にしても、フジテレヴィだっけ?(関西テレヴィか)いい加減、バカにするのもほどがある。

名前のある上場企業とて、こんなもんだ。

いかに「エゲツナイ」商売をしてきたか?
そして、ビンボーで正直者が、いつもバカを見るのだ。

政治のアホさ加減にしたって、もういい加減「怒りまくって」いいはずだよ。
暴動になったって、オカシクナイヨ。

というか、それをしないと「ダメ」なんじゃね?

断っておくが、なにも「暴力沙汰」を起こせなんて事ではない。

まずは、自分を含め、このTVジャンキー=TV中毒から、抜け出ること。
TVを疑う事。信用を絶対にしない事。(緊急放送を除く)
自分の感覚を磨く事。これが難しい!金払ってなんかでは、得られないものだからだ。

今のTVの役割は、戦前・戦中時の大本営発表装置であり、そしてコクミンのガス抜き装置であり、更に洗脳装置であるという事実。

だからこんなもんに・イヌエチケイに金なんか払わなくてヨロシ!

あー文章がまとまらないが、テレヴィを捨てろ!窓から放り出せ!ってことか?

Friday, January 19, 2007

至福の二日

自分の誕生日のライヴをやろう!と自分で企画する人っつーのも、珍しいのだろうなあ・・
珍しい・・というより、どちらかと言えばこれ、「恥ずかしい」。
人にセッティングしてもらって、周りの人達から「オメデトー!」と、祝福されるのが、まぁふつーだろ?

だけど、自分で、セッティング&プレゼントくれぃ!みたいなことをよくもまあ、してきたもんだ・・

それも足掛け10年間も・・・

うぁ~、だんだん激しく恥ずかしくなってきたぞっ!ゾクゥッ・・って、今頃わかったのか?おのれは!

っとまあ、んなこたぁどうでもいいのだが、演奏は良かったなぁ~。
本当に面白かった。

「ツインドラムは、難しいんだよ!」っと演奏後の芳垣氏。

そうだと思う。それを知っていての賭けでした。
でも、絶対に上手くいく、とも思っていました。

どっしり&芳醇なノリの嶋田氏との組み合わせで、そのキャラクターの違いがはっきりと出て、なおかつ凄いいい雰囲気を創れるのは、二人とも「心の開きかた」を知っているから。そしてなにより「聴いている」から。

お二人の人間性にお任せしちゃったんだけど、そんなことおいといてマジに素晴らしかった。

そして、ナスノ君ですねー。

二人のドラマーからの激しいシンバル攻撃にもめげず、あの「ポジションとスペースが自由自在な」グルーヴベースです。

この3人による、素晴らしすぎるリズム&グルーヴ。

そこで太田さんっすから、もー、どーしようか?みたいでしょ?

ずーっと笑いっぱなし。
ウハハハハ!ワハハハハ!

スゲエ楽しかったなあ!こうでなくちゃあいけねえよ。

自分でなんとなく思っていたのは、どっちかっていうと、俺は「陽性」なんだろうか?
ダークなサウンドもスキなんだが、やはり自分の・・というと明るいほうが、スキなのかもしれない。
っというか、ダークでタフ・ハードなものって出てこないっつーか・・・

肉食サウンドじゃあねえってことで、っつーと、やっぱりこりゃ草食農耕サウンドをこりゃあ目指そうか!っと思ったのだ。

スポーチーなアメ車の「ドゥロロー」ってのもスキなんだが、赤いトラクターサウンドってのもステキかもしれねえな!

っとまあ、16日は、素晴らしい一日となったのだが、その16日のステージ上で、太田氏が「あのぅ、実は明日なんですが・・誰か私と演奏してはくれないか?」っと。そこで、「俺空いてるよ!」とかで、その場で急遽出演決定っとなったわけ。

明日の演奏を当日の、それもステージの上で・・てぇのもおつな決めかたですな。っつーか、初めてだし、そんなの。

で、太田氏とは、ありがたい事にレンチャンとなった@音や金時。

これまた、すごく面白かった。
さすがの太田恵資!
多くの言葉は必要ではありません。素晴らしい!

俺にとって、至福の二日間となったのですが、太田氏とも話していて印象深かったのは、ゴキゲン芳垣君の太田氏へのツッコミの嵐だったね。

素晴らしい男達に感謝!でした。

Monday, January 15, 2007

もうすぐだぁ・・

このブログの表記される時間が、なんか違うのだが、もうすぐ誕生日になってしまう。

あー・・・

なんだろか?
実感など無いのだ・・って実感湧いたことあったっけ?てなもんだがね。

ついでにおめでたや・・・なんてセンテンスを使っちゃうと、かつて全く売れなんだの、幻のシングル曲を彷彿とさせてしまうのは・・・俺だけだ・・・・

あー・・・

おっと、そういうわけで、ついでに年男なんて、オマケがついてるぞ。

あー・・・

しかぁし、なんだなあー。
最近も、どーしよーもない事件ばっかりだ。

なんでそうなるの?だけれどね。

それは、政治が悪いからだ。

ジジネタ少し入れると、伊勢崎市ですか?

無理やり、クニから補助金ぶん取って、88mの観覧車をブッタテルのどうの・・つうのが、ありますな。
これ、正しく「箱モノ行政」そのものじゃん。
観覧車なんて作ったって、行かねえよぅ!
つまり、10億だかの補助金で、儲かる市長はじめ、その取り巻き君達が、自分達のポッポに10億入れちまえってことだろ?

バレバレなんだって!
そんな奴ばっかりじゃん!

本当に、何処が!そして何が美しいクニだっちゅーの!

あのフランスのシラク大統領でさえ!ホームレスに住宅を供給する!と言ってんだぜ!
エアコン付の観覧車なんて作っているヒマと金があったら、シラクのマネでもすれば、受けるのによ!
徹底的にバカだねー!!

そして、キョウイクですか?
むしろ、方向は洗脳です!
あーあ。
あいつら(現政権+能無し役所)を全員クビに出来ないものか!
それこそ、ホワイトナントカって、残業代平気でカットっていう(払ってねえじゃん!)それを、法律で決めちまう奴等こそ、全員クビだって!
主権者は、俺達だ・・・のはずなのだって!

ケンポウも「外国に作らされたから、自分達で・・」なんて言ってるが、その実は、その外国からの圧力で、ケンポー変えろ!ってことなのに。
分かってねえなあ・・

それやったら、本当に「超監視管理奴隷コッカ」になるって事だぜ!
つまり、徹底的に利用されまくりのいらなくなったらポイっどころじゃあない、基本的人権も無い奴隷となるだけだぜ。

勝ち組みなんてツッパテル連中にしても、同じだ。同じ奴隷になるんだぜ?

俺は、断じて イ・ヤ・ダ!

Saturday, January 13, 2007

老兵?とんでもない!

ピート・タウンゼンド

言わずと知れた、ロックバンド「THE WHO」のギタリスト。
ある雑誌に掲載された、彼のインタビューを読んだ。

60年代から、幾多の荒波を乗り越えて生き残り、今もなを最前線に君臨する、この正しくロックギタリストと呼ぶに相応しい男の言葉は、理知的でありながらも、以外にも素直さを帯びた語り口に驚く。

そして、理想とするギタートーンとして、迷いも無く「ジミ・ヘンドリクス」と答え、更に続くメッセージに、俺は感動した。

それは、

「人と競争するのではなく、強くあれ。自分を信じろ。そして辛い時も音楽を楽しめ。音楽は、人を強くする。」とあった。

まいりました!

アンタ、かっこいいぜ!最高だ!ピート。

Wednesday, January 03, 2007

2007

いつの間にやら、年が暮れて、そして明けた。
2007年になった。
一日一日の連続でもあるが、何かこの年の瀬・年明けというものは、特別な雰囲気がある。
しかし、今年は特別に天気が、変だ・・・・

そして、どうやら今年は、俺にとっては「年男」というものらしい。
んなこと言ったって、もう何が何だか解らないし、自分の年齢さえ、もはやどうでもいいかぁー状態に突入している感がある。
しかし、どうでもいいやぁ感って奴が、またクセモノなのかもしれない。

せっかく年頭に(といっても三日だが)こう日記らしきものを書いている訳だから、何か言わないといけないかなあ?

今年は、っつーか今年も、俺は俺の事をどこまでやれるか?しかない。
アイデアらしき、オボロゲナガラも、そんな「サウンドイメージ」だけは、頭の片隅で鳴っている。
それを具現化すること。あくまでトライし続ける事。
ミュージシャンであり続けられる限り、それは続くし、続いていかなければならない。
むしろ、それがあるが故に「ミュージシャン」であり続けたいのだ。

さて、話はジェンジェン変わっていつものパターンになるが、不思議に思う事がある。
これ、誰か教えて欲しい気もする。
それは、近年やれ「赤字国債1000兆円」なんて言われているけれども、この「赤字国債」そのものが、何故にこう、返せも出来ない額になったのか?そしてそれは、誰が?いつ決めたのか?
要は、責任者出て来い!ってことなんだけれども、どうなんだろうか?

ちょっと前まで、貿易黒字がいっぱいで、どうやって減らそうか?だとか言われて、あめなんとかさんにスーパー銭湯じゃねえや、スーパーのレジでもない、スーパー401条だっけ?を発動させるぞ!おりゃーなんて、脅されてたのに・・・
っつーことは、相当に儲かっていたはずでしょ?
それが、バブルってんですか?が、ハジケチャッタとたんに、何かしみったれた話が「突然」出てきた気がする。
とたんに銀行は潰れるわ、不景気だわ、思いっきり税金豆乳?投入だわ、なんだかんだ・・・

そしたら「失われた10年」とかいって、毎年3万人以上の自殺者は出るわ、なんだかんだ・・

これは素人が見ても、明らかに「政治の責任」としか思えないのだが、どうだろう?
そしてコイズミが出てくるわで、更に滅茶苦茶にしてくれたもんだからなぁ。
更に、労働法やら改悪するって言うじゃなーい・・・ギリ!
って、はだようくに思いきり斬って欲しいのは、俺だけか?

冗談じゃあねえなあ・・と、今年もまた思うしかないのかね!

ま、じゃあないが、これから本当に求められることは、「グローバルスタンダード」なんていう馬鹿げた妄想を早く捨てて、共存出来る世界に出来るだけ早く移行しないと、この異常気象を始めとする、これから訪れるであろう「激変」の時代を乗り越えられないだろう・・なーんてのたまっちまいたくなるぜ。
でも、このまま「競争社会=強いもんだけが生き残る」のままだと、一部の・・ほんの一握りの連中+多少の奴隷しか生き残れない・・つまり、俺達雑魚?ってんですか?は、ほっときゃあおっちんじまうからなあ。

つまり、連中=一部の奴等は、そうしたいわけだあな。

いろんなサインをマトメテ単純に考えると、どうしても「そこ」に突き当たる。

冗談じゃあネエよ!

だから、食料!そして化石燃料等に頼らないバイオマス及び太陽光発電等の天然エネルギーの完全自給!さらに住むところの無条件確保等は、じぇったいに必要なのねー!
っと、またしても懲りずに言ってしまった俺だったのだ。

Wednesday, December 27, 2006

やっぱすんげえな、こりゃ!

JBが、天に召されてから、もう3日?
あちこちで彼の話題を目にする。
俺もYoutubeなんかで、JBのライヴ映像をあらためて見た。

やっぱ、すんげえや!

この一語に尽きる。

この研ぎ澄まされたバンドサウンドを創りあげたJBは、只者ではない。
(言うまでも無いのだが)特に、ヴォーカルに代表される全楽器のシャープなアンサンブル。
尚且つ、これぞファンクの真髄と呼べる、底辺に蠢く、のた打ち回りウネリまくるグルーヴ。
全てが、鞭の如く、スナップの効きまくったスピードのアタック。
それにしても歌が凄い!声にシビレル!

こんなにクールでホットなファンクサウンドをコントロールしつつ、声で絶えずエネルギーを添加しつつ、そして怒涛の「ブリッジ」なもんだから、もう・・・

そして思うのは、やはりDNAなんだろうなあ・・と。
下半身のバネが、俺等と違いすぎるもんね。
彼等の下半身グルーヴにリスペクトしつつ、俺等は、俺等なりの下半身のバネの使い方があるはずだ。
そのヒントのイメージが、ある。
そいつの摘出が、俺の仕事なのかもしれない。

Monday, December 25, 2006

GOOD-BY JB

ジェイムス・ブラウンが逝ってしまった。
人呼んで「ゴッドファーザー・オブ・ファンク」
正しく彼が居なかったら・・と考えても、考えつかないほど、影響力を持っていた。
ブルーズが持ち合わせていた狂おしいほどの「グルーヴ」を更に先鋭化したのが、ある意味「ファンク」といっていいだろうか。
ここまで書いて、多くを語ることに意味が無いように思う。
他の誰かが、いろんな形で彼の功績を賞賛するだろう。
ただ一言、俺が言えることは・・・

またしても体験出来なかった・・という、とんでもない自責の念だけだ。

合掌。

Sunday, December 24, 2006

感じ方・考え方・・・

世の中と申しましょうか?いろんな人がいて、いろんな考え方をしている。
 
以前から、よく拝見しているブログがあるのだが、このブログの書いている人・・女性なのだが、けっこう俺の考え方のつぼにはまって、うなずける事多しで気持ちいい。
だが、最近の文章に「オトコなんていなくなってしまえばいい・・」?みたいなことが書いてあった。

当方、男であるからして、気にならない訳が無い。

ま、文章の意としては、「男という好戦的な種類がいる為に平和にならないので、それならば女だけでいい・・」ということらしい。

確かに、いくら男女平等とは言われても、基本的に「男社会」であり(そうらしい)、政治とか国家間の事などを見てみると、男社会であるが故にで、「何でそうなんだ?」みたいな感じがあるもんね。

しかし、かといって「女は争わない種なのか?」というと、解らないが(覗いた事が無いので本当に解らないが)そうじゃあないと思う・・。
つまり、おんなばっかりだと、その世界って、けっこう凄いもんがあるでしょ?
ドロドロっつーか、そんな感じ。
でも、このドロドロ感、実は男も相当持っている。
「女が腐ったような奴」なんて、女性にとっては、やたら失礼極まりない言い方があるように、男の「ネチっこい陰湿さ」は、とてもじゃないが嫌なもんだ。敬遠というか、ピッチャー交代どころか、直ちに試合放棄ってなもんだ。
しかし、そんな奴に付き合わなければならない状況だとしたら、相当にストレス高いよな。

かつて、「バカの壁」の筆者であられる養老さんが、男女の脳の比較について、こうわかり易く説明されていた。
それは、男の脳は、右脳・左脳が、ハッキリと分かれている・・つまり感情と論理というものが分けて認識するのに対して、女性の脳は、感情と論理が、イッショコタ・・であるから、論戦ともなれば、男は女にかなうわけが無いので、男は負けるだけだから、止めなさい!・・と。

なあるほど・・と、思った諸兄は、相当いらっしゃるに違いない。
当然俺も「なあるほど!」と思う一人でもある。
ま、感情と論理がいっしょこたでも、理解というか、こちらがうなずけるものであるならば、何の問題も無い。
ただ、「何で、こう言っててコウナルノ??あんた、さっきこう言ってたのにあれは何?」
とか、「どうしてこういう事言うの?それも今!全然関係無いのに!」という思いをしたこと、あるよなぁ。
また、「アアイエバコウイウ」ですか???
うーーん・・・これは、男女の差というものなのか?解らない・・というのは、男でもそういう奴、いるからなあ・・・

男女の観点というものの違いは、確かにあるような気がするが、要は、男だろうが女だろうが、通じない相手というものが「いる」ということ。
そういう人に直面するときには、総じて「まー、いろんな人がいるよねぇ。」で、まとめるしかないもんね。

で俺は、大体シツコイホウダと自分で思っている。
自分で思っているぐらいだから、実は相当にしつこくて、周囲にいる人に迷惑かけているのかしらん。
多分ねえぇ。
ただ言い訳するならば、その人の観点と自分の観点の共通項がどこだ?とすると、しつこくなってしまうのだろう。共通項があるのか・ないのか?
これは、一言でもわかる場合もあるが、そんなには解らないもんなあ。
2Vなのか?まーあ、ニブイっすね、俺は!
しかし訳ワカラン奴ではなく、訳解りやすいほうだとも思う。ま、自己弁護は、ほどほどにします。

議論になるか・ならないか?ということが、けっこうあるね。
「俺は何々・・」で、結局そいつの自慢話だけとか、細かいディテールに拘ってそこに、はまり過ぎていて、よく解んない方法で「これが解決策?」とか、全然関係無い方向に激高とか・・・

つまり、「そのこと=主題」の共有が出来るか・出来ないか?なんだよな。
そのことについて、各個人の観点・感度が問われる。
それが薄いとか軽いと、どうでもいいことを言っちゃうだけになったりする。
俺も自分で「ああぁ、今たいした事いってねえなあー。ダッセエ!」って思う事あるね。
気をつけたいところだね。

かつて女の人達の会話にて思ったのは、その話題のすっ飛びかたね。
「なんでそこいくの?」と俺は思うのだが、そんな事まるで関係なく、どんどん話は変わって行き続けて、結局何だったのかわからないというか、解らないってぇのが、馬鹿らしい感じがしたことがある。
あれは、本当にナゾなんだよなぁー。

Thursday, December 21, 2006

己の欲との戦いっったって・・

自分の欲望とどう戦うか?って突きつけられても・・・そんな・・・

ですねー。
かくいうワタクシ目も己の欲には、もーホントに弱い・・・

あれ買いたい・これ欲しい・・などなど。
書けば枚挙の隙間も無い。。。ってやつですか?
飽くなき物欲の世界・・・
ギター欲しい・アンプ欲しい・コンピーター欲しい・スタジオ欲しい・仕事欲しい・・・・などなど。

ある最近ハヤリ?のチョイ悪系???の雑誌にて、広告で見ただけだが、こうあった。
「ランボもったらどうよ?!」
うーーん。
ただ広告見ただけだから、ワカラナイが。
ランボって「ランボルギーニ」っすか???

フェラーリよりランボルギーニが好き!
なんといっても「ミウラ」がスキ!!
だって、かっこいいんだもん!!
あのボディラインが、とってもセクシー・・・・
所謂「高嶺の花」って奴ですかぁ!
いいですねー・・・・

ねー・・・あんな車の維持費とか考えちゃうと、(それ以前にも)持てないどころじゃないっすねー。
せめてポルシェカレラ4・・あのなあぁ!
アルシオーネSVX・・・無理だって・・・
ハイエース4WDディーゼル・・・それにしたって。
サンバー4WD・・・先立つものが・・・

沈黙は、キン・キン・・・の・・・

たまやぁ~!っとやけくそになるしかない!

ああぁ、(欲しい×10万)=ワタクシの無いものねだり。。っとまあ、そんなもんです。。。

際限無き物欲の嵐をどう乗り越えるか?
「金があったら!!!」なんですねぇ。
そのへんは、全く持って皆様と同じっつーか、そんなもんですよって。

食欲ったって、考えてみれば、あの入院時に「美味いラーメンとカレーが・・」なんて本気で思ってた。
このへんは、まったくリーズナブルっつーか・・・
実は、あまり高い値段のものって興味が無いのだなあ。
「ウン万円のなんとかでーっす!」とか、よくグルメ番組ですか?に出てくるものは、へーぇ・・てなもんで、興味なイッス。
それよりかは、「たった2千円で、もーうおなかいっぱい酔っ払い!」とかのほうが、おおぅ!とかおもっちまうだにぃ。
いろんなところに行って、そこの現地にしかない普通のものをいただけるなんざぁ、あーた!そっちのほうが贅沢だ!とおもうことしきり。
世界中の安くって(これが肝)うまいもんを現地にいって頂くなんざぁ、いいっすなああああぁ。
あの中田君なんて、そんなことやってんだろうになあ。
うまやらしー・・・

え?あと、肝心な事があるだろって?
下半身っすかぁ?

うーん、これはねえ・・もう、打ち止めかもねええ。
なんせ、トシだから???

でも、何故にアレがゲロッパじゃない、ゴリッパな人は、もーうこのインロウじゃなくてインノウが目に入らんかぃ!みたいなノリで、前も隠さずに肩で・・いや、イチモツで風切っているんでしょうねえ?イン銭湯。

それも大変にうらやましい・・つうかこっちがやましい気持ちになる??じゃなくて、恥ずかしいっす。
こんな標準サイズのゲで・・みたいな。

こんなことを思うがままに書いていたら、やっぱし俺って「大したことねえなあー・・」どころじゃあない、小粒も小粒なんだなあ。。。と、反省っつうか。

だめだぁこりゃ!

Wednesday, December 20, 2006

燃料リサイクル

どうしようもない「欲」の面の皮が突っ張っちゃってるボクチン達は、ホンとに、これから先も生き続けていけるのでしょーか?

「もーおいらが目の黒いうちだけでイイに決まってんじゃん!」とか「他の奴なんて関係無い!そいつら全部どーなったっていい!」とかする、お金持ち&権力保持者&会社の社長&政府&政府の金玉握ってる奴等・・・は、人類(なーんちゃって!)のことなんか、何も考えてねえよなあ。

先日の「バイオマス発電」にて気がついたことは、「なーんだ!これは燃料リサイクルってことだぁな」ということだ。
どこかのアホ丸出しのこのクニは、「核燃料リサイクル」とかいって、プルトニウムをMOX燃料にして原発にぶち込む(これは「もんじゅ」などが技術的に不可能なことで頓挫しているからの代替策)ことにしているらしいが、こんなことやってんから「リサイクル」じゃあなくて、最悪な使用済み核燃料の核のゴミやら老朽化した原発=核廃棄物増大・・どうしよう?・・とかになるのだよ。
これね、核燃料リサイクルじゃなくて、核廃棄物増大ねずみ講なんだから!

先だっての「バイオマス発電」の元は、牛の排泄物。
ドイツの人口千人に満たない農村だからこそ出来ることでもあるのだろう。

つまり、マスでの電力供給ばかり考えているから、デカイ発電能力のブツが必要!っと言っているだけで、その実は、「利権の独占化が目的」な訳だ。
その利益の最終到達地が、世界の元凶なのだ。

それこそミニマムな発想でもって、地域ごとに小さな発電所を設けて供給したらいいじゃん!に、何故にならんかな!
地域で必ず発生する「生ゴミ」やら「し尿」やらから、メタンガスを発生させて発電すればいいのだ。
ゴミ燃やす焼却炉から熱を利用して蒸気タービンぶん回して発電するとか出来るじゃん!
そうすればバカ長い送電線での電力ロスなどしなくて済むし、更に画期的な蓄電池等を併用すれば、なんかいい方向へ進むと思うじゃん!

肝心な事は、ドイツの農村でのバイオマス発電は、「電力の完全自給が可能」というポイントだ。

やれば出来るのだ。

そして同時に「食料の完全自給」をしなければならない。

絶対に危険な、そして技術的にも「不可能」且つ長い時間での視点から結果、圧倒的に経済性からも何からも「高リスク」?否!そんなもんどころではない、手を出してはいけない名ばかりの「核燃料リサイクル」から、撤退しなければならない。
何故ならば、後世にとんでもない「汚物」を残すからだ。
その「汚物」の維持管理だけでも、とんでもないエネルギーを消費してしまうからだ。
何万年も!

そんな所詮バカな人間が扱える代物ではない「原子力」から、即効撤退して、今の技術で充分に対応出来るバイオマス発電などに移行しなければならない。
メタンハイドレートなどをいじる必要も無いのだ。

そうしたら産業が・・・?

だから、いってんじゃんか。

生き延びる為に最低限必要なもの以外は、排除していくこと。
言い換えれば、生き延びる為だけに全勢力をかたむけることが、必要なのだ。

「食料とエネルギーの完全自給」が、条件なのだ。

この地球と共に生き残る「欲望」を取るか?

それとも私利私欲に終わるのか?

それが、もっとも現実に我々一人一人に問われていることなのだ。

それには、恐怖・暴力を手段とする圧制ではダメだ。

シュウキョウ・何々主義など、もってのほかだ。

美しいニポン・・ではない!「美しい地球」を望め!

俺達一人一人の「心」が、試されている。

Tuesday, December 19, 2006

ノロ・・か?

ノロ君か?
いや、まだ吐きまくりは無い。
だが、胃炎が完治したとは、イエン。
駄洒落にもならないもんでこんなもんは、マクラとはイエン・・・って、しつこい。

しつこいのは、昔から・・昔って?20万年前ぐらいだったら、俺は恐竜か?みたいですが。
こういう状態のときは、実は煮詰まっている時が多い。
なんて、自己分析などしつつ、わかったから早く本題?に行けっつーの!

昨日だったか、テレヴィのニュースにて、ドイツのある小さな農村にて、世界で始めての「バイオマス自家発電」が、稼動した・・・とやっていた。

さすがドイツ!と言わず、なにがどいつんだ。おらんだ。。。などと、古臭いこといっていてはいけまっしぇん。
その村のエネルギー担当のオジサン曰く、「原子力発電に反対だ。」とはっきり意見を言っていた。

この違いは、何なのだろう?
今現在このニポンでは、発電用の商業原子炉は55基稼動している。
ちなみにドイツは、記憶が定かではないが、10基以下だったはずだ。(それも4か5基だったか?)

以前にも、飽きるほど「ダメだ!あんなものは!何故なら・・」と言って来たから、その薀蓄と呼べない自分の他愛も無い知識をひけらかす事はしない。
しかし、この「民度の」段違い平行棒の違いは、なんだろうね???

このバイオマス発電とやらは、その実は「牛さんのウンコ」なのだ。
その「ウンコ」からメタンガスを発生させて、それでタービンを回して発電するという!
人口千人にも満たない村が、世界に先駆けて「電力を自給」してしまった。

余った電気は、電力会社に「売る」という。
要点は、電力の完全自給だ。おそらくは、家庭用のみであろう。
だがこれが、すぐに実現してしまうのだ。
これに続かないでどうするのだ!

牛さんのウンコ・・・どこかのクニでは、乾かして家を作る材料だったり、燃やす燃料だったりのはずだ。

つまり、そこには「循環システム」が、昔から存在していたのだ。

あああぁ!昔の人の知恵とは、な・な・なんと素晴らしいものだったのか!

この「バイオマスナントカ」・・・いろんな方面というか、石油に代わる代替エネルギーの先鋒として、急速に研究されてきているらしい。
というか、遅い!!ってんだよー。
まだ、インフラどうので、メジャーが供給するとかしないとか?

メジャーなんかに任せては、ダメだ!
奴等に金を流さないようにしなければ、ならない。

だから、「完全自給」は、必須なのだ。

あまり多くの報道はされてないが(いつもの通りだが)、北極圏の氷が無くなるまで、あと30年という!結果があるそうだ。

あと30年???

北極圏の氷だけで済む話・・ではないだろう。絶対に。

南極は、どうだ?

つまり、これが意味するところは、「地球規模の気候の大変動の可能性」なのだ。
いまでこそ「異常気象」と騒いでいるが、こんなものでは済まされないであろう。
下手をすると、「人類・生命体の生存が出来るか出来ないか?」の話になりかねない。
いたずらに、滅亡どうの・・と騒ぎ立てようとは思わない。絶対に思わない。
しかし、実はこの「地球温暖化」という問題が、急務のことであるとするならば、どうしなければならないだろうか?
その日まで、欲望の限りをしまくるのか?

これは、「己にもある欲望との最終戦争」であると思う。
もはや、資本主義だあ共産だあ、宗教だあなんだかんだ言ってられなくなるのではないか?
そんな悠長なことを言っていられなくなるのではなかろうか!

生産効率?否!利益追求による今までのやり方は、もう限界なのだ。
その方法のままで、この事態を乗り越える事は不可能と考える。
それはそうだろう!金を持つものだけが、優先されているからだ。
貧困層は、切り捨てられるからだ。
自分はそうではない?はたしてそうか?世界の金持ちなんて、桁違いだぜ。
そいつらだけ、月にでも逃げるのか??
そんなロケットの数あるのか?
では、どうすれば?

極論をあえて言えば、「貨幣制度」からの離脱しかない。
捨てるのだ。
その価値観を捨てなければ、この事態は、世界共通として動けないであろう。
つまり、この事態そのものは、「それ」が招いたものに他ならず、だからこそ世界のGDPの40%!をごくわずかな人間が独占するのだから。

金儲けは、悪い事ではない!という風潮?常識?・・・実は、とんでもないことなのだ。

つまりは、貨幣制度を巧妙に利用した奴隷制度なのだ。

強欲な「欲」というもの・・・
その化け物が、経済と軍事力で、支配する。
この構図は、有史前から何も変わってはいない。
だから、人類は進歩していないのだ。

間に合うだろうか・・・

はたまた、ついに俺は、いっちゃったのか?

そうかもしれない・・・

Wednesday, December 13, 2006

それは胃炎・・・

そう、胃炎です。例によって・・・
恒例行事のような、たぶんストレス性の胃炎?かもしれない。

でも、これは言えるだろう!
イシハラさん・・・あ、都知事の方の奴ね。こいつの四男の絵描きの事は、この四男の実力云々は、それこそ芸術??方面だからアイマイなもので、つまりそれを評価したのが、単なる要職についている「親父」で、その「親父?もといクソ親父」が、こいつに口きいてやったと。イコールこういうのを世の中では、「職権乱用」そして「えこひいき」と言いますな。
そのものじゃん!

で、なんで海外出張で、ガラパゴスなんだよ!!
すげえバカンスでやんの!
トチジって、そんなにオイシイもんなんだ・・・
そりゃあ、命賭けて?オイシサしゃぶりつくしたいよな!
そいつを選ぶ都民は、大場かもんです!

言えるだろ?!

ああぁ、この調子で、またしてもいつもの通りに、愚痴ばっかじゃん!!

しかし、地球温暖化は、半端無いようだ。
それこそ今のうちにおいしい事は独り占めしたいのは、解かるッチャあそうだが、あと35年ほどで、北極海の氷が溶けて無くなり・・・ということは、南極もそうだとすると、単なる海面上昇だけではなく、全地球規模において、気象変動が激烈になるのではないか?

そうなると、食糧事情が、まず先に大きく懸念されるところであり、だからニポンは、減反政策なんて速攻で中止し、いたる空き地を農作物の供給、そしてあらゆる被害を想定し備蓄及び品種改良などを「今から」始めないと・・・ヤバイ!!!

カタストロフィを信じるものではないが、宗教なんか信じてる場合じゃあねえよ。
実際に「人間の根本のひとつである欲との最終戦争」が、もうすぐ始まるかもしれない。
状況を分析しろ。
先をイメージしなければならない。

それは胃炎・・・じゃなくて、言わなくちゃ・・・

せめてもの、いいイメージを描く事。
それが、今出来る事の一つかもしれない。

Tuesday, December 12, 2006

ううぅ、いが・・

い・胃が変だ。
つうか、むかつき・気持ち悪い。
時よりこういう感じになる。
とにかく、気持ち悪い。
所謂「風邪」菌が、胃にきているのか?

もう十数年前か・・に、とんでもない思いをした。
「なんか、胃がむかつくなあ・・なんだべ?ま、いいかー。胃薬飲んだし。」
で、就寝したところ、夜中に突然激しい吐き気に襲われ、朝まで吐き続けた事があった。

インフルエンザであったのか?忘れてしまったが、「風邪」ということを覚えている。
このムカムカする感じは、あの時と同じなんだよな。
まあ、それ以降も「ムカムカ感」のある「胃の不調」というのは、ままある。
その時にタバコは厳禁だ。
「もういいっかー!」なんて一本でも吸ったら、またあのムカムカがやってくる。

結構、胃が弱いのかなあ?弱いのは頭だけかと思っていたのになあ・・って「頭」弱いってのも、オリの場合シャレになんねえか・・・

ま、弱いもんは弱いのだ。

この間、久しぶりだか初めてか?
酔っ払いに絡まれた。
たまたま隣に座ったからって、オメエ!オリは飯食うだけだっつーの!
なのに何故か「先輩・・ゥイック・・かっこいいなあー・・」から始まって、「何で俺がカッコイイのだ?」と、テキトウに無視してたら、仕舞いにゃオリの首根っこをムンズと掴みやがって!

もう、堪えきれず「てえめえー、いい加減にしろよ」と席を後にしたのであった。

でも、思うのはそういう奴に遭遇したら、早めに逃げるのが良いね。
逃げるのも、なんでそんな奴の為に!とか思わないようにしないとな。

結局、馬鹿らしいもの。頭来るだけ、無駄なエネルギーだあな。

我慢なんてもう、出来なくなったし。

つまらんストレスそのものが、オリにとっては大敵だからなー。

Sunday, December 03, 2006

いろんなこと

今年・・2006年も、もう少しということ。
ああ、なんと早いのだろうか。
いつも年の瀬・・この時期になると、そう思う。
実感が更に重なってくるのが、25日過ぎたあたりなんだろうが。

時間は、本当に早い。
それを実感するのは、こういう時期だなあ。

最近の自分のことで思うのは、「作曲」というか、曲を作るという方法が、過去の自分の方法とは違う・・ということだ。
基本は、自分の頭の中でスパークする一瞬の断片のようなものをヒントとして・・というものだ。
違うのは、それから先の方法なんだね。

以前は、そのヒントのようなものを一生懸命覚えて、自分のデモレコーディング出来る環境まで持ち帰り、そこからああだぁこうだぁの格闘をして、自分のイメージに近いところまで、「音」にしていっていた。

もう、ワーカホリックとでも言おうかぐらいに、ヘッドフォンかぶりっぱなし。
そしていつも耳キンキン状態だった。

そこまでいくにも、ネタ・・リズムパターンとかは、もうメモリ一杯になるまで、シーケンサーに放り込んでいた。
当時は、4トラックのカセットテレコを使用していたので、もう鬼のように、レコーディングしかけたテープが溜まり放題だった。

実際の「曲」として演奏されるまでには、まあ気の遠くなるほどの過程を経なければならなかった。
まるで、膨大な量のゴミの中から大事な宝物を探していくような・・・そんなものだった。

そんな方法に限界というか、もう対処出来ない時が来た。

今、思い起こせば「SUNA-KAZE」が出来たときだった。

メロディだけでなく、取り巻くサウンドイメージが頭の中を駆け巡り、その瞬間には、自前のシステムに録音出来ない場所にいたことで、ストックというか、吐き出す術と言うものが無く、歓喜と悶絶のハザマにおかれてしまった。一週間も。。。
うーん、大袈裟だなあ・・・でも、そんな状態。

いつしかそれ以降、そんな思い詰めたような方法を取ったことが、無くなった。

最近では、曲というより、インプロなんて言えない「いい加減な」?その場限りの演奏に興味が向いていた。まー、ジャムっていうんですか?
即興演奏家という道?そんなカッコイイものになれるガラじゃないので・・・というか考えが及んでいない。
なるつもりが全く無い!ということすらも無いので、拒否はしてないっていうか・・・いいじゃん!どうだってね。
そんな我がままな方法で来ちまったもんだから・・とはいえ、この先のことを考えると、実は「こうなれば、こう来たし、だからこうなって行く」という道筋がある・・と思っている。
今の時点では、それがどういうサウンドと具体的には示す事は出来ないが、いうなればオーガニックな方向に興味がある。
それは、エレクトリックが、アコースティックへ・・・とか、マシンはどうの・・とかの意味では無い。

つまりは自分と人との関係が織り成すもの。
当たり前っちゃあ当たり前。
バンドっつうか、そんな「形態」をとって演奏するのだから、それはずっとやってきたことでもあるが、更に「そのこと」を強くも感じるようになった。
バンドというはじめからの概念は無い。
バンドというものは、なれるものは成れるのだ。
それは、いうなれば試練を乗り越えての意志の継続によっての結果だ。
とはいえ、その結果そのものも、永遠というものではない。
かといって、メンバーの出す音・音楽の「そのまま」が、いい場合もあれば、そうではない場合もある。
でも「ガチガチにアレンジされ、それしか動きようの無いもの」には、あまり自分には、興味が無い。
演奏された結果、僅かにも残る香りというか?そんなようなものが残せればいいかな。

そのキーワードのようなものが、今の自分にある。
ようやく、そこに来たと言える。

そんな「また来年!」ということだ。